2018年07月11日

水の豊かさの怖さ

タイでは洞窟内の13人が救出されたが……。先週中国地方を襲った大雨の猛威は予想外に強大で驚いた。地震とか台風とか言われると身構えるが雨がたくさん降るというだけではなかなか警戒心が立ち上がりにくいのだろう、一つの町が一夜にして泥水に浸かるというのは悪夢だ。「治人」とか「治獣」という表現は聞かないが、「治水」という言葉は十分に熟していることからみても、治水は古来国政の重要なテーマだったのだろう。陽光の豊かな地域は陽光を恐れなければならず、水が豊かな地域は水を恐れなければならない。ナイル川の氾濫はエジプトの地に豊穣をもたらしたが、それはそうした自然の変化をカレンダー上に予定し柔軟に順応できる生活様式を確立した上でのことだ。
「みらいらん」2号のインタビューで人類学の篠田謙一さんが、文明の衰滅する要因として、社会学的なことよりもむしろ自然の脅威を第一に考えると発言しておられたが、本当に、我々は安定した自然環境をアテにして生活しているけど、それは常に100%恵まれ満たされるわけではないのだと、こういう災害があると思い知らされる。
(池田康)
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2018年07月09日

ジュール・シュペルヴィエル(嶋岡晨訳)『悲劇的肉体』

higekitekinikutai.jpgシリーズ〈詩人の遠征〉の第10巻として、上記の本を刊行した。
シュペルヴィエル(1884-1960)が1959年に出した最後の詩集『悲劇的肉体』のきわめて貴重な本邦初の全訳(嶋岡晨氏の渾身の訳業!)。天性のイマジネーションののびやかさと死を目前にした観自在とが交錯し豊穣な詩世界が展開されており、内省的で幻想的な抒情から、孫娘に捧げる暖かい長篇詩や色華やかなシェエラザード讃まで、詩人の内面を構成する多くのモチーフが入り乱れて、二十世紀という地球時代を雄弁に精緻に物語る。一読すると、精神の大きさというものを圧倒されるように感じるのだ。
巻末に収録した、翻訳者の嶋岡晨さんの「解説風の覚え書」のエッセンスをまとめて次のような短文にし、本の袖に載せた。
「二十世紀フランスの代表的詩人ジュール・シュペルヴィエルの最後の詩集『悲劇的肉体』。持病の心臓疾患を介して死と対話するその詩の思考において、精神は肉体を蔑視せず外の世界を敵視せず、生と死が共棲し、可視と不可視が重なる、複雑で奥深いナルシシスムを伴った悲劇性が顕現し、さらに人類的イメージへと広がる。「精神が夢と混じりあうとき、対立物はもはや存在しない」──日常の魔法、言葉の幻術は最後をたやすく最初の詩の〈誕生〉に変えるのだ。」
過度に凝縮したのでやや難しい表現になっているが、シュペルヴィエルの詩がどういう広く深い時空で動いているかが察せられ、本書の重要度は伝わるかと思う。季節を超越したこの貴重な詩集をぜひ手に取って熟読いただきたい。
184頁、本体1800円+税。
(池田康)
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2018年07月07日

「みらいらん」 第2号

milyren2.jpg「みらいらん」2号が完成した(1000円+税)。野村喜和夫さんをホストとする恒例の企画「対話の宴」は画家で映像作家の石田尚志さんをゲストを迎えての「書くこと、描くこと、映すこと」。現代美術における石田氏独自の表現の追求の仕方、吉増剛造さんとの交流、子供の頃の体験など語られる。独特の映像作品の制作の経緯や方法が興味深かった。インタビュー〈手に宿る思想〉はDNA解析をつかって人類学を研究する篠田謙一さん(国立科学博物館副館長)、ホモ・サピエンス6万年の旅のことなどをうかがった。そのお話に出てくる古代アンデスの社会が文字を持たなかったということにちなんで、小特集「文字のない世界」を組んだ。ご参加いただいたのは、山田兼士、金井雄二、江夏名枝、八潮れん、八覚正大、松尾真由美、渡辺めぐみ、藤田晴央のみなさんで、エッセイと創作とで構成されている。新しく始まった嶋岡晨さんの連載詩「びっくり動物誌」は生物の奇妙な生態に光を当てて命の形の可能性を描く試み、注目していただきたい。巻頭詩は佐々木幹郎、古内美也子、新延拳、河原修吾、小笠原鳥類、藤原安紀子のみなさん。林浩平さんの「Hidden Treasure」、今回は安東次男を取り上げている。その他の内容の詳細は下記リンクでご確認下さい。
私が書いている「深海を釣る」は、前々からラジオのDJ番組のような記事を作りたくて何人かの方に相談していたのだが実現しなくて、では自分でやってみようかと試みているものだが、ラジオ番組のしゃべりの軽やかさで書くのは至難だ、懸命に書き込んでいるとだんだん重さが加わってくる。深海とDJ番組は水と油なのかもしれない。
それから表紙の画像(下の方)のプテラノドンはぜひ調べてみていただきたい。どこかに復元想像図が見つかるはず。これがあの骨かと、驚くことになるだろう。今から8千万年前の生物。
(池田康)

追記1
篠田謙一さんのインタビューで言及されている「古代アンデス文明展」は現在山梨県立考古博物館で開催されており(今月16日まで)、7月27日から9月30日まで仙台市博物館での開催が予定されています。

追記2
本書のご注文は、書店でしていただくか、直接洪水企画にご注文いただければ幸甚です。ネットショップをご希望の方は、下記の準公的な書籍検索サイト
で検索していただき、右側に出てくるショップ各店を当たっていただければと思います。
『悲劇的肉体』についても同様の手順でお願いいたします。

追記3
奥付のページのなにかの立体の展開図の一面一面に文字が書いてある謎の図について、これはなんなのかというお尋ねが複数きておりますが、解読のポイントを示すなら、第一は、万葉仮名を使っていること、第二は、白い五角形の並び、黒い六角形の並び、灰色の六角形の並び、それぞれを別々に読む、ということです。挑戦してみて下さい。
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2018年07月05日

虚の筏21号

「虚の筏」21号が完成しました。次のURLからご覧下さい:
http://www.kozui.net/soranoikada21.pdf

今回の参加者は、海埜今日子、二条千河、たなかあきみつ、神泉薫、酒見直子、平井達也、そして小生です。
空いたスペースに入れている画像もちょっと面白いので、ぜひご覧下さい。
(池田康)
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2018年06月27日

今週の予定など

気候が夏のようになってきて、涼風や氷菓子を恋しく思うようになった。今週は歯医者で抜歯のしんどい治療があり、週末には「みらいらん」と新刊単行本の納品が予定されており、なかなかにせわしい。サッカーのW杯も佳境になりつつあるが、深夜の時間帯まで誘われるのはきついなあとこぼす程度の薄情な見物客だ。今は本の発送準備をしながら「虚の筏」の新しい号を作っている。この詩誌も21号を数えるまでになった。これくらいまで来ると歴史を感じる。バックナンバーをクリアファイルに収納しているが、それをめくって各号いろいろ遊んでいるのを眺めるのも楽しいものだ。21号でもちょっと斬新な新しい遊びを考えている。さて、近く出る新刊書とは、嶋岡晨さん翻訳によるジュール・シュペルヴィエルの最後の詩集『悲劇的肉体』。また改めて案内するつもりだが、この詩人の老年を酒樽としてとても豊穣な詩世界が醸造されている。必読ですとお勧めしたい。
(池田康)
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2018年06月25日

うつつの冥府 番外編

「みらいらん」2号と新刊単行本を印刷所に入れ、気持ちに余裕ができ、なにか読むものはと本棚を眺めていたら、「わたしを読んで」と背で訴えてきたのがカズオ・イシグロ著『わたしを離さないで』(ハヤカワ文庫、土屋政雄訳)だ。いつか読むべきだよなと思いつつも、どういう話か聞かされると背筋が寒くなるようで無性に怖くて敬遠していた本。読み始めたら語り口の親密さに導かれてすぐに入り込んでどんどん読んでいけるのだが、読み終わるとみごとに救いがなく荒涼としていてやはり怖い本だった。
どんどん読んでいける、その青春小説的なみずみずしい展開を繊細緻密な筆で描くところにこの小説家の力量のABCがある(これだけ緻密な書きぶりなのに渋滞することなくスムーズにページをめくれるのは翻訳の良さだろうか)。ちょっといやらしい性格のルースという女性をこれだけ丁寧に(愛情をもって?)描き出せるというのも驚きだし、若者にありがちな自然にこぼれ出る滑稽さがいろんな場面で発現しているところもこの作家ならではの配色だろう。「臓器提供のために生かされている人間たち」という尋常でない恐ろしい設定からはどぎつい黒の支配と主張が予想されるのだが、実は美しい淡い灰色のグラデーションが基調であり、その中にはブルーや薔薇色や真紅の模様も出てくる、実に繊細な(繊細であるが故にときにコミカルでもある)喜怒哀楽、そしてほんのちょっとしたシーンが主人公と親友二人の運命を変えていくバタフライ・エフェクト的ダイナミズムが、この小説の一番の読みどころとなっている。彼らはその使命からして生きながら冥府にいるようなものなのだが、その絶望の中でもこんなにいきいきと多彩な生が展開されうることを示す、作家イシグロの魔法の杖。冥府の内部のきわめて精密でつややかな造型。最終的には悲劇の構図がものを言って寒々とした余韻で終わるのだが、彼らも、我々の生も、そんなに違わないのではないかと思わされる、SFの設定なのにSFになっていない、妙なリアルさ、そこもまた驚きだし怖いところなのだ。実に生気にみち、そして恐ろしい物語。カズオ・イシグロの基本は、『日の名残り』や『夜想曲集』でも感じたのだが、弱い人々、敗北した側、虐げられる組の繊細な抒情ということであるように思うのだが、この作ではその特徴が最大限に出ている。
映画化もされているようだが、見ていない。日本でもテレビドラマ化されたことがあったが、それほど評判にならなかったのは、(私も含めて)多くの人は怖くてチャンネルを合わせられなかったのだろう。サスペンスはさかんに作られるが、視聴者を真に恐怖させるドラマはテレビには不向きなのかもしれない(テレビドラマで本当に怖い思いをした記憶があるのは横溝正史シリーズくらいか……)。
(池田康)
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2018年06月23日

ラジオでブルネロを聴く

何日か前、N響のコンサートをNHKFMで中継していて、チェロのマリオ・ブルネロが出演すると知り、聴いた。この人の演奏は聴く価値があると思うのだ。番組内の説明によるとN響との共演は15年振りぐらいとのこと。あらかじめこのコンサートのことを知っていたらホールまで聴きにいこうかという気に少しはなったかもしれない。実際は余裕がなく行けなかったと思うが、一応「迷う」くらいはしただろう。曲はカバレフスキーのチェロ協奏曲第2番。この作曲家、ロシアの人とか、聞いたことがあるようなないような。音の活発な動きによる華やかさも有する曲。ブルネロの演奏はドライブと説得力、音楽の楽しさがある。手元に彼がバッハの無伴奏チェロ組曲を全曲演奏したCDがあるのだが、その弾きぶりも奔放で気儘で、俺はしゃべりたいようにしゃべるんだといった感じで、謹厳実直な音大の先生なら顔をしかめるかもしれないが、教科書的でないバッハが好ましく、音楽はこうでなくちゃと思う。今回のカバレフスキーの協奏曲もブルネロの演奏があるだけで楽に成立しているように思った。このラジオ中継があることは当日新聞のラジオ欄で知ったので、聴けて幸いだった。ラジオ(テレビ)は聴けたり聴けなかったりする。作曲家の新実徳英さんからNHKFMのコーラス音楽の番組で近く自分の作品の特集があるとの案内をもらっていて、それが実は今日の早朝だった。コーラスの番組は日曜日だと思い込んでいたので、たまたま7時前に目が覚めてラジオをつけるとこの番組の最後の部分をやっていて、びっくりし、あららと心の中でつぶやいた。
(池田康)
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2018年06月20日

なぜそれができないのか

大阪方面でかなり大きい地震があり、被害も相当な規模だったとのことで、近畿は友人・知人も少なからずいる地域だから気にかかる。皆さん無事でいることを祈りたい。
こういう災害のときによくあることだが、電車やエレベーターに閉じ込められて数時間を過ごした人がたくさんいたらしい。15分でも耐え難いのに、4時間も5時間も出られないのは地獄だ。なぜすぐに出られるようにしないのだろうという素朴な疑問が浮かぶ。なにも地球を貫通して裏側へ避難しようという話ではない。空を飛んでいるわけでも海を航行しているわけでもないのだ。「なぜそれができないのか?」…なぜエンジニアやシステム設計者や運営責任者はそれができるようになんらかの工夫をしないのか。ドアが開けられる場所や状況まで慎重にもっていき、ドアを開ければいいだけだ。私は4時間級の閉じ込めの憂き目に遭ったことはないので実際それがどういう恨み言の感想になるのかわからないが、悪気の有無にかかわらず“監禁”されることは苦痛であり不都合でもあり健康面のマイナスもあり、つまり良くないことであり、地震のたびに無策のままの繰り返しで無数の不運で不憫な閉じ込めが発生することをいつまでも看過していいとは思えない。
(池田康)
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2018年06月15日

うつつの冥府 その3

うつつの冥府に入るべくして生まれてきた、と言ってはオーバーかもしれないが、自らの科はなにもないのに虐げられ地獄を舐めさせられる、それが公開されたばかりの映画「万引き家族」(是枝裕和監督)に出てくる少女じゅりだ。「誰からもかわいがってもらえ守ってもらえる幼い女の子」の役柄を両親によって根本から剥奪廃棄され、生まれながらにうつつの冥府にいる少女。そこから彼女を救い出した家族は、本物の家族ではないのだが、ヴァイタリティに満ちており、厳格な主従関係のないアナーキーな自由さがパラダイスとなって恐怖にすくみ切っていた幼い心をほぐす。しかしこの神の家の聖家族は存在自体が凡庸な観客にとってはショッキングで、どのシーンにおいても本音のえげつなさが凶器のようにきらめいて恐怖と快感の目眩を覚える。戦後の闇市時代のような、どんなことがあっても、どんな手段を使っても生き抜いていくという生命力の強さが、ここでは犯罪という形までとってしまう。この映画の本質的な尖りのヤバさ。警察の取り調べを受け、妻と息子はそれぞれ別の道を歩き出し、父親だった男は解放されたとはいえ一人取り残される。自分にとって一番大事な作品だったフィクション家族が崩壊し、懸命に獲得しようとしていた父親の役割を喪失し、男はうつつの冥府の入口に立ったのかもしれない。
戦前の家族の厳しい家長としての男のイメージとこの主人公の男のすべての宝を奪われて茫然自失している姿とを重ね合わせると時を経てここまで来たのかと雷の一閃を錯覚するが、いや、対立はむしろ日常安住者vs越境憧憬者であり、この男の無責任な放縦と遊戯心は芸術家と呼ばれる嘘つき(フィクションを愛でる)種族の歪んだ鏡像かもしれないとも夢想する。現実社会の規範の重さに抗い、異常な軽やかさで跳梁し、いかがわしい作品制作にいそしむ似非芸術家。しかし今の時代において芸術家と似非芸術家の間にさほどの距離はない。彼らにとっては心の冥府も冒険に値する地図なき森だろうか。
蛇足だが、常々思うことだが、幼女の肩くらいまで伸びたかすかに柔らかくカーブした髪は本当に見惚れるくらい神々しい。年齢が高くなるとあんな素直な髪をした女性はいなくなる。祈願を最小限のそのまた最小限に絞るとしてもこういう自然にウェーブする髪をまだ有している幼い女の子は理不尽な目に遭ってほしくないものだ。禁句かもしれないが、冥府から出る可能性の光を一条でも感じるために、5年ないし10年後の続編を所望したいような気もした。
この作品の撮影を担当している近藤龍人は「海炭市叙景」に始まる“函館三部作”でも撮影を行っている。
(池田康)

追記
なにか見逃しがあったような気がして、また映画関連商品で水玉のような模様が多用されているのはなぜだろう、あれは何だったか、どこで出てきたっけかという疑問もあり、もう一度見た。そして深い納得が得られたように思った(また辛い現実に戻るにしても、少女はこの「神の家」このアリスの不思議の国で、「宇宙」を、もしくは無償の愛の原液の海を見つけたのだ)。最後の20分ほどの間、情報やら重要発言やら立て続けに発せられ、受け止めて一つの絵にまとめるのが大変で、さりげない重要な部分を見過ごしてしまうのだが、二回目に注意深く見届けて、これはこれでいい、不足は感じないと思うようになった。
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2018年06月13日

うつつの冥府 その2

人は自分がもっとも大事にする、それをもって自分の存在意義とする主要な役割を失ったときに、うつつにいながらある種の冥府に入り、心的な死に囚われる。そこから出てこられるかどうかは大雑把にいって五分五分というところだろうか。プロ野球の松坂投手のようになんとか復活する幸運なケースもあれば、別の天地に光明の可能性を目指して移動しつつ出ていく場合もあるだろう。結局抜け出すことができずに冥府に囚われたまま心の壊死を迎える不幸な場合もあるだろう。
先ごろ公開された映画「妻よ薔薇のように 家族はつらいよ3」(山田洋次監督)では、長男の妻・史枝が家出をするのだが、夫・幸之助の無理解に耐えられなくて喧嘩の果てに、というよりも、自分のうちの重要ななにかを喪失して、という面が強いように思われた。史枝は一人で留守番をしていたときに泥棒に入られ、冷蔵庫の奥に隠していたへそくりを盗まれる。びっくり仰天のシーンで、昼寝から目覚め二階から降りてきて盗人の男を見つけ、目が合ってしまう。このとき、彼女はもっとも大事な「平安な日常」を盗まれたのではなかったか。自分の主要な役割である「主婦」の面目が傷つけられ、奥方の仮面がひび割れる。弁解の余地乏しく、夫の面罵によりその資格喪失は決定的となり、心はうつつの冥府に入る。それは故郷の信州の町に行き、今は両親もいない生家に隠れるという形をとる。夫は弟の忠告に従い、妻を迎えに……。こうして物語は冥府に行ってしまった妻を取り戻しにいくというオルフェウス神話に似通ってくる。奪還は成功するかどうか、それは難しいだろうと義父の周造の予想するようにけっして簡単ではないはずで、なんとか帰還を果たしたのは(この作品が喜劇のフォーマットで作られているからという決定的事情を措けば)、たまたま土砂降りの雨が降っていて非常事態の空気がいい具合に生じた、モーゼの海の道ではないが、マジックのように「道ができた」からだというのが観ていての素直なところだ。彼女の「冥府」の具体的な形となった山奥の町(茂田井?)も古風で雅びな美しい風景で、見とれた。
(池田康)
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