2019年06月20日

虚の筏23号

「みらいらん」次号はなんとか編集が終わり、印刷所に入れた。来月上旬完成予定。お待ち下さい。
さて、「虚の筏」23号ができた。今回の参加者は、二条千河、神泉薫、伊武トーマ、たなかあきみつ、久野雅幸、海埜今日子、平井達也のみなさん、そして小生の8名。オブジェ画像は「飴玉コレクション」。下記のリンクよりご覧下さい。

さてさて朝顔栽培の続報。二つめの鉢に前回とは別の種を三粒まいたら、二つ発芽した。なんともよろこばしい。芽が双葉として出現するのは硬い種の殻を裂くための手力なのだろうと今回思い至った。
(池田康)
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2019年06月11日

朝顔の芽のことなど

みらいらん次号の編集も大詰めで、トントン拍子にいけば数日のうちに印刷にかけられそうなところまで来た。とは言ってもなかなかそううまくトントン拍子にはいかないものだが。
さて最近の見聞を列記すると……。映画「海獣の子供」(渡辺歩監督、五十嵐大介原作)を観る。原作は読んでいたが、動く琉花ちゃん(主人公の少女)に会えたのが嬉しい。
また十日以上前のことになるが、平野晴子さん一行の鎌倉旅行に一部同行させていただき、葉山の神奈川県立近代美術館でポーランドのポスター展を観た。絵柄や図案が大胆で、予想を超えて面白かった。
それから更に前になるが、みらいらん次号の田村隆一特集の軸となる吉増剛造・城戸朱理両氏の対談をやはり鎌倉で行った。夏のような明るい日だった。偉大な詩人を深々と追慕し、たえず新しい方角をさぐり淀みなく流れる議論に聴き入る(ご期待下さい)。そのときに見た鎌倉文学館の薔薇園もみごとだった。
さらに遡ってここ数ヶ月というスパンになるが、みらいらん前号の〈深海を釣る〉で書いた興味のつづきで、過去のテレビドラマをいくつも観た。その中で心に残った言葉を一つ。「ブラックボード」第一夜(2012、井上由美子脚本)で戦後再び教壇に立った主人公の教師(櫻井翔演じる)が言う、「未来をうばうものに正義などない」。名言。
最後に。これはここ数日のことだが、ベランダにおいた鉢から朝顔が発芽した。めでたい。土の中から小さな緑の頭をもたげる芽に感動する。しかし発芽率75%以上の能書きの種を6粒蒔いて一つしか発芽しないというのは、確率とか統計学ってなんなのだろう。
(池田康)
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2019年06月04日

安藤元雄さんの講演

日曜月曜とかなりハードな日程だった。2日の日曜日には現代詩人会の「詩祭」が市ヶ谷であり、現代詩人賞やH氏賞などの授賞式などが行われるとともに、第二部で安藤元雄さんの講演があり、「みらいらん」次号で『安藤元雄詩集集成』をめぐっての対談(野村喜和夫・福田拓也両氏による)を載せることもあり、聴きに行った。
読み人知らずの「起きて見つ寝て見つ蚊帳の広さかな」「蜻蛉つり今日はどこまで行ったやら」といった句が加賀の千代女に仮託されている、詩歌とはどういう存在なのかという話から入り、ネルヴァルの「シダリーズ」では翻訳の工夫のしどころやいかに意味の重層性やエコーを読み解いていくかといったことが語られ、ボードレールの「あほうどり」においては一般大衆に対して詩人は強者ではなく弱者と化しているという重要な機微が指摘され、シュペルヴィエルの「秘められた海」では詩で結論を出さないことの大事さが教示される。また同級生だったという、先ごろ亡くなった映画監督の降旗康男の仕事に触れて、つねに弱者の側に立てという信念が語られた。詩人の心の烈しさが伝わってくる一時間だった。翌日の月曜日には愛知県で伯母の葬儀があり、気ぜわしく、私としては例外的な早起きをしなければならないこともあり、早々に会場を後にした。
(池田康)
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2019年05月26日

対話の宴 野村喜和夫・福田拓也対談

IMG_7102.JPG昨日、世田谷の詩とダンスのミュージアムで、「みらいらん」次号の〈対話の宴〉のための「野村喜和夫の詩歌道行2 『安藤元雄詩集集成』をめぐって」が開催され、野村喜和夫・福田拓也両氏が議論を交わした。
『安藤元雄詩集集成』(水声社、本体8000円)には安藤元雄さんの既刊9冊の詩集『秋の鎮魂』『船と その歌』『水の中の歳月』『この街のほろびるとき』『夜の音』『カドミウム・グリーン』『めぐりの歌』『わがノルマンディー』『樹下』が収められている。それを通観してのお二人の話は、安藤元雄の詩の世界の地形をどう捉えるかについての意見も若干違っていて、その分うねりと緊張感があり、非常に興味深かった。福田さんは、海に象徴される境界性、有限が無限に移行し再び回帰する現象、『めぐりの歌』『樹下』で起こっている例外的事由、といった諸点を中心に語り、それを受け止めつつ、野村さんは安藤元雄さんのオリジナリティを同時代の他の詩人たちとの比較で絞り込み、読みどころ、注目すべき点を挙げていった。安藤元雄さんも臨席されていたのでその分対話の張り合いも倍加し、刺戟に満ちた、とてもよい会になったように思う。この対話は記事となって「みらいらん」4号(七月刊行予定)に掲載する予定。是非ご覧いただきたい。
(池田康)
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2019年05月21日

加藤典洋さん

加藤典洋さんが亡くなったという報道があり、本当なのだろうかと信じられなかった。5年前、「洪水」14号でインタビューをさせていただき、国内外のロックやポップスのことなど音楽についていろいろお話をうかがった。独自のロジックを自在に発動させる至極元気なそのお姿はついこの間のことのように思い出される。そのインタビュー「『耳をふさいで、歌を聴く』を聴く」から、忌野清志郎について語った一節をここに再録しよう。
「忌野清志郎はなぜかわからないけど、好きでなかったんです。みんないいと言うでしょう。なんでいいんだろうと思っていた。(中略)でも、それまで聴いていなかった初期のアルバムを好きになって、第二アルバムの『楽しい夕に』にびっくりした。すごくいいんです。天才だと思った。彼の文章も面白いんです。文庫本になっているんですけど、あれを読んでいると、ビートルズなんてなんだと書いている。その気持ちはよくわかる。あの当時の忌野の才能からすれば、そう言えるような高みにいて力を発揮していた。」
さらに話の先の方で質的劣化と量的拡散の皮肉で歪な関係にも及んで、批評家として面目躍如の眼光の鋭さに触れることができる。
あの日の貴重な2時間の恩を感謝するとともにご冥福を祈りたい。
(池田康)
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2019年05月14日

青柳幸秀歌集『安曇野慕情』

安曇野慕情カバーSS.jpg青柳幸秀さんの第二歌集『安曇野慕情』が洪水企画から刊行された。青柳さんは昭和8年生まれ、長野県安曇野市在住、ぱにあ所属。2013年に出た第一歌集『安曇野に生きて』以降の478首を収める。帯文の紹介に「産土の安曇野に聳える常念岳を畏敬の父、豊かな大地を母のごとくに慕い、農業一途に生きる日々から湧き出る歌は感謝と慈愛に満ちている。幼少時からの自称、悪童丸の無垢な肉体と精神に沁み着いた、戦中、戦後の父母たちと共有した艱難辛苦の悪夢は生涯不滅。昭和一桁生まれの男子ならではの人生の哀歓が熱く、胸を連打して止まない。(秋元千惠子)」とある通り、農業一筋の生活から迸り出てくる歌群が大半を占め、地に立ち苦難の道を歩む一人の男の人生行路をつんざく咆哮がどの歌からも聞こえてくる。帯に掲載されている代表歌五首を挙げる

 猿の長吼えてをらむかひもじさに有明山に日の暮るるころ
 雪風巻くかなたときをり顔を出す孤影は冥し常念岳の
 いつみてもいつもおほらか安曇野は心のふる里母なる大地
 幾世代農に生きたる証とし馬頭観音在しますここに
 この命枯れても思ふ八月は知覧の空と 原爆雲と

最後の歌のように先の大戦を偲ぶ歌も多く、戦争の災禍に思いを馳せる心情の激しさを痛切に感じる。さらに付け加えて何首か紹介しよう。

 エンジンをかけてハンドル握るなり軽トラックに夕日を載せて
 縄文の埴輪は闇を食ひ足らひ小さき唇もつを愛しむ
 一本の稲穂かざして見る様に縄文人の血潮たぎり来
 落胤の祖の嘆きを風に聴く心乱れて雨にぬれても
 安曇野の石仏の胸には天明の飢ゑの記録の刻まれてあり
 安曇野は常念岳の屹つところ老いて吾が持つ杖突くところ
 安曇野の裔なる中のいちにんで信濃訛りの毒すこしもつ
 昭和とはさすらひの船いつまでも流されながら兵の声する
 亡父がゐておほ祖もゐて 馬もゐて俺の安曇野まだ大丈夫
 飲食はホモサピエンスのはかなごと原発の電気たよる暮しに

歌人・青柳幸秀の苦吟と至情をじっくり味わっていただきたい。
(池田康)
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2019年05月06日

連休中のあれこれ

この連休はどこへ出かけるでもなくなんとなく過ごした。主な体験としては、「E.T.」を映画館で見たこと(午前十時の映画祭、スピルバーグの映画作りのうまさに感服)、真藤順杖『宝島』(講談社、沖縄人ではなくてよくこんな小説を書けるもの)を読んだこと、など。とある調査の筋で昔のテレビドラマを見るということもしていた。それから山本萠『こたつの上の水滴』(コールサック社)をぼつぼつ読んでいる。萠庵骨董雑記、のサブタイトルがついている。焼き物との無言の対話、その研ぎ澄まされた静けさが魅力的。
「自意識や美意識が見え隠れする器は、人間国宝と呼ばれる人の創ったものであってもわたしには不要である。
美そのものと対話するために、人間の〈意識〉からあらん限りの遠いもの、意識を、無意識にして超えたもの、あるいは、創り手の己を空しくして、〈神〉に捧げたてまつるもの、そして、〈用〉に徹するもの、であってほしい。
器におけるそれらの認識は、例えば一個の猪口を目にしたとき、あるいは手に受けたとき、一瞬の内に感得される。単純に、あまりに単純に、美か否か、という感覚として。」(「夏の坏」より)
まだ読んでいる途中だが、濁世から救い出してくれる厳しさと爽やかさがありがたい。
(池田康)
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2019年04月28日

詩素6号

siso6coverS.jpgもうはや晩春になろうとしているのに、散歩していたら真白な富士山がぬっと顔を出していてお化けのようでぎょっとした。富士よ、今はどの季節なのか。
さて詩素6号が完成した。今号の参加者は、海埜今日子、大仗真昼、小島きみ子、酒見直子、沢聖子、菅井敏文、大家正志、たなかあきみつ、南原充士、二条千河、野田新五、八覚正大、平井達也、平野晴子、南川優子、八重洋一郎、山中真知子、山本萠、吉田義昭のみなさんと、小生。〈まれびと〉には有働薫さんをお招きした。巻頭トップは、海埜今日子さんの「珪化木的な、」。定価500円。
表紙は西脇順三郎の詩より。
http://www.kozui.net/siso.html
(池田康)
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2019年04月27日

トークイベント野村喜和夫×福田拓也のご案内

洪水企画&エルスール財団共同企画トークイベント

 野村喜和夫の詩歌道行A 
 野村喜和夫×福田拓也 

 『安藤元雄詩集集成』

『安藤元雄詩集集成』(水声社)がついに刊行されました。日本現代詩の一達成を示すこの大冊をめぐって、気鋭の詩人・批評家の福田拓也氏を迎え、安藤詩学の核心から日本語で詩を書くことの可能性まで、縦横に語り合います。

日時:2019年5月25日(土曜日)
15:00〜17:00 (14時30分開場)
場所:ブックカフェ「エル・スール」(詩とダンスのミュージアム内)
(世田谷区羽根木1−5−10)
入場料:2500円(+1drink order)
申し込み方法:メールで。
エルスール財団
info@elsurfoundation.com


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2019年04月22日

入沢康夫さんを偲ぶ会

先週の土曜日、アルカディア市ヶ谷にて「入沢康夫さんを偲ぶ会」が開かれた。生前それほど強い接点をいただくことは叶わなかったが、詩作品を読むというレベルでは相当な恩をこうむっているので、参加させていただく。安藤元雄、池澤夏樹、三浦雅士の三氏の追悼の言葉。批評性、作品の客観性、宮沢賢治との姿勢の違いのことなど話に出た。大詩人の昇天を心に実感する、得がたい機会となった。
行きの電車の中で初期入沢康夫作品を拾い読みしていたので、印象に残った箇所の一つを引用する。「輓歌」の冒頭部分。

 さて うたうのだった
 ぼくの気ちがい ぼくの気ちがいと
 ぼく 別れて
 石につまずけば
 花々は
 とりどりに笑うのだった

入沢康夫の詩のリズム、ということも是非とも心に留めておきたい重要事項のように思われる。
(池田康)
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