2019年11月13日

詩素7号

siso07.jpgすっかり秋になり、過ごしやすく、昨日の満月はみごとだったが、これから冬に向かうと思うと、一難さってまた一難かとため息が喉もとまで出かかる。
さて「詩素」7号が完成した。今回の参加者は、海埜今日子、大仗真昼、北爪満喜、小島きみ子、坂多瑩子、酒見直子、沢聖子、菅井敏文、大家正志、たなかあきみつ、南原充士、二条千河、野田新五、八覚正大、平井達也、平野晴子、南川優子、八重洋一郎、山中真知子、山本萠、吉田義昭のみなさんと小生。特別寄稿「まれびと」コーナー登場は吉田博哉さん。巻頭トップは平野晴子さんの「秋の柩」。定価500円。しかし洪水企画ではすでに品切れなので、入手ご希望の方はメンバーにあたっていただくか、七月堂にもしかしたら残部があるかもしれない。(池田康)
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2019年11月05日

野村喜和夫+阿部日奈子 トークイベント

IMG_7366.JPG2日(土)午後に、〈対話の宴/野村喜和夫の詩歌道行3〉が「未知への痕跡〜読む行為が書く行為に変わる瞬間」というタイトルで阿部日奈子さんを招いて、詩とダンスのミュージアム内ブックカフェ「エル・スール」で開催された。
前半は野村さんの手によって刊行された『ルネ・シャール詩集 評伝を添えて』をもとにルネ・シャールについて率直に議論され、後半は阿部さんの第一詩集『典雅ないきどおり』からこの秋刊行された新詩集『素晴らしい低空飛行』に至る道のりを辿る形で対話が交わされた。詩人・阿部日奈子という眩い稲妻が天から飛来し周囲をしたたか焼いて駆け抜けていったという感じの二時間だった。この対談は「みらいらん」次号に掲載の予定。ご期待下さい。(池田康)
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2019年10月28日

スタシス・エイドリゲヴィチウス展ほか

昨日は、野田新五さんのご教示に従い小平市小川町の武蔵野美術大学にスタシス・エイドリゲヴィチウス展を見に行き(芸術祭開催中で美術家の卵とその友だちでキャンパスはとても混雑していた)、その近くの小川西町のNMCギャラリーでの山本萠さんの個展に寄り(今回は書の作品中心。八木重吉の詩が多く取り上げられていて、先日の江田さんの歌集が思い出され、符合を感じた)、ついでに初訪問、府中の東京競馬場に足を運んでアーモンドアイの無敵の韋駄天ぶりを目撃した。
ポーランドの画家スタシス・エイドリゲヴィチウス、絵が上手すぎるくらい上手い。それぞれの絵に働いている奇想がどれも面白く、それを易々と実に巧みに構図にしてしまうところ、憎いくらいの自在さだ。そして、まん丸のつぶらな「目」が印象的。蔵書票などごく小さい絵もいいものがたくさんあった。図録が完売になっていて、残念。展覧会は11月9日まで。この画家について、野田さんがとても興味深いエッセイを「詩素」次号に書いている(近日中に完成の予定)。ぜひご覧いただきたい。
(池田康)
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2019年10月25日

高橋アキ/ピアノリサイタル2019

昨日は豊洲シビックセンターホールでの高橋アキさんのピアノリサイタルを聴きに出かけた。曲目は、シューベルト「ヒュッテンブレンナーの主題による13の変奏曲」「4つの即興曲」、一柳慧「ピアノ・メディア」、間宮芳生「家が生きていたころ」、鈴木治行「句読点VIII」、クセナキス「ヘルマ」。
シューベルトは、なぜこんなに傾倒して集中的に取り組むのだろうと不思議に思わないでもなかったが、ショパンに代表されるピアニズムの精緻とはちがった、ある音型やフレーズの素朴な繰り返しを多用して曲を築いていくところが、高橋アキさんが専門にしている現代音楽曲に通じるところがあるのかもしれない。「4つの即興曲」にこもる内向的な熱には圧倒された。一柳慧「ピアノ・メディア」は有名な曲だが、今回、前から2列目の席という間近で、至妙の手の動きを見ながら聴くことができ、特別の興奮があり、大幸運だった。間宮作品は朗読付き(イヌイットのファンタジックな物語)、ピアノの響きのユニークに美しい瞬間が不意を打つようにちりばめられる。鈴木作品はタイマーを使った、主知的な曲と聴いた。「コンセプトは、音楽の自然な流れの切断、脱臼」と作曲者は解説する。クセナキス「ヘルマ」はとんでもない音の爆発で、ピアノ演奏の一つの極限に挑むものか、指が飛んでいた。アンコールでは湯浅譲二作品(小品二つ)とともに、武満徹編曲の「ゴールデンスランバー」が、最近亡くなられた武満夫人を悼んで演奏された。
(池田康)
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2019年10月22日

歌集『重吉』書評会

先週末の土曜日、江田浩司さんの歌集『重吉』の書評の会があり、参加した。文芸評論家の神山睦美氏が主宰する勉強会で、十余人が集まる。私のような新参の飛び込み参加も意に介さない開放的な空気は心地よくありがたい。歌人と詩人が半々くらいで来ていたか。神山氏の話は構えの大きな序の論の運びも参加者の発言の受け取りもとても丁寧で慮りが深く、感服した。『重吉』は、前にも少し紹介したが、詩人の八木重吉を思慕し讃仰する、歌集としてはきわめて特異な作品集であり、激賞から当惑まで多様な反応をもらっていると江田さんは語っていたが、この日は八木重吉の抱く本質的な悲しみ、キリスト教的要素のこと、重吉の詩とこの歌集の短歌の世界の違い、弱さのしなやかさの精霊的なもの、宗教文学の季節外れの霹靂、等々のテーマが出て各々さまざまに違う意見やら感想やらを開陳し、おおいに勉強と刺激になった。こういう気持ちの良い、質の高い充実をおのずと達成する研究会はなかなかないように思った。
この日はまた京橋のギャルリー東京ユマニテに立ち寄り、加納光於さんの個展を拝見した。1994年作の《巡りあう種子のように》連作とともに、最新作であろう、2019年作の《夜狐―六庭譜》連作が展示されていた。A4の大きさ程度の絵が6枚一組でまとめられている。三幅対の倍の構成だ。どういう考えからこのような構成に至ったのか、ゆかしい。加納さんは来月より富山県美術館で大きな展覧会も控えていて、にぎやかに多忙を極める秋のようで、喜ばしいことだ。
(池田康)
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2019年10月10日

トークイベント 野村喜和夫×阿部日奈子「未知への痕跡〜読む行為が書く行為に変わる瞬間〜」のお知らせ

洪水企画&エルスール財団共同企画トークイベント
野村喜和夫の詩歌道行B
野村喜和夫×阿部日奈子
未知への痕跡〜読む行為が書く行為に変わる瞬間〜

阿部さんは主知的にして想像力あふれる詩人ですが、この秋、詩集『素晴らしい低空飛行』を上梓されました。一方私も、訳著『ルネ・シャール詩集 評伝を添えて』を刊行しました。この二冊を起点に、読む行為と書く行為のダイナミズムが浮かび上がればと思います。(野村)

日時:2019年11月2日(土曜日)15:00〜17:00 (14:30開場)
場所:ブックカフェ「エル・スール」(詩とダンスのミュージアム内)
(世田谷区羽根木1−5−10)
入場料:2500円(+1drink order)
申し込み方法:メールで。エルスール財団info@elsurfoundation.com

※ 会場への地図はこちらをご覧ください。

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2019年10月06日

カワセミ

今月から消費税が上がった。気が滅入るが、先ごろ石巻へ行って心の体重が10%ほど軽くなったような気がしていて、その「石巻効果」で相殺され今のところイーブンを保っているようにも思う。このありがたい効果がどれだけ続くかわからないが。
遠くへ赴くことはそれだけで生活意識の刷新のきっかけになるのかもしれず、最近出た、そんな気分にどこか通じていそうなCD、Ayuo「Outside Society」と、Marewrew「mikemike nociw」(アイヌの合唱アンサンブル)を入手して聴いたりもしていた。
そして今日、昼食のために散歩に出たら、近所の小川でとても珍しいもの、艶やかな青と緑のカワセミを見つけた。この鳥に出会ったのは初めて。こんな美しい生物がこの世に存在するのかと驚く。造物主か、進化論か、なにか知らないが、不公平じゃないか……と言いながらも、みごとに美しい鳥を見れば心も鳥の体重分くらいは軽くなる。
今日はまた遊ぶ少年をたくさん見た。グラウンドで野球やサッカーをする少年達、自転車をりんりんと乗り回す少年達、川遊びする少年達。躍動する彼らの姿のかがやかしさ。(池田)
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2019年09月27日

「詩人の家」のこと

24日から25日にかけて、石巻で開催されているReborn Art Festivalの一環である、吉増剛造さん主催の「詩人の家」(牡鹿半島の鮎川というところにある)に生野毅さんと宿泊の形で参加してきた。この旅の詳細については生野さんが「みらいらん」次号に書くと思うので、差し控えるが、少しだけ。
吉増さんが作品制作を進めているホテルニューさか井の一室を訪ねたのだが、机には詩稿の下書きと浄書の紙の束があり、海に面した窓のガラスには「鯨(いさな)」を中心とした詩のフレーズや黄色・黄緑色(ブラジルの色)の線が描きこまれてガラス絵のようになっていて、生々しい詩の生成の現場を呈していた。部屋にはヴァレリー・アファナシエフの弾くベートーヴェンのピアノ曲が流れ、壁の片隅にはゴッホの「カラスのいる麦畑」の写真版が飾られていた。ベートーヴェンは「むきだしの本気」の人であり、ゴッホもそう。吉増さんもここで「むきだしの本気」のモードに入っているのだろうか。
桃浦の小学校の展示や島袋道浩作品「白い道」など印象的な経験をへて、この「詩の部屋」は強烈なクライマックスであった。そして旅を通して石巻が幻めいて優艶に発光しているかのような感覚があった。
(池田康)
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2019年09月21日

背筋が伸びる

先日、仕事で信州に足を運んだ。空気がいいとか食べ物がうまいとか風景の(物語がまどろんでいるような)濃厚なのどかさとか魅力はたくさんありそうだが、なによりも北アルプスの堂々たる山容が素晴らしかった。ただただ高い。眺めているだけで、背筋が伸びる気がする。
育てている朝顔に白い花が咲いた。その株は遅れて芽を出したもので、他の先に大きくなった株に栄養を奪われるためかいつまでもひょろっとして貧弱で蔓もさほど伸びず蕾を用意する気配もなくこれはだめだと諦めていたのだが、9月も中旬になってやっと花をつけた。それが雪のように真白の花で、いきなりの出現に息をのんだ。もともと白い花の血筋なのか、それとも栄養不足で色素を作る力がないのか、それはわからないが、真白の朝顔はなんとも清らかだ。
ラグビーのW杯が始まった。ラグビーの魅力をわかりやすく紹介してくれるのでドラマ「ノーサイド・ゲーム」は途中から見ていたが、最終回、親会社の社長がどこかの外国のチームの試合前の儀式を解説するなかで詩(?)の朗読をして、ラグビーという競技の単なるスポーツを超えた、相撲に似た神聖な祝祭の性格を明らかにする一幕があり、これも心身に厳粛な感覚が流れた。
以上、背筋が伸びる話いくつか。
(池田康)
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2019年09月11日

修行僧よりも強い草木や虫

台風15号は一晩中吹き荒れていて、やたらと建具がきしみ、本当に恐かった。気象記録的にも強大な台風だったそうな。外に出していた朝顔がなんとか形と命を保っていたのは不思議なほどだ。翌日は台風一過の晴れで気温も上がり、世の中はもう正常に戻っているだろうと過信したのが間違いで、鉄道で近隣の街へ行ったら下りの電車はまともに動いておらず、満員のバスで長時間かけ苦労して帰ってくるはめになった。その疲れで頭痛を発症し、まだ余韻が続いている。停電などで困っているエリアもまだあると聞く。襲来の最中も恐怖の野分だったが、去った後に思いがけない諸々の困難が待ち伏せていたという次第。近所の木々は、たくさん枝葉をもぎ取られたものの、倒れた木はなさそうだ。夜になるとすだいていた虫のことも気になり、五分の魂の輩は軽く一掃されてしまったのではないかと心配したが、昨日の晩は何事もなかったかのように鳴いていた。生き延びたらしい。彼らはそれなりに強い。あの風雨に打たれて一晩立っているのは中世の不撓不屈の修行僧でも困難だろう。
(池田康)
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