2017年02月28日

四国行き

現代詩人会の高知大会(25日)を覗きがてら、『詩国八十八ヵ所巡り』の宣伝に四国各地の書店を回った。
大会のプログラムのメインは、林嗣夫氏の講演と武藤整司氏のビデオ講演。林氏の話は、言葉の働きが大小さまざまのフィクションを作り出し、それに囲まれ囚われて我々は生きているが、そこから出て、存在そのものが現れる光景ににまみえることの大切さを説き、思いがけないもの、他者性へ向けて開くことの重要さが語られた。武藤氏はあらかじめビデオに収録したものを会場で流すという風変わりさが妙に面白く、詩的生活と散文的生活とを語の羅列で端的に表現する巧みさ、さらに詩の発動を心の昂揚、実存の不思議、そして解放感という各ポイントで示していくリズムのよさを楽しむことができた。
今回の旅は、振り返ると順調そのものであり、利用した交通機関はすべて時刻表を一分と違うことなく正確無比に動き、訪れた四都市のどの書店でも担当の方あるいはそれに準ずる方に会うことができて、とても幸運だった。一昨年の北海道旅行では帰りの飛行機が雪で運行中止になったし、昨年の沖縄旅行では体調を崩して大変な思いをしたので、今回もハラハラしていたが、ありがたいことに杞憂だった。四国は再度訪れたくなる土地で、各地それぞれが長閑な心持ちで培う魅力の一端に触れることができた。
(池田康)
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2017年02月19日

書評の速報

今日の「しんぶん赤旗」に『詩国八十八ヵ所巡り』の書評が掲載されました。ご覧いただければ幸いです。
(池田康)
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2017年02月17日

さらに、小説の話

作曲家の新実徳英さんに教えられて読み始めたのは、4年前に亡くなった連城三紀彦。新実さんとは同級生かそれに近い関係だとか。匠の技の隙のない緻密な組み立てという点では二人は似ているが、とくに戦前や大正時代を舞台とした『戻り川心中』(光文社文庫)の諸作に顕著な頽廃の毒は、どちらかというと健康的な新実さんにはない要素だろう。現代物も心の病みの相が鋭く析出されて怖気をおぼえる。この世界は大好きではないかもと思いながら読み継いでしまうのはなんなのだろうか。
ロバート・A・ハインラインはラジオで紹介されていたのを聞いて読み始めた。長編小説は優れたストーリーテラーの練達の手並みを示すが、短編は素っ頓狂な発想の形而上学性に驚かされる。意想外の刺戟がかならずある作家。
というわけでここのところは『小さな異邦人』(連城、文春文庫)、『輪廻の蛇』(ハインライン、ハヤカワ文庫)の収録作を読んだりしている。
(池田康)
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2017年02月14日

二つの小説

誰かから勧められて小説を読むということが時々あって、正月にはいつかお会いした時に呉智英さんが言及していたカルペンティエルの『失われた足跡』を読んでいた。岩波文庫版を買っておいたまま一年くらい過ぎていたが(日の当たるところに置いていたので表紙も変色してしまった)、正月という大区切りのときしかないと一念発起で読み始めた。また一月末から二月初めにかけては野田新五さんに勧められ今評判の恩田陸『蜜蜂と遠雷』(幻冬舎)を読んだ。
どちらも音楽が柱となっている作品で、音楽の根っこを考える試みが見られ、文明国の娯楽市場システムを逸脱した音楽創造の可能性が描かれていて、専門家的視点からの音楽の記述描写は珍しい種類の刺戟をもたらす。
カルペンティエルはラテンアメリカのマジック・リアリズムの祖とも見なされているそうで(文庫解説による)、他方ではフランスのシュルレアリスムにも関わっていたようで、シュルレアリスムとマジック・リアリズムが音楽を伴いつつつながるというのは面白い。マジック・リアリズムとは言い換えればシュルレアリスティック・リアリズムということでもあるか。
『失われた足跡』にはそんなに濃いマジックの要素はないし、『蜜蜂と遠雷』もマジックの要素は希薄だが、音楽経験をたどる言葉の記述は幻覚を見ているかのような夢見心地の感覚を醸す。
(池田康)
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2017年02月12日

書評ごらんください

弊社刊『詩国八十八ヵ所巡り』の書評が今日の毎日新聞に出ました。ぜひご覧下さい。
(池田康)

追記
2月10日付の高知新聞にも書評が掲載されました。
2月19日付のしんぶん赤旗にも書評が掲載されました。
ありがとうございます。
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2017年01月31日

『詩国八十八ヵ所巡り』

shikoku88.jpg詩のアンソロジー『詩国八十八ヵ所巡り』(燈台ライブラリ3、1300円+税)がようやく完成した。カバー袖の案内文では「四国八十八ヵ所巡礼になぞらえ、近現代日本を代表する八十八人の詩人の作品を集めて百年の心の歴史をたどるアンソロジー。この一冊を繙く巡礼は、時代的視野を広げまた深め、詩の生まれる意味を考えさせ、文芸による心魂の浄化の可能性を証し、人生にきびしい核をそなえた真摯さをもたらすだろう。選・解説は高知出身の嶋岡晨。」と謳っている。時代を背負う詩文学の重みがひしひしと感じられ、新書判192頁のコンパクトな一冊にこれら88篇の詩がきれいに収まってしまったのは制作側としても驚きだった。
収録されている詩人は「峠三吉/鮎川信夫/山本太郎/田村隆一/谷川雁/黒田三郎/関根弘/宗左近/石原吉郎/金子光晴/天野忠/長谷川龍生/黒田喜夫/秋谷豊/菅原克己/飯島耕一/木原孝一/嵯峨信之/木島始/真壁仁/清岡卓行/石垣りん/川崎洋/伊藤桂一/井上俊夫/会田綱雄/山田今次/吉野弘/谷川俊太郎/城侑/山村暮鳥/高村光太郎/萩原朔太郎/佐藤春夫/西脇順三郎/田中冬二/宮沢賢治/八木重吉/丸山薫/北川冬彦/三好達治/尾形亀之助/高橋新吉/富永太郎/小熊秀雄/村野四郎/中野重治/春山行夫/草野心平/小野十三郎/山之口貘/瀧口修造/竹中郁/近藤東/坂本遼/原民喜/神保光太郎/永瀬清子/伊東静雄/高見順/中原中也/井上靖/津村信夫/菱山修三/槇村浩/立原道造/淵上毛銭/串田孫一/野村英夫/吉田一穂/安西均/吉岡実/中桐雅夫/三好豊一郎/那珂太郎/北村太郎/吉本隆明/茨木のり子/中村稔/新川和江/大岡信/白石かずこ/入沢康夫/三木卓/荒川洋治/葵生川玲/片岡文雄/嶋岡晨」といった並び。選出・解説の労をとっていただいた嶋岡さんには心より感謝したい。
今回このような本を編集してみて切実に感じたのは、テキストを決定する(それを校正する)大変さだ。一人の詩人の一つの作品でも複数の雑誌・詩集・選集に載っていてそれぞれ形が微妙に違っていたりする。どの版を典拠にするかによってテキストの姿が変わってくるわけだ。その決定は嶋岡さんの考え・指示に従ったものもあれば(鮎川信夫作品など)、編集部が入手・閲覧しうる最も信頼できそうな書物という観点で決まったものもある。有名な作品は△△文庫など普及版に拠っているものもある。萩原朔太郎の「竹」の第七行目はオリジナルは「かすかにふるえ。」となっているようなのだが、筑摩書房の全集版では「かすかにふるへ。」となっていて、こちらの方が文法的に正しいように思われるので、筑摩の全集に拠った。語法的に怪しかったり誤りに見えても、正しい表記に直っている本が見つけられなかった場合はそのままにしてある(そこまで踏み込んだ校訂は差し控えた)。そもそも詩を書くという行為はときに限りなく我儘で身勝手なのだ。旧仮名遣いのものもあれば新仮名遣いのものもあり、後者の場合でも拗音促音は小さい字にしないという作者の好み・方針に従った書き方のものもあり、それぞれ典拠したテキストの通りにしたので、統一感という点ではばらばらな混在の感じがするかもしれないが、それがこの百年という時代の幅なのだという認識をもって了解していただきたい。
そして更に、一作の背後には同じ作者による他の優れた百作二百作があり、選ばれた詩人の間には他の実力ある百人二百人の詩人がいるという無論の想像力も望まれる。詩に関心があるすべての人の必読の書、ぜひ手に取って下さいますよう。
(池田康)
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2017年01月28日

平井達也詩集『積雪前夜』ほか

北海道の二条千河さんが上京するというので、急遽「詩素」1号の執筆者で集れる人が集り、昨日ちょっとした研究会と食事会をしていた。二条さんが彼女の文学生活の出発点となった「三国志」の魅力とそれに基づく創作を語ったり、「詩素」創刊号についての意見を交わしたり、現代詩の根本的難点を議論したり。
平井達也さんも参加していたのだが、彼は最近詩集『積雪前夜』(潮流出版社)を出したので、その感想なども。平井さんは「虚の筏」「詩素」に作品発表していて、その都度なんとなく読んでいたが、一冊の作品集にまとまってみると「この人はこういう作者だ」というくっきりとした印象を受け取ることができる。苦いユーモアがあり、イメージの繋げ方が巧みで、生活の中の小さなずれや軋みを梃にして奇妙な呻きのこもった絵をつくってゆく。
「それにしても牛丼お新香セットが/美味しいことが悲しいのだ」(「昼休みの牛丼」)こんなささやかな哀歓も実感としてわかるのがまたもの悲しい。
「商談」の後半:

 営業マンというのも大変だ
 都内で雪男が発見されるくらいに大変だ
 山手線の外回りと内回りが結婚して
 小さな山手線を産むくらい大変だ

 誰も商談とは無縁でいられなくなって
 ファミリーレストランでは
 電卓と正直さは叩かれっぱなしだ
 ほんとうに私たちが交わすべき契約は
 どこかの錆びた金庫にしまいこまれたまま

お金を払ったり受け取ったりの、我々の生活を形成している商売というものの骨折りと胡乱さが今更ながらしみじみと感じられてくる。
「債務」という詩もある。その第4連:
「日々に債務が貼りついている。恋人も仲間もいつか去っていくのは誰かに返さなければならないものだからだきっと。それでも返済が終わることはない。永遠に万人から回収し続ける巨大な債権者がいる」
この債権者からは逃げることができないらしい……
(池田康)
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2017年01月18日

山野楽器に19号納品

銀座の山野楽器本店に「洪水」19号を納品しましたので、おでかけいただき、ご購入下さい。3階の楽譜・書籍売場です。
(池田康)
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2017年01月13日

脳の風邪

風邪の季節。この時期は誰しも一時的にバカを卒業する。ここのところ風邪の状態が続いていた。ちょっと咳をすると頭痛の叫びが反響する。そんななか数日前、新宿に出る用事があり、負担を最小限に抑えてなんとか切り抜けたのだが、その疲れが原因か、その夜、悪夢奇夢が怒涛のように襲ってきた。なにが起きているのか把握できないような異常なイメージの狂騒状態。なるほど幻覚とはこういうものかと思わせる出口のない堂々巡りの感じがあった。寝る前に飲んだミルクティのペットボトル製品の作用があったのか。お茶は元来薬であり、薬はなんらかの効能(副作用も含め)があるだろうから。しかし次の日、ミルクティを飲まずに寝ても同じような悪夢の連続が襲ってきたから、ミルクティに罪はないことが判明した。悪夢嵐は若干勢いをなくしながらその次の晩も来た。してみるとある種の風邪は悪夢の素を体内分泌するようだ。今回確かに頭部がブツリ的に妙な感じに過敏に腫れ上がったようになっていた。脳も風邪をひく。脳はバカではなかった。その風邪も抜けつつある。つまりもとの鈍感なバカに戻りつつある?
(池田康)
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2017年01月05日

正月の仕事

この地方はとてもいい天気だった正月三が日、今月下旬刊行予定のアンソロジーの本『詩国八十八ヵ所巡り』を早く印刷所に入れたいので、二日から仕事始め、最終校正をおこなっていた。昨年のうちに三度ほど校正を重ねていたので、もう誤りはないだろう、出てきたとしても一つか二つだろうと思っていたが、やってみると直すべきところが十以上も見つかって、憮然とした。発見できてよかったのだが、こういう詩のアンソロジーの本はテキストを正すことが難しいとつくづく思う。今日、遠方の大きな図書館に行き、最後に残った疑義も処置が決まったので、あとは印刷に付すばかりだ。
(池田康)
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