2018年11月16日

詠と気合いと

昨夜、「高橋アキ/ピアノリサイタル2018」(豊洲シビックセンター)を聴いた。プログラムは、マイケル・パーソンズ「オブリーク・ピース 18番、 21番」、佐藤聰明「藤田組曲」、湯浅譲二「内触覚的宇宙 II トランスフィギュレーション」、シューベルト「グラーツ幻想曲 D.605a」、カール・ストーン「フェリックス ─ ピアノとコンピュータのための」、そして最後は“ハイパー・ビートルズ”コレクションより、クリスチャン・ウォルフ編「エイト・デイズ・ア・ウィーク」、アルヴィン・カラン編「ホェン・アイム・シクスティ・フォー」、テリー・ライリー編「追憶のウォルラス」。
もっとも心に強く残ったのは、「藤田組曲」と「内触覚的宇宙 II」。前者は、画家・藤田嗣治を描いた映画「Foujita」(小栗康平監督、2015)に佐藤聰明さんがつけたオーケストラによる音楽を7曲からなるピアノ組曲にアレンジしまとめ直したもの。このうち「1. 前奏曲」は佐藤さん主催のある小さな会で奥様の佐藤慶子さんが弾いて披露されており、それも神経の通った印象深い演奏だった。今回は組曲全曲が聴けるという意味で「世界初演」となる。響きが実に繊細で、一音一音に耳の感覚が研ぎ澄まされる。すべてのピアニストがこの曲を弾くとよいと思う。というのは、こんなふうに“詠”と“気合い”だけで書かれた曲は他にあまりないだろうからだ(気合いじゃあない、純然たる音理であり、理の呼吸だ、と作曲者は言うかもしれない)。アレグロ楽章もない、骨格も単純な(明快ではない)この組曲を作品として上手に立たせるのは難しいだろうが、演奏家にとっては得がたい経験になるはずだ。
「内触覚的宇宙 II」は1986年の作品で、正体定かならぬ異形の音のオブジェ的怪物として力強く輝いた。怖いような棘のたくさんある曲で、このホールのピアノであるファツィオリ(Fazioli)の特徴的な艶のある高音がそれを一層燦然と演出しいていた。解説で作曲者はこう書いている。「不協和なコードを、美しく響かせるためには、コードの内部構成に見合う、特有の音域を選ぶ必要がある。オクターヴはおろか、4、5度のトランスポジション(移調)さえ許さない特定音域特有のソノリティを追及したつもりである」「この曲は、書かれた音符そのものというよりは、むしろペダルによってブレンドされたリヴァイブレーション(残響)の変幻、変遷を時間軸にしたがって聴き込んでいく曲と言えるだろう」。音が独自の理法で凝集しようとするその力学を感受する曲のような気がした。
高橋アキさんはアンコールのサティ、ドビュッシー、武満徹に至るまで泰然とした冷静さで性格の異なる各曲をみごとに演奏し、ますますの健在ぶりだった。(池田康)
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2018年11月10日

訪れた二つの個展

最近足を運んだ催し。山本萠・書とカレンダー原画展(小平市のNMCギャラリー)、伊福部玲作陶展(八王子市のギャラリースペースことのは)。わが居住地からするとどちらもかなりの遠征だ。美術館や博物館でひらかれる大きな展覧会ではない、こうした個展の良いところは、多くの場合、作者と言葉を交わせる点だ。展示されている作品についてこちらが的を得た感想を言えるわけではないのだけれど、作者ならではの導き入れや解説をしてくれるので、それだけ個々の作品に近づくことができる。
山本萠さんは今回、拙作の詩の一節を書に仕立てて下さっていて、とても有難く嬉しいことだった。人気のカレンダーの絵も魅力的。(すでに会期終了)
伊福部玲さんの今回のテーマは、ヤマタノオロチと酒。日本の古代神話の悪役が登場するところは、その反骨ぶり、ゴジラの音楽をつくった作曲家の娘さんらしい。こちら、会期は明日まで。明日は午後に舞踊の特別イベントもあるらしい。
伊福部玲さんは「みらいらん」次号で“手に宿る思想”インタビューに登場していただく予定。すでにお聞きした、縄文土器の野焼きの話も楽しかった。どうかお楽しみに。
(池田康)
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2018年11月02日

詩素5号

詩素5表紙画像.jpg詩素5号が完成した。今号の参加者は、海埜今日子、北爪満喜、小島きみ子、坂多瑩子、酒見直子、沢聖子、菅井敏文、大家正志、たなかあきみつ、南原充士、二条千河、野田新五、八覚正大、平井達也、平野晴子、南川優子、八重洋一郎、山中真知子、山本萠、吉田義昭のみなさんと、小生。〈まれびと〉には細田傳造さんをお招きした。巻頭トップは、平井達也さんの「ひげ」。定価500円。
表紙は北原白秋の詩より。
(池田康)
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2018年10月28日

宝石はどう生まれるか

19世紀には女性の作曲家で著名な人はいないが、20世紀以降は事情が変わってきており、誰でも知っているというわけではないけれど戦後はソフィア・グバイドゥーリナのような実力者が数人はいるようだし、ポピュラー音楽の分野なら幾人も名前を思い浮かべられそうだ。今のNHKの大河ドラマでも原作・脚本とともに音楽も女性の作曲家のようだし、最近見た映画『日日是好日』(大森立嗣監督)も世武裕子という初めて名前を聞く女性作曲家が音楽を担当していた。その音楽、乱暴に大雑把に言えば、特別にすごく感動的というほどではなく普通に映画音楽として感じ良いもの、といった印象だったが、終盤、主人公の典子(黒木華)が、そうか、日日是好日(にちにちこれこうじつ)ってそういうことなのかと感嘆とともに独白する、そのあとのピアノは今まで聴いたこともないような響きがあってとてもよかった。指輪に例えればここが宝石の部分に当たるのだろうか。
物語の中のシーンとしては、喪服の典子が武田先生(樹木希林)を訪れ二人で縁側に座って話をする場面がもっとも心情の凝集度が高いように思われた。茶道の作法の細部を見ることができるのも興味深く、十二年に一度しか使わない茶碗があるというのも茶道の時間感覚の息の長さを感じさせる(この映画も戌年にしか見られないということになる?)。
茶道といえば千利休だが、これも最近東京国立博物館に見に行った「マルセル・デュシャンと日本美術」展(京都のIさんにチケットをもらった)に千利休にまつわる展示があり、利休は当時人気があった派手な茶碗ではなく黒っぽい地味な茶碗を用い、花瓶もそこらに生えている竹を切って即席に作った、その革新性がデュシャンに通じると説明されていた。なんでもないものをも宝石にする、天才的閃きがもたらす価値観や美学の転換が「ナントカ道」の発端にはあるということだろうか。
(池田康)

追記
同じく音楽=世武裕子ということで映画「リバーズ・エッジ」(行定勲監督、2018)もDVDで見る。岡崎京子のマンガをもとにしているとのことで、映画も音楽も牙むいている。この人は歌もうたうようで、ラジオで紹介されていた、最近のCD『RAW Scaramanga』も聴く。ヨーロッパの先鋭的な音楽家が作ったポップ音楽、というかんじのものか。いくつかの曲で彼女のオルガニックでスモーキーなピアノが聞ける。腹にひびく声を持っているような、そんな気骨のピアノ。

追記2
東京国立博物館の門を入った正面に立つ巨木は、公孫樹だろうかと漠然と思っていたが、木の名札を見るとユリノキだった。
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2018年10月20日

みらいらん3号の“対話の宴”

「みらいらん」次号の“対話の宴”の対談イベントが下記のように決定いたしました。今回はゲストに有働薫さんを迎え、外国詩とくにフランスの詩を取り上げます。是非ふるってご参加下さい。

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洪水企画&エルスール財団共同企画トークイベント

野村喜和夫の詩歌道行@
 野村喜和夫 × 有働薫

『現代フランス詩の地図を求めて』

舶来の詩はいかつい黒船か、いとしい渡り鳥か。今年ジャン=ミシェル・モルポワ『イギリス風の朝』(思潮社)を翻訳刊行した有働薫さんを迎えて、フランス詩の受容の現在を考え、詩の翻訳の意義や醍醐味についても語り合います。

日時:2018年11月17日(土曜日) 15:30〜17:30 (15時開場)
場所:ブックカフェ「エル・スール」(詩とダンスのミュージアム内。世田谷区羽根木1-5-10)
入場料:2500円(+1drink order)
申し込み方法:メールまたは電話で。
エルスール財団
03-3325-5668
info@elsurfoundation.com

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会場への地図はこちらのリンクでご確認下さい:
プリント用のPDFはこちらです:

(池田康)
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2018年10月18日

嶋岡晨詩集『アメンボーの唄』

amenbo2.jpg嶋岡晨さんの新しい詩集『アメンボーの唄』が完成した。洪水企画刊、A5判88頁、1800円+税。この一年以内に書かれた32篇を収録、筆力の旺盛さ、頭脳の矍鑠さは驚くばかり。「みらいらん」に連載している「びっくり動物誌」のように動物を素材にした作品が多く、虚実を往還して変幻自在で、世界のあらゆる場所・あらゆる角度からの抒情が交錯する。帯の紹介文では「けなげな有象無象たちが哀切に私語=詩語する幻妖な世界寓話のパノラマ」と紹介している。風変わりにシンプルな装丁は嶋岡さん自身が設計した文字組みをそのまま活かして作ったもの。タイトル作は水面で生活するアメンボーに仮託しての独言の詩だが、ここでは動物詩ではなくかなりストレートな「ある領域」という作品を引用紹介したい。

 その世界では
 死んだ者は一人もいない
 祖父は磯釣りに行ったまま
 祖母は竃の前にしゃがんだまま
 母は息子のため毛糸を編みつづけ
 父は巡邏に出かけたまま
 従妹は片手もげた人形をおぶったまま

 帰らない叔母を待ちつづけ

 七十五年経つが
 死んだ者からの近況報告がない
 小型の旧いロボットのように
 倒れたとたんみなすぐ起き上がる
                らしい

 おれ自身 倒れるとすばやく立ち
 魂を そっと 他人のものと
              入れ替える。

(池田康)
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2018年10月09日

珍しくて懐かしい

itotonbo.jpg糸とんぼを見る。最近、自宅近くや駅周辺で糸とんぼを何度かみた。人によってはそんなのは珍しくないと言うかもしれないが、私にとっては子供のころ見て以来数十年ぶりだ。その繊細な姿は昆虫造型の粋。写真をご覧下さい。
モーツァルトを聴く。正直モーツァルトなんて珍しくも何ともないけれど、初めて聴く曲となると別だ。昨夜、NHKFMで或るコンサートの録音を流していて、アカデミッシェ・アンサンブルという室内オーケストラが交響曲第33番K319(初めて聴く、と思った)を演奏するのを聴き、正確な音の動きの中に生ずる溌剌とした喜悦にああモーツァルトだなあと無心に傾聴した。指揮はシュテファン・ドールというホルン奏者で、この作曲家の4曲のホルン協奏曲も演目として聴くことができた。これらは昔カセットテープに入れて繰り返し聴いていた曲。懐かしく、しかしカデンツァは新鮮に聴けた。
漢詩を読む。いま、池澤夏樹著『詩のなぐさめ』『詩のきらめき』(岩波書店、大胆にくつろぐという方針が気持ちのいいエッセイ)を読んでいるが、中国の昔の詩を紹介する章が意外に多く、漢詩独特の響きが懐かしい。中学校で、杜甫や李白や孟浩然なんかを学んだ経験はいまだに強烈で、腹の底であれらの詩句がまだ光を放っているように感じるのだ。さて李賀という詩人の名前はよく聞くが、今回初めて作品を読んだ(と思う)。この人の才能は「鬼才絶」と呼ばれたそうだが、奇想の走り方や修辞の鋭さが他の人と違うのだろう、古今和歌集に対する新古今と同じような、精緻の極みの趣があるか。李白がモーツァルトなら李賀はドビュッシーだろうかなどとも考えた。
漢詩に敏感になったのは、「みらいらん」次号で小特集「異国の詩歌と睦ぶ」を計画しているため。この小特集は、野村喜和夫氏がホストの小誌対談シリーズで今回有働薫さんを迎えてフランス詩を論じていただくことになっているのにちなんでの企画。そして肝心の両氏の公開対談はいまのところ11月17日(土)を予定している。
(池田康)
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2018年09月29日

秋の楽しみを見つける

秋には秋の食べ物が出てくる。果物では梨がその一つだが、この秋は豊水という種類の梨をよく食べている。幸水が直線的な味わいなのに対して豊水はふくらみをもった甘さがあるような気がする。どれだけ食べても味の芯に当たらないようなすれ違う感じがするのも梨のほのかな虚無主義のようで面白く、この果物の名前(ひっくり返して有りの実ともいう)にも相応している。
風呂。夏にはシャワーで十分という感じだったが、秋はむしろ風呂に浸かるといい。シャワーは水の音が邪魔で外の音が聞こえないのが惜しい。風呂の湯に浸かりながら秋の虫のすだきをじっと聴いているのは格別の風流なのだ。え?うちでは虫の音なんて聞こえない? それはあなたの居住地域の是非を真剣に考え直してみるほうがいい。秋風呂にコオロギ。
読書の秋、という標語はおそらく万年下位のプロ野球チームのファンが作ったのだろう。彼らは秋になると独特の悟りをひらくのであり、あらゆるそわそわを克服した明鏡止水の落ち着きで頁の上の無愛想な文字と向き合えるのだ。実際、夏には目を逸らしたくなるような重厚な本も、秋になるとなんとなく取り組めるような気がしてくるものだ。優勝チームのファンが無邪気に浮かれている間に、小難しい本を一冊読む、これが秋の最善の過ごし方だ。
(池田康)
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2018年09月20日

死してなお…

安室奈美恵が引退するとか稀勢の里が引退をまぬがれたとかいろいろ騒がしいが、この人も一種の引退だろうか。樹木希林死す。最後の最後まで映画の仕事をしていたようだ。彼女が出演した近年の作品に「歩いても 歩いても」(2008、是枝裕和監督)があるが、それと主人公とその姉(阿部寛・YOU)が同じのテレビドラマ「ゴーイング・マイ・ホーム」(2012)を最近DVDを借りて観ていた。同監督が脚本・演出を担当し、ホームドラマで父親が死に向かうという点も同じ。しかし全体の雰囲気がキャストに左右される点もあるのか、色合いはずいぶん違っており、前者が癒しがたい闇を抱えているのに対し、後者が穏やかにピースフルにまとまっているのは、母役の吉行和子のカラッとした朗らかさや妻役の山口智子の自然体の陽旋律に引っ張られているようにも思われた。「歩いても 歩いても」の樹木希林(母役)はたえず闇を分泌し、人間のダークサイドを露呈させることに巧みで、罪業を許容する懐をもち、いたって冷静な道のりで狂気に辿りつく。まことに希なる「恐いおばあさん」。女優という人たちの大多数はいつまでも美しさを磨くことに精進するのだろうが、彼女はその逆の方向に歩いていたようにも見えるのだ。まだ未公開の映画もあるようだから、死してなお引退せず、と言わなければいけないのかもしれない。
(池田康)

追記
テレビで追悼放映された映画「わが母の記」(2012、主演=役所広司・樹木希林)を観た。原田眞人監督作品にこんな逸品があったのですね。作家の主人公が子供時代に作った詩についてのエピソードもすばらしい。
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2018年09月16日

七月堂の古書店

この夏から秋にかけて、案内をいただいたいろいろな催しにまったく足を運ぶことなく、狭い範囲での暮しに終始した。鬱というほどではないが出不精が嵩じているのか、行こうかどうしようか一応迷いはするのだが前向きの結論が出ないままどんどんタイムアウトになっていく。冬眠ならぬ夏眠の状態で、あいつはどこかの山の穴の中で惰眠をむさぼっているのだと許していただきたい。
そんななか、先日仕事の打合せで七月堂(世田谷区松原)へ行ってきた。七月堂は最近本格的な古書店を事務所の隣に併設したとのことで、覗いてみると堂々たるもので、しゃれた感じの店内に面白そうな本がたくさん並んでいる。さすがに詩書が多い。同人誌もありがたい品揃えで目立つところに置いてある。代表の知念明子さんによれば明大前の駅周辺には本屋が少なくなってきているそうで、その趨勢に抗して街に出版文化の灯をともすべく思い切って店を開いたのだそうだ。なにかのついでにでも是非一度行ってみて頂きたい。京王線明大前駅から徒歩3分。
(池田康)
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