2023年03月21日

たなかあきみつ詩集『境目、越境』

表紙画像2.jpgたなかあきみつさんの詩集『境目、越境』が完成した。並製120頁、判型は変則的な198×128ミリ。定価税込1870円。
みらいらん11号(火竹破竹)でたなかさんの詩の特徴を「この詩人の詩法はイメージの百叉路を奇妙なリズムで編み上げるシュルレアリスム亜種であり……」と書き、この本の裏表紙の紹介文には「奇韻の前衛の探求者たなかあきみつによるイメージとリズムの錯綜が行方しらぬ未踏のラビリンスをつくりあげる28篇。」と記したが、まさにそのような作品が並ぶ。タイトル作と言える2篇の「境目、あるいは越境」は大病を患い緊急入院して死を覗き見たときの経験を書き留めたもの。さらには伴侶との死別をうたった重要作品もあり、前衛的な書き方の背後に生の重さをひそませている。
造本は洋書ペーパーバックのテイストを目指した、カバーも帯も見返しもない簡素なもの。この造りの本を〈RAFTCRAFT〉のサブレーベルで出すことにした。「RAFT」は筏、「CRAFT」は細工とか工芸とかの意味があり、また、船、飛行船、宇宙船の意味もあるので、「いかだ飛行船」の意味とするのも面白いかと。これは詩誌「虚の筏」からの発想。
表紙はリトアニアの画家スタシス・エイドゥリゲヴィチウスの作品「King Ubu」が飾っている。これはアルフレッド・ジャリの戯曲「ユビュ王」のこと。
さて収録作からなにか一篇紹介したいが、裏表紙には「空の灰青へ」の一部を載せたが、ここでは「(ウナギのうしろ影は)」を引用しよう。他の作品と比べて重要性はどちらかというと低そうだが、たなかさんの詩法が純粋かつ柔軟に、微量のおかしみとともに、わりと辿りやすい形で繰り出されていると思われるので。

 ウナギのうしろ影はもっぱら
 鰓蓋もどきのレンズどうしだとしてもレアル
 しどろもどろにメビウスの蝶結びが切断されて
 その血がばしゃばしゃ滲む《レアル》の岸辺で

 いつも掴み損ねていた
 ウナギの行方については
 Alzheimer氏の記憶の遠い声はまったく言及しない
 ウナギを追う眼光のカンテラの火影にも

 ウナギの肉の動線はのたうちまわる鞭
 いわば眇で撫で肩でやみくもに
 夏の嗄れ声が回廊に与する、それとも
 その頭頂部でもっと暗い稲妻はぎざぎざ弾けよ

 ウナギののたうち、すなわちグイッツォの
 ぬるぬるした質感についても放火の
 記憶の消失が実景の焼失と折りかさなれば
 ウナギの棲む川の水嵩はますます空荷になるだろう

 ウナギの陽炎に最接近する《無題》という名の苛烈な水域
 ウナギの流木、すなわち後年の旅路の友・鰻煎餅とて
 脳裡の黄緑の沼地を蛇行するウナギ切手の図柄
 流木の残水は無観客の頭部に刺さる折れ釘になる

 やや細身の生物の元高校教師の脳内で
 またもや健在の溶けない《氷の塔》の方位がずれる、
 あるいはマンディアルグ氷河の火花散るアヴェマリアよ
 シューベルトの喉の冬の《迷子石》のころがり係数はウナギのぼりだ

(池田康)
posted by 洪水HQ at 11:30| 日記

2023年03月12日

悲歌と歓喜の歌と

作曲家・新実徳英さんの新作が初演されるとの案内を受け、昨日、「第9回被災地復興支援チャリティ・コンサート」をミューザ川崎シンフォニーホールに聴きに行った。秋山和慶指揮、洗足学園ニューフィルハーモニック管弦楽団。メインのプログラムはベートーヴェンの交響曲9番。東日本大震災発生の3月11日午後2時46分に黙祷をしてから演奏会が始まる。
新実徳英「交響組曲〈生命のうた〉」はオーケストラと合唱を組み合わせた堂々とした大きな曲だった。トルコの詩人ナーズム・ヒクメットの詩を音楽化した、5章からなる作品。委嘱の時点でこのコンサートが大前提だったので、あらかじめベートーヴェンの第九とうまくつながるように考えて作曲を進めたとのこと。それでオーケストラに合唱も使うという贅沢な特別編成になったのだ。とくに第4章の「死んだ女の子」がよかった。オーケストラ曲としてはきわめて音の動きの少ない寂とした景の構成のうちに悲痛さがみなぎる。この詩は広島の原爆被害から発想されたものという。そして「これは大発明だ!」と感じた。つまり、ベートーヴェンの第九は第4楽章の歓喜の歌を最大の特徴とするが、その前に演奏される曲として、20世紀・21世紀の悲劇を嘆き悲しむ悲歌(エレジー)をもってくるというのは、非常な対称の妙があり、効果絶大なのだ。この新曲は演奏時間が40分もあり、第九の前に置くのは正直長すぎるから、この「死んだ女の子」を中心として15〜20分くらいの曲を編集・作曲し直すのもよいような気がする。
そして、メインの第九も迫力があった。オーケストラというものはベートーヴェンの交響曲のうたい方をよく心得ているものなのだろう。第4楽章の中程のテノールの見せ場があって、コーラス全体が歓喜のメロディをうたい、そのあと、男声合唱と女声合唱とを交互に使って巧みに劇的に組み立てるあたり、とりわけ立派で、この大作曲家の卓越した腕前にあらためて目を見張った。
(池田康)
posted by 洪水HQ at 13:21| 日記

2023年03月06日

フェルドマンの聴き方

ピアニスト・井上郷子のリサイタルを聴く。3月5日夜、東京オペラシティ・リサイタルホール。プログラムは三人の作曲家、モートン・フェルドマン、伊藤祐二、リンダ・カトリン・スミスの作品からなる。いずれもピアノという楽器を比較的シンプルに使っていて、名人芸や超絶技巧は出てこないという点で共通している。
フェルドマンの音楽はわかるかわからないかで言うと憚りながら「わからない」部類に入るが、彼のあやうい音楽思考が感じられればとりあえず良いのだろう。音の横のつながりが旋律を成したり明瞭な楽想の魅惑を形成したりしてはおらず、むしろ淡々とした音の無作為の生成と消滅以外の何ものでもないとも言え、音の粒が天から降ってくるのを茫然と見守る感じだろうか。滝に打たれて洗礼されているような、という比喩的表現も当たっているかもしれない。ただし激しい滝ではなく、ごくごく楚々とした神秘の滝なのだが。今回最後に演奏された「ペレ・ド・マリ」のようなフェルドマンの長い曲はむしろ家で仕事をしながら「そば耳」で半意識の外れのところで聴くのがよいようにも思う。だからコンサート会場でも暗くせずに昼のように照明をつけて、皆さんなにか読みながら聴いて下さいという形でやってみるのも音楽のあり方として面白いのではないか。
伊藤祐二「偽りなき心 II」もとてもベーシックなところで音楽を組み立てようとしていて、固唾を呑むのだが、謎めいた和音や、和音とも言えなさそうな音の塊も出てきて、この曲はもとは木管五重奏だったというから、そのときにどんな響きをなしていたのだろうと想像でそわそわした。
スミス作品(2曲)は、華やかな響きと認知しやすい音型、陶酔的反復などを特性として有していて、リスナーフレンドリーの愛想の良さがあるからピアニストも心安らかに弾くことができたのではないか。後半に演奏された「潮だまり」は委嘱作品で世界初演、コンサートの点睛的演目になっていた。
(池田康)
posted by 洪水HQ at 15:46| 日記

2023年03月02日

望月苑巳『スクリーンの万華鏡』

カバー画像S.jpg望月苑巳著『スクリーンの万華鏡』(燈台ライブラリ5)が完成した。サブタイトル=「映画が10倍楽しくなる秘話の栞」。新書判320ページ、税込1650円。著者が夕刊フジに書いた映画エッセイがもとになっている。記者として長年映画に接してきた人間ならではの愛情とざっくばらんさが特色と言えるだろう。映画評論というよりむしろガイド本で、映画製作にまつわる裏話、こぼれ話を多く紹介している点が特色となっており、読んでいるうちに映画が立体的に見えてくること請け合いだ。作品の評価については新聞記者という立場に要求される公平で広い視野に由来してか世評というものを相当に重視していると言えるが、章立てや内容構成に独自の映画観も感じられ、とくに同世代の監督たちの作品を論じた章は熱い思いがじんわりと伝わってくる。
この本の内実をお伝えするには目次をそのままここに呈示するのが一番いいと思われるので、ご覧いただきたい。

(1)さらば岩波ホール 時代を飾った名画たち
惑星ソラリス/旅芸人の記録/ルートヴィヒ/八月の鯨/宋家の三姉妹
(2)令和にみる三島由紀夫の世界
金閣寺/潮騒/憂国/美徳のよろめき/獣の戯れ
(3) これが社会派、松本清張の世界
砂の器/点と線/ゼロの焦点/わるいやつら/眼の壁
(4) SF作家小松左京が見ていた未来
復活の日/日本沈没/エスパイ/首都消失/さよならジュピター
(5) 映画でみる太平洋戦争、開戦のあの日
トラ・トラ・トラ!/パール・ハーバー/ハワイ・マレー沖海戦/1941/聯合艦隊司令長官 山本五十六
(6) 映画からみたベトナム戦争
プラトーン/フルメタル・ジャケット/ランボー/フォレスト・ガンプ 一期一会/ディア・ハンター/地獄の黙示録/7月4日に生まれて/デンジャー・クロース 極限着弾
(7) 戦慄、衝撃、リアルな実録映画事件簿
TATTOO[刺青]あり/白昼の死角/復讐するは我にあり/クライマーズ・ハイ/丑三つの村
(8) 独断と偏見による10本の傑作選
シベールの日曜日/バグダッド・カフェ/ベンヤメンタ学院/この森で、天使はバスを降りた/ブコバルに手紙は届かない/變臉―この櫂に手をそえて/サルバドル 遥かなる日々/八月のクリスマス/日の名残り/レオン
(9) 日本美女目録1〜島田陽子という女優
球形の荒野/花園の迷宮/動天/将軍 SHOGUN/犬神家の一族
(10) 日本美女目録2〜原節子
わが青春に悔なし/東京物語/青い山脈/めし/小早川家の秋
(11) 日本美女目録3〜夏目雅子
鬼龍院花子の生涯/時代屋の女房/二百三高地/瀬戸内野球少年団
(12) これが世界のミフネ伝説
酔いどれ天使/羅生門/黒部の太陽/レッド・サン/椿三十郎
(13) 不完全燃焼、松田優作のすべて
野獣死すべし/蘇える金狼/狼の紋章/探偵物語
(14) 今明かす黒澤明の映画トリビア
姿三四郎/七人の侍/天国と地獄/赤ひげ/用心棒
(15) 今よみがえる相米慎二の世界
セーラー服と機関銃/ラブホテル/魚影の群れ/台風クラブ/風花
(16) 異才 森田芳光が描き続けたもの
の・ようなもの/家族ゲーム/失楽園/武士の家計簿/阿修羅のごとく
(17) 巨匠・森谷司郎が描く日本の光と影
八甲田山/動乱/海峡/聖職の碑
(18) 藤田敏八が魅せるハードボイルドの世界
八月の濡れた砂/赤ちょうちん/スローなブギにしてくれ/ダブルベッド
(19) エロスとバイオレンスの石井隆という男
天使のはらわた 赤い眩暈/ヌードの夜/GONIN サーガ/花と蛇/死んでもいい
(20) 知って得する名画のトリビア五輪
小さな恋のメロディ/エマニエル夫人/E.T./風と共に去りぬ/愛と青春の旅だち/泥の河/スウィングガールズ/人間の証明/キッズ・リターン/アウトレイジ/その男、凶暴につき/座頭市/菊次郎の夏

映画紹介の本は固有名詞が多く出てきて校正に苦労するだろうなと予想はしていたが、作業の大変さは予想をはるかに超えた(とくに島田陽子の章は苦労したので、この本には島田陽子追悼の気持ちも少し込められている気がしている)。それだけにこうして一冊が完成して非常に嬉しい。
(池田康)
posted by 洪水HQ at 14:36| 日記

2023年02月13日

高橋馨詩集『蔓とイグアナ』

表紙画像S.jpg高橋馨さんが詩集『蔓とイグアナ』を洪水企画から刊行した。一昨年の『それゆく日々よ』に続く作品集。A5並製96ページ、1800円+税。スナップ写真と詩を組み合わせて異次元の諧謔の対話を試みる第一部、自由線画の奔放自在な実践の成果を世に問う第二部、ヴァージニア・ウルフ「ダロウェイ夫人」の鋭利な読解に熱を帯びる第三部からなり、詩人・高橋馨の異才ぶりが存分に発揮されている。
第一部の様子は、冒頭の作品「記憶の階段」を読むのがいいか。街の通りを女の人?が日傘を差して歩いており、その影が道にくっきりと落ちていて印象的で、背後の建物の細い隙間に上階へと上がってゆく骨だけの階段がわずかに見えている、そんな写真に、次のような詩テキストが添えられている。

 泣き出したくなるほど
 懐かしい なのに
 どうしても 思い出せない場処がある。

写真と対話し、沈思し、からかい、戯れる、そんな雅な試みと見える。
第二部の自由線画については詩人自身の言葉を聞こう。
「自由線画は、何も描かない、無意識の悪戯描きのような手慰みである。何かに似てきたと気づいたら、物理的に抹消するのではなく、その線を生かしつつ、別のイメージとして描き続けねばならない。つまり描かれた線は抹消されない。(中略)わたしが、自由線画に求めたのは、おおらかな夢とユーモアと線の根源的な優美さと明晰さの四点である。例えば、ギリシアの壺絵のような──。」
“無意識の悪戯描き”の自由線画40点が載っており、眺めて楽しむのみ。夢なるものをある仕方で結晶させたらこのような形象になるのかもしれない。
第三部の「ダロウェイ夫人」論はとても犀利で、刺戟を受けること間違いない。
「あらゆる対象(オブジェ)・他者には、自我に対する喚起力が潜んでいる。そうした意味で、鏡である。逆にその喚起力が働かなければ、他者でもなければ鏡でもない。窓辺の老婦人が真の喚起力を発揮するためには、セプティマスの悲惨きわまりない自殺を、衝撃をもってクラリッサが受け止めなければ、老婦人の静謐なたたずまいが、他者として対象とは決してならず、自己肯定的な陶酔的なドリアン・グレイ流の肖像にしか過ぎない。老婦人とクラリッサとの間に深刻な断絶あるいは断層を想定して始めて二人の間にシンパシィーが成立するのだ。」
とか、
「ピーター・ウォルシュとは、だれであろうか、ケンジントン公園のピーター・パン、すなわちポエジーの化身なのだ。」
とか、ドキリとさせられることがたくさん書かれていて、非常に重みのある評論となっている。
ぜひ時間をかけて丹念にご覧いただきたい。
(池田康)
posted by 洪水HQ at 10:07| 日記

2023年02月02日

野村家の三冊

昨秋は野村喜和夫・眞里子さん夫妻にとって非常に稔り豊かだったようだ。
喜和夫氏は詩集『美しい人生』(港の人)と評論集『シュルレアリスムへの旅』(水声社)を、そして眞里子さんはエッセイ集『アンダルシア夢うつつ』(白水社)を上梓した。秋なのに満開の春を謳歌している!?
『アンダルシア夢うつつ』は「南に着くと、そこにはフラメンコがあった」という副題がついている通り、フラメンコダンサーの著者がフラメンコについて、そしてスペインの生活・文化について広い視野で細やかにつづっており、しかも読みやすく楽々とページが進む。リズム、詞、衣裳、歴史、年中行事、代表的ダンサーや奏者など語られて、フラメンコの文化としての奥行きが多角的に示され、この舞踊ジャンルへの距離が一気に縮まる感がある。しかしなによりも著者の行動力には脱帽だ。専門家としてフラメンコに関するもろもろの知識を披露するページももちろんおもしろく読めるが、本人が現地に行って、特別の人やものと出会う場面は一つ一つがスリルと冒険であり、熱量が著しく高まり、本書の一番の読みどころと言えるだろう。
野村喜和夫詩集『美しい人生』は、書名も驚きだが、この詩人にしては例外的に素直でストレートな書きぶりの作品が多く収録されていて、仰天した。前半の3章「美しい人生」「場面集」「伝説集」がとくにその傾向がある。焼きつけられる思いがしたのが、第一章IX「(たとえいま街々が──)」の中の次のくだり。

 きょうも私は私自身を覗き込む
 その真ん中の
 心と呼ばれるもの
 さらに真ん中のあたりで
 独楽のように静かに回転している美しいあれを
 なんと呼べばいいのだろう
 簡単には言葉にできないけれど
 それでも言葉にしたい
 生きる力そのもののような
 美しいあれを

『シュルレアリスムへの旅』については「みらいらん」11号で紹介したのでここでは省く。これらの充実した本は、コロナウイルス騒動の三年をくぐったからこそ生まれた、という面もあるのかもしれない。ちなみにこの春には、喜和夫氏の対談集『ディアロゴスの12の楕円』が洪水企画から刊行の予定となっている。
(池田康)

追記
野村喜和夫さんの『美しい人生』は第4回大岡信賞を受賞したとのこと、おめでとうございます。
posted by 洪水HQ at 12:10| 日記

2023年01月21日

作曲家エンニオ・モリコーネの仕事

いま、仕事やらなにやらでやたら立て込んでいるのだが、その間隙を縫って、映画「モリコーネ 映画が恋した音楽家」(ジュゼッペ・トルナトーレ)を見た。映画音楽で活躍したイタリアの作曲家エンニオ・モリコーネのドキュメンタリー。このジャンルの映画は鑑賞者を限定しそうだ。しかし映画・ドラマに関心がある人はぜひ見るべきだし、音楽が好きな人も二十世紀の音楽の動向を確かめるために見逃してはいけないだろう。とすると、ほぼすべての人に勧められる映画ということになる!? モリコーネが参加した代表的な作品の音楽のサワリが彼の解説に伴われて次々と奏され、魔法のようにこちらの耳に踊りこんできて魅惑し、音楽のインスピレーションが裸形で立ち現れる、その驚異。今月見るべき最重要の一本。
(池田康)
posted by 洪水HQ at 11:00| 日記

2023年01月17日

壁画12号&その他のお知らせ

個人誌「壁画」12号をつくりましたので、次のリンクからご覧下さい。
http://www.kozui.net/artnote/hekiga/hekiga12.pdf

その他の情報、お知らせなど。
杉本徹さんから連絡をいただいたのだが、慶応義塾大学アートセンター(三田キャンパス)で、「西脇順三郎没後40年記念 フローラの旅展」が始まっているようだ。3月17日まで。西脇が野の草木を愛したことを巡る展示のよう。土日祝日は休館。
それから、阿部弘一さんが逝去されたとのこと。ご遺族の方からご連絡をいただいた。お会いしたことはなかったように思うが、弊社の雑誌に何度かご寄稿いただいている。ご冥福をお祈りいたします。
(池田康)
posted by 洪水HQ at 17:59| 日記

2023年01月07日

この正月の読書

この正月は久し振りの小旅行に出かけ、気持ちを新たにすることができた。人混みにもまれながらも、どこまでも広がりつづける風景を楽しみ、なつかしさに呼吸が深くなる瞬間もあった。
旅先の本屋で見つけたのが、マルクス・ティール著(小山田豊訳)『マリス・ヤンソンス すべては音楽のために』(春秋社)だ。昨年の夏の刊。この指揮者を贔屓にしていてCDを何十枚も持っている私としては、読まないわけにいかない。
ヤンスンスの音楽家人生が詳細に辿られるのはもちろんだが、オーケストラと指揮者との関係がいかなるものかを知るためにも大変参考になる本。首席指揮者はそのオーケストラの「シェフ」であり、養育者(オーケストラビルダー)であって、誰を「シェフ」に迎えるかについて各オーケストラの責任者・経営陣は本当に真剣に熟考、検討を重ねる。あたかも一国のリーダーを選ぶのと似ているかもしれない。その生理、化学反応、個性にそった成長のありさまがすべての頁にいきいきと描写されていて、活動の奥行きが可視化され、オーケストラ音楽について理解を深くすることができる。
ヤンソンスの音楽家生活で惜しまれることが一つあるとすれば、オペラを振る機会が少なかったことだろうか。とくにワーグナーは断片的に取り上げただけでオペラ作品を一曲通して演奏する機会がなかったようなのはとても残念だ。
そのほか、この正月に遭遇したり情報をもらった出版物について述べると、いりの舎から『玉城徹訳詩集』が出たこと(ゲーテ作品が多い)、南原充士さんが新しい詩集『遡及2022』をアマゾンkindleで出したこと、それから元旦には高岡修句集『蝶瞰図』(ジャプラン)を読んでいた。陽炎のヴァギナ……の句はことに印象に残った。
(池田康)
posted by 洪水HQ at 12:50| 日記

2022年12月30日

みらいらん11号

mln11.jpgみらいらん11号が完成した。
小特集「本ってなに?」は本という存在について改めて考える試み。ヨーロッパ古代・中世文学研究の沓掛良彦氏へのインタビューで詩歌の歴史と本の歴史を並行してお話しいただいたほか、エッセイを田野倉康一、高階杞一、松村信人、佐相憲一、高岡修、秋亜綺羅、小川英晴、土渕信彦、宇佐美孝二のみなさんにご寄稿いただいた。さらにアンケートに10名の方々からご回答をいただいた。本の本質と現実について、どれだけ新しい視野が拓けただろうか。
野村喜和夫氏の対談シリーズ、今回はカニエ・ナハ氏と「二十一世紀日本語詩の可能性」。ここ20年ほどの日本の詩のことと、造本の諸面の魅力のことなど。今回を一区切りとして、野村喜和夫対談集『ディアロゴスの12の楕円』(洪水企画)にまとめる予定。
巻頭詩は吉増剛造、渡邊十絲子、添田馨、江夏名枝、小見さゆり、七まどかの六氏。俳句は高山れおな氏に寄稿いただいた。
表紙は國峰照子さんのオブジェ作品「処刑」。
さらに詳しい内容は下記リンク先をご覧いただきたい。
http://www.kozui.net/mln11.html
巻頭の吉増さんの詩についてエピソードを記せば、映画「眩暈 VERTIGO」(12月15日の項を参照ください)の公開初日に東京都写真美術館のカフェで生原稿をいただいたのだが(スキャンしたものを本誌に掲載してある)、いきなり未知の森に迷い込んだようで、ご本人を前にして、読みあぐねる箇所の読み方をおそるおそるお尋ねしながら、手探りで読み進んだ15分ほどの恐怖の神秘は忘れられない。自由気ままに書かれているようにも見えるが、活字に組む際に助詞を一つ間違えていて、校正で直していただき、その一字の違いで脈絡ががらりと変わるのを体験し、しっかりした流れがあるのだと認識をあらたにしたことだった。ご注意いただきたいのが3行目、“ひらなが”となっているところ。これは“ひらがな”を間違えて“ひらなが”と言っているのであり、おさなごの感覚を想起している。言葉の立ち上がる瞬間のあやうい過程をおさなごの感受性でつかまえようとするところに吉増詩の極意の一端があると言えそうだ。「光」というタイトルも特別で、ありがたいことだった。
(池田康)
posted by 洪水HQ at 13:15| 日記