みらいらん次号(17号、冬号)はワーグナーの大作ニーベルングの指環の特集を組む予定。ワーグナーファンはご注目ください。それからアイルランド文学研究の栩木伸明さんが一昨年『ポール・サイモン全詞集1964-2016』(翻訳)と『ポール・サイモン全詞集を読む』を刊行されたということで、ポール・サイモンについてのインタビューを行っている。全体像に迫る試みで、こちらもファン必読の内容となっていると思うのでぜひお待ち下さい。
さて、岡本勝人さんが今月5日に亡くなった。非常にお元気な方という印象があり、本も次々と刊行されておられたので、急逝の知らせに驚愕した。みらいらんでお世話になっていて、とりわけ15号では小林秀雄についての神山睦美さんとの対談でひとかたならぬご尽力をいただき、感謝の念は強い。次号は連載ページに加えて特集にもご寄稿いただく予定だったのだが、どちらもいただくことは叶わなかった。非常に残念。ご冥福を心からお祈りいたします。
(池田康)
2025年11月17日
みらいらん次号のこと、岡本勝人さんのこと
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2025年11月04日
2025年10月30日
神山睦美著『共苦─コンパッション』
神山睦美著『共苦─コンパッション』が洪水企画から〈詩人の遠征 extra trek〉シリーズの第5巻として刊行された。A5判256ページ。税込2420円(本体2200円)。8月の末から制作を始めたのだが、編集は非常に速やかに進んだ。神山さんの校正作業の速度が非常に速いのだ。それで2ヶ月で出来上がったという次第。このボリュームの評論の本としては思いがけないことで、驚いた。
カバーの袖に載せた案内文は次のとおり。
「ひとつの生の苦しみの行路の果てに確立された思想を核にもつ批評はしなやかに強く、内奥において熱い。人間世界の数多の悲劇的難問を読み解く決定的な鍵を「共苦=コンパッション」と命名する著者は、そのアルキメデスの支点に拠り、人類史の総体を視野に入れながら、中世・近代から現代に至る詩歌、小説、そして論考や学の根底を見極めて陰翳の襞をくぐる対話を試み、それぞれの文学の苦い声を非戦の祈りの和音へと解き放つ。」
目次を一覧すると……
序章 メモリー
日々流滴/流れのなかで
第一章 インタビューと対話
原民喜と原爆──青木由弥子/小林秀雄と戦争──岡本勝人/絶対非戦論──佐藤幹夫
第二章 詩論T
世界の消滅と最後の人間──夏石番矢『俳句は世界を駆けめぐる』/「死の光」への道すじ──江田浩司『メランコリック・エンブリオ 憂鬱なる胎児』/存在喪失のモティーフ──林浩平『全身詩人 吉増剛造』
第三章 思想論
「悪」の立場からの「贖罪」──大澤真幸『我々の死者と未来の他者 戦後日本人が失ったもの』/本土決戦と黙示録的情熱──笠井潔『自伝的革命論』から『例外社会』へ/「政治的なるもの」への反措定──劉燕子『不死の亡命者』
第四章 古典論
南島歌謡と柳田民俗学──藤井貞和『古日本文学発生論』/民衆の不遇感と妹の力──兵藤裕已編注『説教節 俊徳丸・小栗判官他三篇』
第五章 詩論U
存在の不遇性──現代詩文庫『有働薫詩集』/苦痛の実存──現代詩文庫『杉本真維子詩集』/プライドをそがれた言葉──小池昌代〈編〉『放課後によむ詩集』
終章 思想家論
アイロニーとしての村上一郎
以上、あとがきにも書かれているが、神山氏が自ら主宰する書評研究会の活動をきっかけに生まれた批評文や対談、インタビューを集めたものが中心となっている。岡本勝人氏との小林秀雄をめぐる対談は「みらいらん」15号に掲載されたもの。
この本を読んで強い印象を受けるのは、神山氏の文芸評論の道筋、そのいわば背骨がいかに生成してきたかが具体的によくわかるところで、大学時代に学生運動に参加したが脱落し、その強烈な挫折の意識からどう立ち直って自らの思想的確信を築いてきたか、その過程が明かされていることだ。佐藤幹夫氏との対話「絶対非戦論」に次のような言葉がある。
「あの時に戦い通したのは民青の暁部隊と、のちに連合赤軍になる連中です。私も彼らのオルグに抵抗できないまま生半可な同調をしていたら、連合赤軍に入っていたかもしれません。しかし、連合赤軍のその後は、よく知られていますが、結局は何も残していないのです。それを考えると、戦わないで逃げた私が、なんとかして考え続けてきて非戦論を起ち上げたということは、これはこれで大事なことだと自分としては考えています。」
この言葉に対して佐藤氏は、
「「戦わないで逃げた」という体験事実を、少しずつ積極的なものとして反転させ、「戦わない」という選択肢もあるんだ。いやその選択こそが非戦論なんだ、とそう位置付けてきた。こう受け取ってよいということですね。」と応じている。この対話篇は著者の立脚点を知る上で必読だ。
現在進行形の詩歌作品を取り上げた章も多い。文芸評論家で詩歌とここまで正面から向き合うのは、神山睦美氏のみと言えるのではないだろうか。文学を考える上で、とても貴重な姿勢だと思われる。
(池田康)
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2025年10月12日
平野晴子詩集『有為の奥山けふこえて』
平野晴子さんの新しい詩集『有為の奥山けふこえて』が洪水企画から刊行された。A5判96ページ、2000円+税。カバーの装画は田中勇次郎氏の作品(装丁は巌谷純介氏)。平野晴子さんは前の詩集で伴侶の介護の日々の波立ちを書いていたが、その彼を看取り、一人になっての老年の生を見つめる枯れた境地が今回の詩集の世界を形成している。寂しさ、心細さ、かそけさ、無垢さに染められた詩がベースになるが、過去を思い出す作品では熱い思いがほとばしったりもする。
とくに第二部に集められている「水たまり」「貝のボタン」「粥の唄」「希望」「風の舟」「風の道」「トパーズの指輪」は子供のころのお姉さんとの思い出をうたっており、複雑な感情を帯びた懐かしさのこもる抒情的な連作だ。
また第三部の「手を離した話」は叔母の満州での悲痛な行為をわがことのように苦悶して、感情のボルテージは非常に高い。そして「オムレツの月」では戦争と対峙する三重県伊勢市出身の詩人・竹内浩三に想いを馳せ、共鳴の声を合わせる。
タイトル作の「有為の奥山けふこえて」は小さなレクイエムだか詩人の現在の心境がよく出ているのではないだろうか。下に引用紹介する。
ちいさきものを抱きそぞろ歩む
ちがやの穂がなびき
つわぶきにシジミチョウが戯れている
みずひき草の髭が朝陽にひかった
ほら ここは
おまえが寝そべって
時を食んでいたところ
腹ばいになって
土のコトバに目を細めていたね
寝ていたのではない
振りをしていただけ
何も信じない
信じるにあたいしない
月も星も見あげはしない
それでいて人の膝が好きだった
おまえのその正直さをわたしは愛した
赤子ほどのものを抱きしめ
赤子ほどの
と
譬えたことにたじろぎながら
譬えを 打ち消し
譬えなおして
木のかたわらに穴を掘る
夕べ
譬えたはずの赤子が
(死んだふりができなくて)
……………………
わたしは
ここに穴を掘るだけ
そして土を
かけるだけ
そして
花を植えるだけ
土よ
抱く器となれ
ちいさきものよ
花の名で呼ばれる日まで
ここに眠れ
(池田康)
posted by 洪水HQ at 12:36| 日記
2025年09月11日
原利代子詩集『本を読む少年が生っている電柱』
原利代子さんの新しい詩集『本を読む少年が生っている電柱』が洪水企画から刊行された。A5変形判120ページ、2000円+税。カバーの装画は柿崎かずみさんの作品(装丁は巌谷純介氏)。帯文は次のようになっている。
「戦中戦後の時代が夢の回路を通って現在の平穏とつながる──作為も深謀もないこのイマジネーションの自在な往復運動が詩人原利代子の詩の『本』のページを清澄に漉き、綴じ合わせる。」
第一部に最近の身の回りの出来事(旅行含めて)の詩、第二部に夢にまつわる詩、第三部に子供時代を回想する詩、第四部に戦争に関わる詩を集める。現在と過去との間の自由な往還がこの詩人の詩世界の独自性を形作っており、この詩集を無二のものとしている。
そして柔軟な感性がすべての作品に作用して生き生きとした表情を顕現させている。
打ち合わせのために静岡県藤枝市のお宅を訪れてお話したのだが、非常に生気の満ち満ちた方でそれはそのまま各々の詩で活気となって息づいているように思う。
タイトル作「本を読む少年が生っている電柱」を引用紹介したい。
引っ越しを少年たちが見物している
物珍し気に首をのばし
生意気がお互いをつっつきあって
力んで荷を運ぶおとなの本気を
せせら笑ったりして
本を入れた箱の荷がほどかれると
のばす首に力がまし積み上げられた書物の周りを
いつの間にやらずかずか取り囲んだ少年たち
本の山からそれぞれが気に入ったものを見つけると
道端に座り込んでにわかの読書会が始まった
本の少ない時代だった
引っ越し騒動の家で
少年たちは本の中に嵌り込んでいった
家の引っ越しが終わっても
読書会は終わらない
暗くなると
少年たちは外の電柱の明かりの下で本を読んだ
二〇燭ほどの電柱の明かりの下
誰かがどこからか梯子を持ってきて電柱に掛けた
ぞろぞろと少年たちは梯子を上る
なるべく電灯に近いところまで上る
片足片手で梯子につかまり夢中で本を読む子
両足を梯子に絡み付かせ目は頁から離さない子
横木の間にお尻をはめ込み悠然と読む子
弱い灯りを求め危なげに身を乗り出している子
ずり落ちそうになりながらも本から目を離さない
まるで本を読む少年が電柱に生っているようだ
小さいわたしは引っ越し荷物の間からじっと見ていた
本を読む少年が重なり合って生っている電柱を
遠い昔のことだけれど
その電柱は今でもわたしの中に立っている
わたしもその電柱に生っているのだ
そして本を読んでいる
二〇燭の明かりの下で
(池田康)
posted by 洪水HQ at 08:42| 日記
2025年08月29日
2025年08月04日
虚の筏36号
虚の筏36号が完成した。
今回の参加者は、平井達也・小島きみ子・久野雅幸・生野毅の皆さんと、小生。
下記リンクからご覧ください。
https://www.kozui.net/soranoikada36.pdf
虚の筏のバックナンバーは下記のページからご覧ください。
https://www.kozui.net/soranoikada.html
(池田康)
今回の参加者は、平井達也・小島きみ子・久野雅幸・生野毅の皆さんと、小生。
下記リンクからご覧ください。
https://www.kozui.net/soranoikada36.pdf
虚の筏のバックナンバーは下記のページからご覧ください。
https://www.kozui.net/soranoikada.html
(池田康)
posted by 洪水HQ at 07:33| 日記
2025年07月28日
ミュゼ浜口陽三・ヤマサコレクションのイベント 他
先週の土曜日の午後、日本橋のミュゼ浜口陽三・ヤマサコレクションの「新しい南画の世界」展のイベント、林浩平・林道郎両氏の対談を聴く。南画、文人画の江戸中期以来の展開、系譜の流れの大絵巻が、蕪村、大雅、木村蒹葭堂、唐木順三、石川淳、花田清輝、萬鉄五郎、大岡信、ユク・ホイ等々のキーパーソンを相互連関させながら自在に広げられた。通常の芸術、芸術家の概念とは少し(あるいは大きく)ずれた南画の精神のありようは貴重な示唆を帯びて刺激的だった。なお、今回の展覧会では、浜口陽三、後藤理絵、重野克明、染谷悠子、西久松綾、吉増剛造といった美術家や詩人の作品が展示されている。会期は9月21日まで。
この同じ日の午前から昼にかけて、映画「夏の砂の上」(玉田真也)を見た。望月苑巳さんが「みらいらん」16号で紹介していた作品。文芸映画として、コメディの要素を抑えたオーソドックスな作りと言えるか。近年の文芸映画としては函館を舞台にした佐藤泰志原作の諸作が思い浮かび、比べてみたくなるが、函館という場所があれらの映画で重要であったように、「夏の砂の上」では長崎が舞台でやはりトポスの威力が顕著だ。今作の主人公を演じているオダギリジョーは佐藤泰志映画の一つ「オーバー・フェンス」に出演していたという共通項もあり、余韻が生きているのかもしれない。今作、全体によくまとまっているように感じられたが、一点、主人公の姪があらゆる他人に毒付くような荒くれの気質を抱えているのに、やたら調子のいい母親(主人公の妹)に終始唯々諾々なのは解せず、この母娘の間にも摩擦や衝突を見たかったという小さな文句はある。
ついでにさらに一週間さかのぼって、評判になっている映画「国宝」(李相日)を見た。評判通り見応えあったが(筋のきつい派手さは好悪分かれるか)、音楽については何か言いたい気がした。音楽は原摩利彦で、彼は「夏の砂の上」でも音楽を担当していて、精妙なピアノを聴かせている。「国宝」では劇中音楽として歌舞伎の音曲が当然あり、これが我々の琴線に触れるというよりも琴線そのものとして鳴っている感じなのだが(歌舞伎の物語の中で歌舞伎の音曲に交わる、これがこの映画の魔的経験の核なのだろうと推測する)、それにかぶさるように劇伴として西洋のオーケストラやピアノの演奏が併走し、大きな問題であるのかもしれない両者の融合がなかなかうまいこと自然な形に収まっているような印象だったが、専門の音楽家諸氏がこれをどう聴くのか、こういう巧みな円満さではないもっと違うやり方でこの映画の音楽を考えたいと思う人がいるかいないか、例えば武満徹がこの映画に音楽をつけたらどうなったのか……などといったありもしない可能性を考え、考えあぐねたことだった。
(池田康)
posted by 洪水HQ at 09:03| 日記
2025年07月19日
菅井敏文詩集『フラグメント』
菅井敏文さんの新しい詩集『フラグメント』が完成、刊行となった。〈詩人の遠征 extra trek〉シリーズの4巻として制作されている。96ページ、31篇を収録。本体2000円+税。カバー袖の案内文には、
「非凡な決意の悲哀を伝える「革命おじさん」、自分の行動の意味を考えないことを考える「切符を買う」、幻影のガラクタ芸術の動物を気味悪く動かす「段ボールの犬」といった前衛劇を思わせるような作品を核として、菅井敏文の詩的思考の強力な発条が存分に発揮された31篇を収める第四詩集。」
という紹介を置いた。菅井さん独特の謎めいた作品もいろいろ入っていて詩人の世界の形成に寄与しているが、上に挙げた3作は普遍的に優れた特筆したい詩として強いアピールと共に存在している。
最初に詩集原稿を読んだ時は「革命おじさん」が一番いいような気がした。2回目に読んだ時には「段ボールの犬」が最高傑作のように思われた。その前半部を下に引用したい。
段ボールの犬があるく
クレヨンで描かれた眼・口・耳・鼻
見ることができ 食うことができ
聞くことができ 嗅ぐことができるのか
段ボールの切れ端の縒れた舌
垂れたままで呼吸音が聞こえない
頭をすり寄せてくる
カビの臭いがする
仕方がないので頭を撫でてやると
犬は崩れて泥になる
段ボールの犬が近づく
興奮して吠えている
紙と紙のこすれる音がする
頭を小刻みに動かして
目をそらさないまま
飛びかかろうとする
足が地面を離れた瞬間に
犬は倒れ落ちそのまま見えなくなる
段ボールの犬が泡を吹いている
乾ききり消えかかった眼・口・耳・鼻
雑草の歯がゆらゆら動き
毛のない皮膚がめくれて風にぴらぴらする
少し生臭い血の臭いがする
起き上がろうとしたそのときに
犬は分解する
陽ざしに溶けてしまう
それぞれの読者がオリジナルなやり方で読み解いていただければ幸いだ。
(池田康)
posted by 洪水HQ at 08:24| 日記
2025年07月07日
みらいらん16号
みらいらん16号が完成した。今回の特集は「漂着する世界の破片」、世界に向けて大胆に窓を開けてみるという試み。特に方針を定めないで、ただ入り口を開ける。そうするとどんな意外なものが入ってくるか。どんな思いがけない声や形象と出会えるか。外にはどんな風が吹いているのか。外の世界との対話の場所はいかなる不安定さを特質とするか。そういったことを経験する試みである。特集の柱となる四元康祐さんへのインタビューは長時間にわたり、世界の経験が豊富で視野の広いこの詩人の話はとても示唆に富んだ、多くを教えられるものとなっている。
世界の詩人たちの参加も得られ、特別の刺激をなしている。John Solt(米国)、Marc Kober(フランス)、Tim Taylor(英国)、アイゲリム・タジ(カザフスタン)、パク・ソラン(韓国)、山本テオ(米国)、田原(日本在住、中国出身)、寮美千子(バリ島の詩を掲載させていただいた)といった方々。
エッセイでご参加の及川茂さんは、アロイジウス・ベルトランの研究の第一人者で、フランス在住。13号の「夜のガスパール」の特集をきっかけにつながりができ、今回ご寄稿いただくことになった。他に、田口哲也、佐川亜紀、神泉薫、南川優子、ヤリタミサコ、浜江順子の皆さんがエッセイを寄せてくださっている。
これまでの号の特集は日本語の世界で完結していたが、今回は世界に向けて扉を開くということで、多言語が流れ込み、母国語の重力から少し離れ、船酔いするような感覚があった。思いがけない出会いもあり、新しい世界が色々と見えてきたような気がする。広い世界を吹く風は新鮮だった。
特集以外の新しい試みとして、巻頭部分に「文学展望」という見開き2ページのコーナーを設け、第一回を中村鐵太郎さんにご執筆いただいた。巻頭部分の雰囲気が変わったのではないだろうか。
巻頭詩は、藤田晴央、佐相憲一、若尾儀武、村岡由梨の皆さん。
追記
田口哲也さんが紹介して下さったタイの詩人モントリー・ウマヴィジャニの全詩集『As Old As The World』が十部ほど余分にあり、希望者に無償で差し上げたいとのことです。ご希望の方はまず洪水企画あてメールでお問い合わせ下さい。取り次ぎます。
(池田康)
posted by 洪水HQ at 12:17| 日記
