2018年12月07日

新城貞夫著『満身創痍の紅薔薇』

mansinsoinobenibara.jpg歌人の新城貞夫さんが新しい本を作った。短歌ではない、詩集のような、著者自身が詞章と呼ぶ四行詩が並んでいる。帯にはこうある。
「薔薇は傷を負いつつも誇り高く歌う。
死の影に脅かされ、心臓疾患をくぐり、老いをひしひしと感じながら、沖縄や日本や世界の運命を憂い、去来する想念が四行の「詞章」の形で日誌のように綴られてゆく。日課のエスプレッソを賞味し、ふと浮かんだドイツ語を口にし、かつて訪れたヴェネチアをはるかに偲び、世間と自分を辛辣に観察し……詩人のくつろいだ独白の連綿たる流れのあちこちに形而上学に通じる詩の欠片、真摯で犀利なアフォリズムが強く光る。」
呑気さと鋭さ、悟りと毒舌が同居し、高貴な思考から片々たる繰り言へと難なく推移する融通無碍な随想の散歩道だ。
社会的視点のものは、大国の首脳を批判する章を始めたくさんあるが、一つ挙げるなら、沖縄を推理小説にたとえる次の詞章は非常に鋭利。

 客観的な記録として
 歴史書に納まっているオキナワ。
 かわいそうに
 沖縄は誰にも書かれなかった推理小説である。

自身の境遇の澄明な抒情としては次のようなものがある(並んでいるわけではない)。

 目を覚ます、
 心臓からの
 濁流が走る。
 世界は沈黙している。

  * * *

 空、青い空よ
 僕を引っさらうがいい。
 魂だけを
 地上に残して

  * * *

 この世とあの世は
 隣り合わせである。
 ときには垣根越しに
 朝の挨拶をする。

読者をどこに連れていこうとするのか。歌人である著者が五七五七七の枠を出て自由奔放に綴った四行寸鉄。A5変形判168頁、1800円+税。
(池田康)
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2018年12月02日

詩のイベント二つ

IMG_6800.JPGIMG_6801.JPGIMG_6803.JPGIMG_6810.JPG昨日は詩のイベントを二つハシゴした。まずは北爪満喜さんから案内をもらって北千住のBUoYで「詩×船 ヒライス島の1000の詩集」を覗く。たくさんの詩集が展示され売られていた。本の並べ方に工夫あり、というかんじで、全体が船をイメージしたインスタレーションになっているのだろうか。入場券もとても立派だった。(一番上の写真)
次に生野毅さんから案内をもらった、板橋のアートスタジオDungeonでの「直角はありません」第一夜。低い天井の地下室が会場で、閉所恐怖症の人はやばそうな狭い空間だ。風邪で喉をやられていたので埃とか心配でピンチだった。17時からのイベントは前半が田野倉康一さんの朗読(自然体の詩の自然体の朗読。本格的な田野倉康一詩も聴きたかった…)、言水へリオ氏の特異な“リーディング”(小さな紙に活字を次々手にして文字を印字していく過程を映写機で実況中継的に背後の壁に映し出すというパフォーマンス)。後半は、生野さんの朗読と秦真紀子さんのダンスによるパフォーマンス、非常な迫力があり、ゆうに一つの舞台作品となっていた。生野さんは俳優経験があるのだろうか、素人の朗読という域を越えて本格的な演技になっており、説明によれば即興的構成ということだったが、たしかな演出が感じられ、秀でた時間的緊張が生まれていた。夢遊病的モードをおのがものにしている、そんな圧巻の演じ振りだった。最後に、入沢康夫さん逝去の話題となり、生野さんは長年ミュージシャンである入沢さんの息子さんと組んで朗読をしてきたのだという縁が語られ、哀悼の儀式として代表的入沢作品から一部が朗読された。
(池田康)
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2018年12月01日

玉城入野著『フィクションの表土をさらって』

fiction-hyodo-imageS.jpg玉城入野さんのエッセイ集『フィクションの表土をさらって』が完成した。「洪水」で連載されていた映画評論(北野武、深作欣二、ジャック・リヴェット、侯孝賢、鈴木則文など)のエッセイおよび島尾敏雄と福島・小高との関係を論じたエッセイを中心に、父親で歌人の故・玉城徹の思い出を綴った文章も収録してまとめたもの。
書名はどういう意味なのだろうか。あとがきには「本書には、表土、平面、多摩平といった「平」に関連する言葉が見える。思えば、映画のスクリーンや本のページというのも、平面である。このことは、私の思考が、平地で育まれてきたことを意味するだろうか。」とある。表題作のエッセイ「フィクションの表土をさらって」には「私は、今までこうした映画の見方をしてこなかった。フィクションの表土をさらって、地中深く流れる源流を探り当てるというこの方法は、ともすると映画そのものから視線を外すことにもなるので、あまり好ましくない。しかし、私がこんな見方をしてしまったのも、二〇一一年三月十一日以後を生きているゆえかもしれない。」、「逆説的だが、まずフィクションの表層を信じるという段階を踏んでこそ、虚構を見抜くことができ、その奥に隠された真実を知ろうという思考が生まれる。」という言葉も見られる。ここからも、大震災以後の気組みとして、それまでの自分の美学や考え方から一歩踏み込んで薄暗い苦悶と欲望の〈現実〉の領域で思考を進めようとしている冒険の身震いが感じられる。
そして一冊をテーマとして束ねているのは〈故郷論〉のようだ。映画『トラック野郎』シリーズで描かれる〈故郷〉、島尾敏雄の〈故郷〉、そして自身の故郷観を重ねて、現代人において〈故郷〉がどういう事情のものになっているかが考察される。文明論でもあり人生哲学でもありうるこの考えの筋道が、著者の今後の仕事の中でどんな結実を得ていくのか、とても興味深い。洪水企画刊、本体1800円+税。
(池田康)
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2018年11月18日

現代フランス詩の地図を求めて

IMG_6773.JPG昨日は詩とダンスのミュージアム(世田谷)にて、「みらいらん」次号のための、野村喜和夫さんがホストをつとめる〈対話の宴〉の公開対談会を開催。今回は「現代フランス詩の地図を求めて」のタイトルのもと、有働薫さんをゲストに招いてフランス詩翻訳について語り合っていただいた。今年刊行されたジャン=ミッシェル・モルポワ著・有働薫訳『イギリス風の朝』のこと、1999年に出版された同じくモルポワ・有働薫訳の『青の物語』のこと、そして主にフランスの歴代の詩人の代表作を名訳で集めた『詩人のラブレター』が俎上に上げられ、翻訳刊行の経緯と意図、難しかった部分や作品の特異性について腹蔵なく語られた。『詩人のラブレター』の解説部分「小さなクリップ」でも有働さんの水先案内人としての平易・懇切・優美に作品の魅力を語る能力はいかんなく発揮されていて、しかも中世から現代まで見渡す視野の広さは尋常でなく、こんなに達意の声でフランス詩を紹介できる人はほかにいないのではないかと思われたのだが、この日もやはりフランス詩全般に造詣の深い野村氏との緊張感あるやり取りの中で各詩人の詩風についてとても的確な評言を呈示し、議論にくっきりとした輪郭が与えられて、探し求めていた〈地図〉がどこかから降臨してきたような気がした。会場の質疑応答も活発で、いい雰囲気で会を終えることができた。『詩人のラブレター』第二部に収められた現役の詩人の中で有働さんが好きだというシャルル・ジュリエの「(自分の夜に…)」を引用しよう(有働薫訳)。

 自分の夜に
 潜らなかった人は
 地獄に
 降りて行かなかった

 返ってくるまなざしについて
 かれは何か分るだろうか
 自分と向き合うことについて
 生れいずる苦悩について

 かれは何が分るだろうか
 戦闘の激しさについて
 底知らずの苦境について
 断末魔の恐怖について

 かれは何が分るだろうか
 死を
 受入れることから
 何が生れてくるかを

なお、話がそれるが、この『詩人のラブレター』には嵯峨信之「ヒロシマ神話」が収められており(対訳なので外国の人に読んでもらうために入れたと有働さんは語る)、この作品は『詩国八十八ヵ所巡り』(嶋岡晨編、洪水企画刊)にも入っていて、この両詩人によって必須の一等星として選出されるのであれば、歴史に刻印されるという大きな意味で重要作なのだろう……これがこの日の発見の一つでもあった。
(池田康)
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2018年11月16日

詠と気合いと

昨夜、「高橋アキ/ピアノリサイタル2018」(豊洲シビックセンター)を聴いた。プログラムは、マイケル・パーソンズ「オブリーク・ピース 18番、 21番」、佐藤聰明「藤田組曲」、湯浅譲二「内触覚的宇宙 II トランスフィギュレーション」、シューベルト「グラーツ幻想曲 D.605a」、カール・ストーン「フェリックス ─ ピアノとコンピュータのための」、そして最後は“ハイパー・ビートルズ”コレクションより、クリスチャン・ウォルフ編「エイト・デイズ・ア・ウィーク」、アルヴィン・カラン編「ホェン・アイム・シクスティ・フォー」、テリー・ライリー編「追憶のウォルラス」。
もっとも心に強く残ったのは、「藤田組曲」と「内触覚的宇宙 II」。前者は、画家・藤田嗣治を描いた映画「Foujita」(小栗康平監督、2015)に佐藤聰明さんがつけたオーケストラによる音楽を7曲からなるピアノ組曲にアレンジしまとめ直したもの。このうち「1. 前奏曲」は佐藤さん主催のある小さな会で奥様の佐藤慶子さんが弾いて披露されており、それも神経の通った印象深い演奏だった。今回は組曲全曲が聴けるという意味で「世界初演」となる。響きが実に繊細で、一音一音に耳の感覚が研ぎ澄まされる。すべてのピアニストがこの曲を弾くとよいと思う。というのは、こんなふうに“詠”と“気合い”だけで書かれた曲は他にあまりないだろうからだ(気合いじゃあない、純然たる音理であり、理の呼吸だ、と作曲者は言うかもしれない)。アレグロ楽章もない、骨格も単純な(明快ではない)この組曲を作品として上手に立たせるのは難しいだろうが、演奏家にとっては得がたい経験になるはずだ。
「内触覚的宇宙 II」は1986年の作品で、正体定かならぬ異形の音のオブジェ的怪物として力強く輝いた。怖いような棘のたくさんある曲で、このホールのピアノであるファツィオリ(Fazioli)の特徴的な艶のある高音がそれを一層燦然と演出しいていた。解説で作曲者はこう書いている。「不協和なコードを、美しく響かせるためには、コードの内部構成に見合う、特有の音域を選ぶ必要がある。オクターヴはおろか、4、5度のトランスポジション(移調)さえ許さない特定音域特有のソノリティを追及したつもりである」「この曲は、書かれた音符そのものというよりは、むしろペダルによってブレンドされたリヴァイブレーション(残響)の変幻、変遷を時間軸にしたがって聴き込んでいく曲と言えるだろう」。音が独自の理法で凝集しようとするその力学を感受する曲のような気がした。
高橋アキさんはアンコールのサティ、ドビュッシー、武満徹に至るまで泰然とした冷静さで性格の異なる各曲をみごとに演奏し、ますますの健在ぶりだった。(池田康)

追記
「ハイパー・ビートルズ」は約三十年前のアルバム企画で、ビートルズの楽曲をいろんな作曲家に依頼してピアノ曲にアレンジしてもらい弾くというもの。去年から新たに録り直して新盤を出すというプロジェクトが始まり、今年二枚目が出た。この頃それらを聴いているのだが、ジャズのような雰囲気もある。譜面があってそれを忠実に真剣に演奏するのだろうから全然ジャズではないはずなのだけれど、原曲を料理する過程で遊びに遊ぶあたり少しジャズ的な快感や酩酊感も出てきたりする。そこがまた面白い。
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2018年11月10日

訪れた二つの個展

最近足を運んだ催し。山本萠・書とカレンダー原画展(小平市のNMCギャラリー)、伊福部玲作陶展(八王子市のギャラリースペースことのは)。わが居住地からするとどちらもかなりの遠征だ。美術館や博物館でひらかれる大きな展覧会ではない、こうした個展の良いところは、多くの場合、作者と言葉を交わせる点だ。展示されている作品についてこちらが的を得た感想を言えるわけではないのだけれど、作者ならではの導き入れや解説をしてくれるので、それだけ個々の作品に近づくことができる。
山本萠さんは今回、拙作の詩の一節を書に仕立てて下さっていて、とても有難く嬉しいことだった。人気のカレンダーの絵も魅力的。(すでに会期終了)
伊福部玲さんの今回のテーマは、ヤマタノオロチと酒。日本の古代神話の悪役が登場するところは、その反骨ぶり、ゴジラの音楽をつくった作曲家の娘さんらしい。こちら、会期は明日まで。明日は午後に舞踊の特別イベントもあるらしい。
伊福部玲さんは「みらいらん」次号で“手に宿る思想”インタビューに登場していただく予定。すでにお聞きした、縄文土器の野焼きの話も楽しかった。どうかお楽しみに。
(池田康)
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2018年11月02日

詩素5号

詩素5表紙画像.jpg詩素5号が完成した。今号の参加者は、海埜今日子、北爪満喜、小島きみ子、坂多瑩子、酒見直子、沢聖子、菅井敏文、大家正志、たなかあきみつ、南原充士、二条千河、野田新五、八覚正大、平井達也、平野晴子、南川優子、八重洋一郎、山中真知子、山本萠、吉田義昭のみなさんと、小生。〈まれびと〉には細田傳造さんをお招きした。巻頭トップは、平井達也さんの「ひげ」。定価500円。
表紙は北原白秋の詩より。
(池田康)
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2018年10月28日

宝石はどう生まれるか

19世紀には女性の作曲家で著名な人はいないが、20世紀以降は事情が変わってきており、誰でも知っているというわけではないけれど戦後はソフィア・グバイドゥーリナのような実力者が数人はいるようだし、ポピュラー音楽の分野なら幾人も名前を思い浮かべられそうだ。今のNHKの大河ドラマでも原作・脚本とともに音楽も女性の作曲家のようだし、最近見た映画『日日是好日』(大森立嗣監督)も世武裕子という初めて名前を聞く女性作曲家が音楽を担当していた。その音楽、乱暴に大雑把に言えば、特別にすごく感動的というほどではなく普通に映画音楽として感じ良いもの、といった印象だったが、終盤、主人公の典子(黒木華)が、そうか、日日是好日(にちにちこれこうじつ)ってそういうことなのかと感嘆とともに独白する、そのあとのピアノは今まで聴いたこともないような響きがあってとてもよかった。指輪に例えればここが宝石の部分に当たるのだろうか。
物語の中のシーンとしては、喪服の典子が武田先生(樹木希林)を訪れ二人で縁側に座って話をする場面がもっとも心情の凝集度が高いように思われた。茶道の作法の細部を見ることができるのも興味深く、十二年に一度しか使わない茶碗があるというのも茶道の時間感覚の息の長さを感じさせる(この映画も戌年にしか見られないということになる?)。
茶道といえば千利休だが、これも最近東京国立博物館に見に行った「マルセル・デュシャンと日本美術」展(京都のIさんにチケットをもらった)に千利休にまつわる展示があり、利休は当時人気があった派手な茶碗ではなく黒っぽい地味な茶碗を用い、花瓶もそこらに生えている竹を切って即席に作った、その革新性がデュシャンに通じると説明されていた。なんでもないものをも宝石にする、天才的閃きがもたらす価値観や美学の転換が「ナントカ道」の発端にはあるということだろうか。
(池田康)

追記
同じく音楽=世武裕子ということで映画「リバーズ・エッジ」(行定勲監督、2018)もDVDで見る。岡崎京子のマンガをもとにしているとのことで、映画も音楽も牙むいている。この人は歌もうたうようで、ラジオで紹介されていた、最近のCD『RAW Scaramanga』も聴く。ヨーロッパの先鋭的な音楽家が作ったポップ音楽、というかんじのものか。いくつかの曲で彼女のオルガニックでスモーキーなピアノが聞ける。腹にひびく声を持っているような、そんな気骨のピアノ。

追記2
東京国立博物館の門を入った正面に立つ巨木は、公孫樹だろうかと漠然と思っていたが、木の名札を見るとユリノキだった。
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2018年10月20日

みらいらん3号の“対話の宴”

「みらいらん」次号の“対話の宴”の対談イベントが下記のように決定いたしました。今回はゲストに有働薫さんを迎え、外国詩とくにフランスの詩を取り上げます。是非ふるってご参加下さい。

 * * * * * *

洪水企画&エルスール財団共同企画トークイベント

野村喜和夫の詩歌道行@
 野村喜和夫 × 有働薫

『現代フランス詩の地図を求めて』

舶来の詩はいかつい黒船か、いとしい渡り鳥か。今年ジャン=ミシェル・モルポワ『イギリス風の朝』(思潮社)を翻訳刊行した有働薫さんを迎えて、フランス詩の受容の現在を考え、詩の翻訳の意義や醍醐味についても語り合います。

日時:2018年11月17日(土曜日) 15:30〜17:30 (15時開場)
場所:ブックカフェ「エル・スール」(詩とダンスのミュージアム内。世田谷区羽根木1-5-10)
入場料:2500円(+1drink order)
申し込み方法:メールまたは電話で。
エルスール財団
03-3325-5668
info@elsurfoundation.com

 * * * * * *

会場への地図はこちらのリンクでご確認下さい:
プリント用のPDFはこちらです:

(池田康)
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2018年10月18日

嶋岡晨詩集『アメンボーの唄』

amenbo2.jpg嶋岡晨さんの新しい詩集『アメンボーの唄』が完成した。洪水企画刊、A5判88頁、1800円+税。この一年以内に書かれた32篇を収録、筆力の旺盛さ、頭脳の矍鑠さは驚くばかり。「みらいらん」に連載している「びっくり動物誌」のように動物を素材にした作品が多く、虚実を往還して変幻自在で、世界のあらゆる場所・あらゆる角度からの抒情が交錯する。帯の紹介文では「けなげな有象無象たちが哀切に私語=詩語する幻妖な世界寓話のパノラマ」と紹介している。風変わりにシンプルな装丁は嶋岡さん自身が設計した文字組みをそのまま活かして作ったもの。タイトル作は水面で生活するアメンボーに仮託しての独言の詩だが、ここでは動物詩ではなくかなりストレートな「ある領域」という作品を引用紹介したい。

 その世界では
 死んだ者は一人もいない
 祖父は磯釣りに行ったまま
 祖母は竃の前にしゃがんだまま
 母は息子のため毛糸を編みつづけ
 父は巡邏に出かけたまま
 従妹は片手もげた人形をおぶったまま

 帰らない叔母を待ちつづけ

 七十五年経つが
 死んだ者からの近況報告がない
 小型の旧いロボットのように
 倒れたとたんみなすぐ起き上がる
                らしい

 おれ自身 倒れるとすばやく立ち
 魂を そっと 他人のものと
              入れ替える。

(池田康)
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