2018年08月11日

吉増剛造展「涯テノ詩聲」

yosimasugozoten.jpg本日から、渋谷の松濤美術館で上記展覧会が開催される(9月24日まで)。詩人・吉増剛造の半世紀以上にわたる活動の軌跡を、詩集とその原稿、自ら露光を工夫して撮影する写真作品、若林奮から贈られた金槌を用いて造型したオブジェ、そして同時代で交わったいろんな分野の作家たちの作品と尊敬する先人たちの仕事を展示して紹介、考究する。昨日取材の会があったので参加した。この美術館はこじんまりした無機的ではない生命感あるまとまりの空間で、あたかも楕円形の繭のようで、これら奔放に世界へ向けて出された作品たちはここにひとときの親密な「家」を見つけたなという印象を受けた。
戦後の泥沼からもがき苦しむように詩を書いてきたこと、徹底的に手で字を書くことにこだわり、それが音楽行為とさえ感じられてきたこと、60年代の熱い空気と同時代者たちからの影響関係(とりわけ大岡信の美術批評について語られた)、3・11以降の7年間の重みと吉本隆明の詩の筆写の作業のこと……宝貝(柳田国男の記念)やら牡蠣殻(エルンストの記念)やら母親の葉書やらをぶらさげたモビール風の「楽器」を手に持ちながら、自らの活動の道筋を、整然とではないにしても理路を大切にして流れるように解説する吉増氏の姿と、展示された作品群が示す壮大な混沌との間のギャップにたえず漂う歌の振幅を感じた。
詩人・吉増剛造はシャーマンの要素が濃く、その意味で近現代の枠からはみ出る存在であり、自分たちの暮らしている近現代の理性の枠を堅持しようとすると、わからない、ということになるのかもしれないが、我々のありうべき「古代」を体現する表現者として捉えるなら、その層を切り開く切先として、これらの表現の軌跡を共感をもって受け止めることができるのではなかろうか。
(池田康)
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2018年08月05日

花火大会

近隣の花火大会が昨日あり、大会会場には行かなかったが、花火が見える小高いところまで赴いてすこし見物した。打ち上げ花火をしっかりと見るのは久しぶりだ。思ったより色彩華やかで見とれる。打ち上げの音も風景を揺するような迫力がある。その場所に集まった多くの人たちからも(とくに少年少女たち)さかんに歓声があがっていた。高く上がった花火は天から垂れさがっているらしき雲の内部に隠れることもあり、水蒸気の繭の内側から光る景色も珍しかった。この大会、本当は一週間前に開催されるはずだったのが台風で順延となり、この日開催されたということのようだ。昨日の昼頃開催に気づいたのだが、見ることができて幸運だった。花火職人健在也と感謝とともにつぶやくたくなる、夏の最も贅沢な遊び(いや、甲子園にはかなわない!?)。
(池田康)
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2018年07月30日

モルポワの「リリシズム」

猛暑、台風、そしてまた猛暑と、サバイバルの意識を持たざるを得ない日々が続いているが、そんな中でも桃やスモモをかじったり西瓜を食らったり、機会を逃さず夏を楽しもうとする、生きるということはいつも貪欲だ。
ここ一週間ほど、有働薫さんが訳したジャン=ミッシェル・モルポワ『イギリス風の朝』(思潮社)を読んでいた。
知的に絢爛で鋭利な詩句があらゆる場所で見出されて、まばゆい。とりわけ次のような箇所に惹かれた。
「生きること、それは愛するすべての物事の間で途方に暮れることだ。母親を探す子供のように。」(「散歩についての短い賛辞」)
「私たちは最初の一条の日の光が灰色がかった水をしみ出させるこのよごれた雪だるまを、私たちの心と呼ぶ。」(「わびしい街はずれ」)
「わたしは心のなかに空想家の眼をした迷子の子供を持っている。白い壁の部屋のなかの一ふしの音楽のような。」(「子供じみて」)
モルポワはこの本で「リリシズム」という語を使って自分の詩の思想を収斂させようとしている。それは既成の文学形式の方法論ではなく、生そのものと表現とを結ぶなにかとても重要な秘密の道であるようだ。それはたとえばこんなふうに語られる。
「書くという冒険の極限の場所に、空白のページが震えるときに、長い間保留にされていた唯一の質問――それは歌かどうか――が生まれる。リリシズムとはこの不安のことである。」(「序曲」)
「リリシズム、自分のねぐらをけっして見つけないように強いられた、さまよう言葉。」(「リリシズムの言葉」)
「リリシズムのなかには対立した二つの熱望がある。一つは祝祭への熱望であり、他方は死へのあこがれである。」(「リリシズムの言葉」)
「リリシズムの状態とは、われわれの運命が突然明らかになったときにわれわれをとらえるこの興奮のことである。霊感とは、それが私たちの存在だけしか照らさないのではなくて、それと共に世界全体を照らすようなものである。リリシズムは陶酔を手に入れ、そこから竪琴の伝説が始まる。」(「イギリス風の朝」)
彼にとってはリリシズム論は真の人生論なのかもしれない。
書名は、ルソーの「新エロイーズ」の一節を論じたエッセイから来ている。「親愛の理想郷」の感動を捉えようとする試みと言えるだろうか。
(池田康)
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2018年07月27日

詩集『エチュード 四肆舞』について

etudeshishimai.jpg愚生の新しい詩集『エチュード 四肆舞』が完成した。継続的に168篇までを書き、その一部をときおり「虚の筏」などで発表してきた“etude四肆舞”シリーズ(4行1連×4の16行の詩)から48篇を選んで一冊にした。エチュードという種目は音楽では12曲を1セットにすることが多いからそれに倣って、12×4章で48篇ということにあいなった。構成がうまくいっているかどうか、ご覧下さり、ご判断いただければ幸いだ。四六変形、ソフトカバー、112頁、本体1800円+税。
(池田康)


追記
manrayistさんがブログ記事を書いて下さいました。

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2018年07月25日

キューバ音楽の秘法

buenavistasocialclubadios.jpg映画「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ★アディオス」(ルーシー・ウォーカー監督)を観た。彼らキューバの老楽士たちの生々しい名演に再び接することができて幸せだった。キューバという国の歴史も政治と社会風俗の両面から見えてくる。キューバの伝統音楽「ソン」の魅力はなんなのだろうかと改めて考えてみるのだが、なかなかうまく言い当てられない気がする。独特にhighな感じ、強烈な音楽の常夏。どうやったらこうなるのか、圧倒的な「歌の波」が生まれ、襲いかかってきて流されるのを感じる。代表曲「カンデラ」は「火」という意味だそうだ。音楽的興趣の作り方に秘法があるのだろう、模倣を試み成功するミュージシャンが出てこない点からも、接近困難な高度さがうかがわれる(まだ秘法は解かれていない!)。「アディオス」というのはサヨナラの意味らしい。時とともにオリジナルメンバーが亡くなったり演奏できなくなったりして、グループとして終焉が見えてきているのだろうか。映画の最後の方は感慨でいっぱいになりながら聴いているだけだ。
(池田康)
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2018年07月11日

水の豊かさの怖さ

タイでは洞窟内の13人が救出されたが……。先週中国地方を襲った大雨の猛威は予想外に強大で驚いた。地震とか台風とか言われると身構えるが雨がたくさん降るというだけではなかなか警戒心が立ち上がりにくいのだろう、一つの町が一夜にして泥水に浸かるというのは悪夢だ。「治人」とか「治獣」という表現は聞かないが、「治水」という言葉は十分に熟していることからみても、治水は古来国政の重要なテーマだったのだろう。陽光の豊かな地域は陽光を恐れなければならず、水が豊かな地域は水を恐れなければならない。ナイル川の氾濫はエジプトの地に豊穣をもたらしたが、それはそうした自然の変化をカレンダー上に予定し柔軟に順応できる生活様式を確立した上でのことだ。
「みらいらん」2号のインタビューで人類学の篠田謙一さんが、文明の衰滅する要因として、社会学的なことよりもむしろ自然の脅威を第一に考えると発言しておられたが、本当に、我々は安定した自然環境をアテにして生活しているけど、それは常に100%恵まれ満たされるわけではないのだと、こういう災害があると思い知らされる。
(池田康)
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2018年07月09日

ジュール・シュペルヴィエル(嶋岡晨訳)『悲劇的肉体』

higekitekinikutai.jpgシリーズ〈詩人の遠征〉の第10巻として、上記の本を刊行した。
シュペルヴィエル(1884-1960)が1959年に出した最後の詩集『悲劇的肉体』のきわめて貴重な本邦初の全訳(嶋岡晨氏の渾身の訳業!)。天性のイマジネーションののびやかさと死を目前にした観自在とが交錯し豊穣な詩世界が展開されており、内省的で幻想的な抒情から、孫娘に捧げる暖かい長篇詩や色華やかなシェエラザード讃まで、詩人の内面を構成する多くのモチーフが入り乱れて、二十世紀という地球時代を雄弁に精緻に物語る。一読すると、精神の大きさというものを圧倒されるように感じるのだ。
巻末に収録した、翻訳者の嶋岡晨さんの「解説風の覚え書」のエッセンスをまとめて次のような短文にし、本の袖に載せた。
「二十世紀フランスの代表的詩人ジュール・シュペルヴィエルの最後の詩集『悲劇的肉体』。持病の心臓疾患を介して死と対話するその詩の思考において、精神は肉体を蔑視せず外の世界を敵視せず、生と死が共棲し、可視と不可視が重なる、複雑で奥深いナルシシスムを伴った悲劇性が顕現し、さらに人類的イメージへと広がる。「精神が夢と混じりあうとき、対立物はもはや存在しない」──日常の魔法、言葉の幻術は最後をたやすく最初の詩の〈誕生〉に変えるのだ。」
過度に凝縮したのでやや難しい表現になっているが、シュペルヴィエルの詩がどういう広く深い時空で動いているかが察せられ、本書の重要度は伝わるかと思う。季節を超越したこの貴重な詩集をぜひ手に取って熟読いただきたい。
184頁、本体1800円+税。
(池田康)
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2018年07月07日

「みらいらん」 第2号

milyren2.jpg「みらいらん」2号が完成した(1000円+税)。野村喜和夫さんをホストとする恒例の企画「対話の宴」は画家で映像作家の石田尚志さんをゲストを迎えての「書くこと、描くこと、映すこと」。現代美術における石田氏独自の表現の追求の仕方、吉増剛造さんとの交流、子供の頃の体験など語られる。独特の映像作品の制作の経緯や方法が興味深かった。インタビュー〈手に宿る思想〉はDNA解析をつかって人類学を研究する篠田謙一さん(国立科学博物館副館長)、ホモ・サピエンス6万年の旅のことなどをうかがった。そのお話に出てくる古代アンデスの社会が文字を持たなかったということにちなんで、小特集「文字のない世界」を組んだ。ご参加いただいたのは、山田兼士、金井雄二、江夏名枝、八潮れん、八覚正大、松尾真由美、渡辺めぐみ、藤田晴央のみなさんで、エッセイと創作とで構成されている。新しく始まった嶋岡晨さんの連載詩「びっくり動物誌」は生物の奇妙な生態に光を当てて命の形の可能性を描く試み、注目していただきたい。巻頭詩は佐々木幹郎、古内美也子、新延拳、河原修吾、小笠原鳥類、藤原安紀子のみなさん。林浩平さんの「Hidden Treasure」、今回は安東次男を取り上げている。その他の内容の詳細は下記リンクでご確認下さい。
私が書いている「深海を釣る」は、前々からラジオのDJ番組のような記事を作りたくて何人かの方に相談していたのだが実現しなくて、では自分でやってみようかと試みているものだが、ラジオ番組のしゃべりの軽やかさで書くのは至難だ、懸命に書き込んでいるとだんだん重さが加わってくる。深海とDJ番組は水と油なのかもしれない。
それから表紙の画像(下の方)のプテラノドンはぜひ調べてみていただきたい。どこかに復元想像図が見つかるはず。これがあの骨かと、驚くことになるだろう。今から8千万年前の生物。
(池田康)

追記1
篠田謙一さんのインタビューで言及されている「古代アンデス文明展」は現在山梨県立考古博物館で開催されており(今月16日まで)、7月27日から9月30日まで仙台市博物館での開催が予定されています。

追記2
本書のご注文は、書店でしていただくか、直接洪水企画にご注文いただければ幸甚です。ネットショップをご希望の方は、下記の準公的な書籍検索サイト
で検索していただき、右側に出てくるショップ各店を当たっていただければと思います。
『悲劇的肉体』についても同様の手順でお願いいたします。

追記3
奥付のページのなにかの立体の展開図の一面一面に文字が書いてある謎の図について、これはなんなのかというお尋ねが複数きておりますが、解読のポイントを示すなら、第一は、万葉仮名を使っていること、第二は、白い五角形の並び、黒い六角形の並び、灰色の六角形の並び、それぞれを別々に読む、ということです。挑戦してみて下さい。
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2018年07月05日

虚の筏21号

「虚の筏」21号が完成しました。次のURLからご覧下さい:
http://www.kozui.net/soranoikada21.pdf

今回の参加者は、海埜今日子、二条千河、たなかあきみつ、神泉薫、酒見直子、平井達也、そして小生です。
空いたスペースに入れている画像もちょっと面白いので、ぜひご覧下さい。
(池田康)
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2018年06月27日

今週の予定など

気候が夏のようになってきて、涼風や氷菓子を恋しく思うようになった。今週は歯医者で抜歯のしんどい治療があり、週末には「みらいらん」と新刊単行本の納品が予定されており、なかなかにせわしい。サッカーのW杯も佳境になりつつあるが、深夜の時間帯まで誘われるのはきついなあとこぼす程度の薄情な見物客だ。今は本の発送準備をしながら「虚の筏」の新しい号を作っている。この詩誌も21号を数えるまでになった。これくらいまで来ると歴史を感じる。バックナンバーをクリアファイルに収納しているが、それをめくって各号いろいろ遊んでいるのを眺めるのも楽しいものだ。21号でもちょっと斬新な新しい遊びを考えている。さて、近く出る新刊書とは、嶋岡晨さん翻訳によるジュール・シュペルヴィエルの最後の詩集『悲劇的肉体』。また改めて案内するつもりだが、この詩人の老年を酒樽としてとても豊穣な詩世界が醸造されている。必読ですとお勧めしたい。
(池田康)
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