2018年02月17日

訃報飛来ス

訃報は予期もしないところに新聞・テレビ・ラジオを通じて伝えられる。石牟礼道子逝去の報は、かつて氏の文章に多少とも接したことがあったのでそれなりの深い感慨を覚えたが、私にとってより生々しく切実に刺さってきたのは、元東京新聞記者の吉岡逸夫さんの訃報だ。以前、アジア関係の雑誌にかかわっていたときに吉岡さんには少し(相当?)お世話になった。覚えているのは、どういう用件でだったかは忘れたが、新宿ゴールデン街の韓国料理の店で会って話をしている光景だ。初対面に近い人間をそんな場所に誘う人はあまりいないだろう、吉岡さんらしい。映画製作のことも記憶に残っている。ハンディビデオカメラをもって中東へ行って撮影し、それをドキュメンタリー映画にまとめたものが、東中野だったか渋谷だったかの映画館で上映されたのだった。そんな簡単に本格的上映が可能な映画ができてしまうものかと唖然とすると同時に、吉岡さんの恐れを知らぬ行動力に舌を巻いたものだった。66歳は早すぎる――そう呟いてみるのだが、それだけの身にこたえる冒険を重ねてきた孤軍の記者だったのかもしれない。
(池田康)
posted by 洪水HQ at 17:01| Comment(0) | 日記

2018年02月08日

出たくない症候群

布団から出たくない、風呂から出たくない、家から出たくない、の「出たくない」症候群が優勢になる真冬の日々。
1月は正月の延長でのんきな気分で過ごしていたが、2月になって急にせわしくなってきた。歯の治療、パスポートの切り替え、運転免許証の更新、税務署に出す書類の作成など、それほど楽しいわけでもない用事が次々と重なってきて、気が急いてくる。こんなに寒いのに、やっかいなことをいくつもやらなければならないのは、誰が仕組んだ罰ゲームだと文句を言いたくなるが、北国の雪かきの力仕事は大変だし、大雪で立ち往生する車のドライバーは地獄だろうし、受験生たちは氷雪の気候に遭えば危機一髪だし、それに比べたら苦しいのうちに入らないのだろう。
歯医者というのは本当に怖いもののようで、今日行かなければならないなあと憂鬱に考えて変な具合に首を伸ばしたら筋を違えたような痛みができてしまったほどで、恐怖の観念だけで体調がおかしくなるという笑止な経験をした。
しかし歯医者だろうとつまらない用事だろうと、外に出て寒風に吹かれると気分がすっきりするのも事実だ。“自分”から出たくないという究極の出たくない症候群から逃れて二人称や三人称の人々の言葉の風に吹かれてみるのも心の強健さを養うのに必要のような気がする。
(池田康)
posted by 洪水HQ at 12:56| Comment(0) | 日記

2018年01月31日

ふたつめの新年会、など

昨日は上野の国立科学博物館で「古代アンデス文明展」を観て(数百年、数千年の生活の中で生まれてきた形や意匠は個人の表現者の作品とは違った沈黙の重量を感じさせる)、書店2軒に立ち寄り(下北沢B&Bは所在地を百メートルほど変えていた。新店舗は地下)、それから少人数での酒宴、今年2回目の新年会だった。東京の街はまだそこかしこに雪の塊を残していた。今週も降るとか?
さて、対話の宴「〈詩と音楽のあいだ〉をめぐって」にゲスト出演していただいた四元康祐さんが「みらいらん」紹介の記事をネットに載せて下さいました。是非ご覧ください。
https://note.mu/eyepoet/n/n1d34e952adc4
(池田康)
posted by 洪水HQ at 18:43| Comment(0) | 日記

2018年01月25日

前衛は詩を思考する

江田浩司著『岡井隆考』(北冬舎)を読んでいる。568頁もある大冊で、蝸牛のように遅々とした小生の読書ではいつ読み終わるとも知れないので、とりあえず簡単な報告をば。これだけ分厚い本として現れると、一見評伝のようにも見えるが、そうではなく、各歌集を丹念に批評するというのでもなく、帯に「[詩人岡井隆とは何か?]を尋ねて」とあるように、歌人・岡井隆の、歌人らしからぬ、自由詩へと越境してゆく志向、詩歌表現の原理の層を探求しようとする実験者の相に積極的に光が当てられ、足跡のユニークな特異性が明らかにされる。その論述の過程で、共産党への支持と反発とか、九州に身を隠した五年の空白期間のこととか、医師としての仕事との関りとかが指摘され、この詩歌探求者が現実としてどのような問題をはらんだ道を歩んで来たか大まかにわかるようになっている。
この本で紹介、批評される特異な性格のテキストを見ると、生半可な詩人よりもずっと尖鋭に詩の実験や試行をおこなっていて、岡井隆がいかに徹底した「逸脱者」であるかがよく理解できる。「国道一九四五八一五」「雨乙女ザムザム」「陰茎なき精神」「タンポポ詩人」などなど随所で登場するキー・フレーズも独特の輝きを帯びていて強く印象に残る。
「現代詩と現代短歌は、辺境において相対してゐる異質の文学領域ともいへる。お互ひに理解し合はうとしてゐない。お互ひの神をしりぞけ合つてゐる。わたしは、自分が、この二つの領域のどちらにも相わたる流浪の民であるやうに信じてをり、今は、現代短歌の民をよそほつてゐるにすぎないと思ふことがある」、「自分自身の内部で歌人と反・歌人が抗争する、この緊張した内面的葛藤は、激化の極になれば自己破壊を生じ、歌人であることをやめねばならない。反対に、この葛藤が弱まり緊張関係が解消でもすると、三十一文字をただ並べるだけの職人にはなれるかも知れないが、本当に短歌の運命に参与した歌人としては失格する。緊張を、或る一定の強度で持続するのが生産性を保つ条件だとは言えないだろうか」、「僕はここではいわゆる歌人として振舞わない。ひろくうたを書くように心がけるつもりだ。詩型に無頓着にスキャンダルをふりまきたいのだ」といった言葉はこの歌人の創造への心組みを正確に語っているように思われた。歌壇に埋没しない、歌壇を超越する歌人がいて、こんなふうに意義深く戦っているのだと、この書は言葉を尽くして証言している。
(池田康)
posted by 洪水HQ at 18:06| Comment(0) | 日記

2018年01月19日

三拍子、三分割の謎

一昨日だったかN響の演奏会をNHKFMが生中継していて、R・シュトラウスの「歌劇“ばらの騎士”組曲」やラヴェルの「ラ・ヴァルス」をやるということで、解説でワルツという楽曲形式がウィーンの特産として語られ、そうか、やはりワルツはもともとあの地方のものかと認識をあらたにした。三拍子といえば舞踊と連想するのはワルツを思うからだろう、まっすぐにどこまでも進んでいくという感じはしない。
話は変わるが、山下達郎のオールディーズを紹介する番組やラジオの他の洋楽番組で昔のドゥーワップを何曲も聴いていて、似たような作りの曲が多いのに気づいた。ゆったりとした四拍子で、一拍を三つに分割するリズムが刻まれる。遊歩のような進行なのだが一拍の中に細かく三本の柱が立つことで間延び感がなくしかも三つ打ちはどこかのどやかな雰囲気をもたらすようなところがあって、結果として独特の優雅さがもたらされる。そもそも三拍子系の三分割はどこかアバウト、どこか割り切れない「いい加減」な要素があって、ウィンナワルツも二拍目だか三拍目だかを長くするしきたりがありリズムの歪みが風情となるのであって、伸び縮みの融通がきき、それが温かさや人間味、抒情に通じることにもなるのだろう。
三分割は難しい。A4の紙を三つに折って長3の封筒に入れることがよくあるが、そのときもぴたりと正確に折れるなんて幸運はまずない。なにも考えずにやれば大抵5ミリくらいはズレが生じるのであり、頑張って注意しても1ミリ2ミリ程度は「あまり」が出る。四つに折る場合は隅を合わせて正確に折ることができるのとは対照的で、三分割は本質的にどこかテキトーなのだ。
三拍子は不正確さが持ち味であり、そこに面白みがあり、正確な三等分から微妙にずれてストレスや濃淡を動かすことで「歌をうたう」様態なのだろう。従って測ったように正確に刻んでも意味はなく、「打ち込み不可」ということになる。三拍子は「字余り」を貴び、歪みを表情とする。ドゥーワップ(の多く)は三拍子ではなく一拍3ビートということだが、これも打ち込みでやったら音楽の生命感がなくなるのではないだろうか。
(池田康)

追記
『BRUTUS』2/15号の山下達郎特集を見ると、ドゥーワップの基本リズムは8分の6拍子なのだそうだ。8分の6拍子というと軽快な狩りのリズムのイメージが強かったが、必ずしもそうでもないということだろう。
posted by 洪水HQ at 12:08| Comment(0) | 日記

2018年01月15日

ようやく新年?

昨日、平塚駅近くの升水記念市民図書館で荒川洋治氏の講演会「新しい読書の世界」を聴いた。ジャンルを超えていろんなものを幅広く読むべしという基本指針に沿っての、流麗で奔放な、魚が海を泳ぐように自然で鮮やかな語りぶり。その話の中で熱く論じられた文学作品や学術書を羅列紹介すると、以下の通り。
丸山眞男『超国家主義の論理と心理』、村上一郎『日本のロゴス』、足立巻一『やちまた』、白川静『字統』、網野善彦『無縁・公界・楽』、大野晋『日本語の源流を求めて』、国木田独歩「忘れえぬ人々」、黒島伝治「橇」、島崎藤村『夜明け前』、尾崎翠『第七官界彷徨』、寺山修司『戦後詩』、スタインベック『ハツカネズミと人間』、サローヤン『ヒューマン・コメディ』。
渡された資料にはもっとたくさん書名が並んでいる。いぶし銀、というよりももっと渋く文学的ワビサビを効かせた堅牢なクロガネの選択とも言えそうなリスト。散文(小説)は、冷たい、伝達のための言葉だが、詩は自分にとって「あたたかい言葉」であり個人性の提示であるという詩の本質論も結びの言葉として述べられた。
会の後は先輩X氏と二人で駅前の店にて楽しく新年会をやった。やっと本当に新年が始まったような気がした。
(池田康)
posted by 洪水HQ at 16:50| Comment(0) | 日記

2018年01月13日

すがすがしさ耳を洗う

一昨年、洪水企画から楽譜『あの星』を出した竹原恭子さん(八重洋一郎さんの奥さん)が、楽譜に入っている曲の一部をソプラノ歌手の方にうたってもらって私家版CDにしましたと、送って下さった。しばらく机の上に置いてあったのだが、新年になってからかけてみると、気持ちのよいすがすがしさで、楽譜とにらめっこしていた段階では想像できなかった調べの流れの生命が耳に現れた。いわゆる唱歌よりもさらに平明で、樹上の鳥の鳴き声を聞くような自然さ。どんなジャンルにも入らなそうな、装飾を排したシンプルきわまる音の姿で、「みらいらん」1号の小特集「裸の詩」で探求しようとしたのも、このような言葉の姿のすがすがしさだったのかもしれないと思った。多くの人に聴かれ、歌われるようになるといいと願う。
(池田康)
posted by 洪水HQ at 14:34| Comment(0) | 日記

2018年01月04日

「みらいらん」創刊号

milyren1.jpg「洪水」の後継誌「みらいらん」が完成した。A5判で160頁。表紙の画像は神奈川県立生命の星・地球博物館の協力を得ている。
「みらいらん」は「未来卵」であり、「未来への乱」でもあり、あるいは「嵐」も「濫」もあり、「RUN」も考えられる。表紙のアルファベット表記の真中の「LYRE」は竪琴(リラ。英語読みはライラ)で、未来卵の中に竪琴が隠れているというイメージ。とすると、「みん(睡眠の眠)=ねむり」をライラの歌が破る、という解もありうるだろうか。
詩と批評を中心に、他ジャンルも広く視野に入れ、新鮮で刺戟にみちた創造精神の座標を拓くことを目指す。
創刊号の大きな企画は、詩人の野村喜和夫さんと作曲家の篠田昌伸さんにゲストとして詩人の四元康祐さんが加わった座談会「詩と音楽のあいだをめぐって」。あえて尖鋭な現代詩を多く取り上げて作曲する篠田さんに話を聞き、詩と音楽の現在について考える試みで、篠田さんが野村さんの詩に作曲した三作品(「街の衣のいちまい下の虹は蛇だ」「平安ステークス」「この世の果ての代数学」)が主な話題となった。最新の「この世の果ての代数学」は昨年のクリスマスイブの夜に女声合唱団暁によって初演された誕生したばかりのもの(このブログ2017.12.25の項を参照)。なおこの座談会は、昨年11月4日に詩とダンスのミュージアムで行われた。
インタビュー〈手に宿る思想〉は創造の方法論の中にひそむ実践に直結した思想を探る企画だが、初回は洪水企画の出版物をたくさん手がけているブックデザイナーの巌谷純介さんに、本作りの様々な秘話をうかがった。
ほかに小特集「裸の詩」(高階杞一、有働薫、渡辺玄英、高岡修、北爪満喜、水谷有美の各氏の参加)、東日本大震災を現在に呼び起こす伊武トーマさんの連載詩「反時代的ラブソング」、林浩平さんのあまり世に知られていない名作を掘り起こす「Hidden Treasure 現代詩 埋もれた名篇を探る」(初回は会田綱雄「大工ヨセフ」を取り上げる)、巻頭詩は嶋岡晨、麻生直子、紫圭子、廿楽順治、生野毅、三尾みつ子の皆さん。そして連載詩=小島きみ子さん、連載掌編=海埜今日子さん。そのほか、詳しくは次のリンク頁をご覧いただきたい。
コロンブスの卵から近代が生まれたとしたら、「みらいらん」の幻想の卵からは次の文明時代の胚芽が誕生するのであってほしいと祈念しつつ、千年の詩魂の卵を育み、現実を支配する論理に思想の乱を挑む、という最高次の難題に出発したい。
(池田康)
posted by 洪水HQ at 18:25| Comment(0) | 日記

散らからない生活を目指し

年末年始の日々。新雑誌「みらいらん」創刊号の発送(運良く年内に完成を見た)をぎりぎり終える。映画「スターウォーズ 最後のジェダイ」を見てジョン・ウィリアムズの音楽の華麗に酔い、P.K.ディック『去年を待ちながら』を読んでSF酔いに深く酔い(辛口の世話物の面もある)、MJQの「ヨーロピアン・コンサート」などレコードを何枚か聴いて音楽の無垢に時間の襞に染むほろ酔いを噛みしめる。体調を崩して半日ほど寝ていたこともあり(インフルエンザか食あたりかと考える間もなく快癒した)、食生活は質素をきわめていた。大掃除は片手間にちょこちょこっと片付けただけだが、散らかっていた本などが片付くと住空間がすっきりする。そもそも「散らかる」というのは処理能力の不足に起因するのだろうか。どうにか「散らからない生活」を実現したいと思うのだが、生来の怠惰も矯正しがたく、遠い目標のままのようだ。
(池田康)
posted by 洪水HQ at 09:53| Comment(0) | 日記

2017年12月30日

虚の筏20号

虚の筏20号が完成しましたので下記リンクからご覧下さい:
http://www.kozui.net/soranoikada20.pdf
今回の参加者は、坂多瑩子、二条千河、たなかあきみつ、平井達也、酒見直子の皆さんと小生。
中央付近に切手の画像があるが、これはフランスの切手で、S先生から頂戴したもの。絵柄はドラクロワの代表作「民衆を導く自由の女神」の女神の頭部。左下にものすごく小さい字で「ドラクロワ」の名前が書いてある。右下には「ガンドン」とあり、この人(Pierre Gandon)はドラクロワの絵を版画に写した人のよう。ぜひPDFを表示させて切手の部分を200%か300%に拡大してみて下さい。
なお、新雑誌「みらいらん」創刊号はすでにできあがっています。紹介は新年になってからする予定です。お待ち下さい。
(池田康)
posted by 洪水HQ at 23:00| Comment(0) | 日記