2016年09月25日

平野晴子詩集『黎明のバケツ』小野十三郎賞特別賞

平野晴子詩集『黎明のバケツ』(洪水企画)が第18回小野十三郎賞特別賞を受賞しました。おめでとうございます!
ちなみに同詩集は中日詩賞も受賞しています。
(池田康)
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2016年09月24日

ROSCO15周年

昨日は東京オペラシティリサイタルホールで、ROSCOの15周年コンサートがあった。ROSCOはヴァイオリンの甲斐史子、ピアノの大須賀かおりの2人のグループで現代曲を中心に演奏する。この日のプログラムで印象に残ったものをいうと、ヤナーチェクの「ヴァイオリン・ソナタ」は、音楽を志す熱塊の脈打ちの激しさに打たれた。100年前の音楽家はやはりちがう。戦後の音楽は思考の面がどうしても強くなってしまう。ハインツ・ホリガー「無言歌2」は5つの楽章からなり、テンポの速い章はぴたりと合わせるアンサンブルの見事さが出て、最後の章の静かなゆっくりした箇所はじーんとした感覚で聴き惚れた。斉木由美「歓」はピアノ独奏、この曲は演奏を聴くのがこれが三回目だろうか、邂逅がこう度重なるのも珍しい。今回は鍵盤の上で手が動くのが見える位置で聴いていたのだが、そうとう乱暴な動作の箇所もあり驚いた。全体に輪郭くっきり、躍動とぎれず、随所に不意の鋭さが突出して、大須賀さんも心の中で「快感!」と叫びながら弾いていたのではなかったろうか。ソフィア・グバイドゥーリナ「タイトロープの上のダンサー」はピアノから闇が這い出てくるようだった。ピアノといえばふつう光のイメージがあるのだが、逆だ。甲斐さんは弓の糸が切れたのをぶちっとちぎり取りながら緊迫の音の舞踊をしていた。グバイドゥーリナは音楽で絵を作るのが得意なのかもしれない。ほかに、坂東祐大「シーソー」、クラウス=シュテファン・マーンコプフ「ウラディミール」が演奏された。
今日は渋谷駅から歩いて10分のライブハウス・クロコダイルで「第22回クロコダイル朗読会」を聴く。出演は、鼎談と朗読で、財部鳥子、福島泰樹、文月悠光の三氏。ほかに、関中子、水沢なお、佐峰存、山口眞理子、福田拓也、浜江順子、筏丸けいこの皆さん。一人一人の言葉のリズムのちがいを感じる。お店の人達の丁寧なサポートぶりがいい。
(池田康)
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2016年09月22日

洪水18号在庫切れ

洪水18号はおかげさまで版元在庫なしになりました。どこかのお店にはまだ残っているかもしれません。ご入用の方はお探し下さい。
洪水次号(この冬に刊行)は、「日本の音楽の古里」という特集で、邦楽や伝統音楽の世界に踏み込んでみたいと計画しています。このテーマで妙案や深い経験をおもちの方はご協力下さい。
(池田康)
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2016年09月15日

シンディ・ローパーを聴いて

8月某日、某セコハン店でシンディ・ローパーのCDが目に留まった。この歌手の曲は「Girls Just Want To Have Fun」を知っているくらいだったが。『音楽を愛して、音楽に愛されて』(ぴあ)という“湯川れい子80th記念BOOK”を、いろいろ勉強させてもらおうと読んでいたのだが、何人かのミュージシャンが特別にページを設けてじっくり語られており、その中にシンディ・ローパーの章もあったのを思い出した。それで『Twelve Deadly Cyns』という、これはベスト盤なのだろうか、12曲ではなく17曲入ったのを手に入れて聴いた。なにか突き刺さってくるものがある。どこかイカれたところがないと本当に魅力的な歌にはならないとしたら、歌手も因果な商売と言わなければならない。人気あるけど、上手だけれど“音楽業界内歌手”の域を出ていないという歌手はたくさんいる。その見えない殻を突き破ってくるものがあるという点でシンディ・ローパーは強い。
歌を成立させる要素を表層的なことから深層的なことへという順序で考えるなら、歌う技術/歌う力(表現のエネルギー)/歌声/歌心(音楽のエロス)/歌う根拠(歌の思想)/歌う運命(ミューズとの縁)……といった具合になるだろうか。
前にジョーン・バエズについても、コマーシャリズムやプロフェッショナリズムを超え出る“大地の使徒”的なものを考えたが、こう言うと誇張に聞こえるかもしれないが、神がかったもの狂いの部分がおそらく枢要なのだろうと、シンディ・ローパーを聴きながら思った。「Time After Time」もこの人の曲だったのだね。ブラウザの検索欄に「time」と書き込んだら候補のトップにこの曲のタイトルがすっとあがってきて驚いた。
(池田康)

ついでに。このあいだ名古屋に行ったとき、ある店で音楽DVDが廉価で売られており、かねて一抹の興味を抱いていたレディ・ガガのDVD(『A Very Gaga Thanksgiving』なるもの)を手に入れた。この人は一般にどういうジャンルの存在とされているのか知らないが、ここでのガガはそうとう凄腕のジャズシンガーだった。トニー・ベネットが「America's Picasso」になるだろうと誉めている。それが本当なら、「ショービジネス・ビッグスターの時代」から「ジャズ・トップスターの時代」への変貌もありうるだろうか。ちょっと期待したくなる。トニー・ベネットとのデュエットのCD『CHEEK TO CHEEK』(2014)でもレディ・ガガのジャズが聴ける。
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2016年09月13日

秋元千惠子著『地母神の鬱』

jibosinnoutsu.jpg歌人の秋元千惠子さんの環境詠に関する論考やエッセイを集めた本『地母神の鬱 ─詩歌の環境─』が〈詩人の遠征〉シリーズの第8巻として洪水企画から出た。長年にわたり書き継がれた、環境問題を短歌の詠に組み入れることに関する思考の集積であり、己自身の真率で偽りのない抒情を基本とする詩型である短歌にどうやってポエジーをそこなうことなく環境問題の議論を取り入れるかは難しい問題があるわけだが、あえて〈社会〉に目を向けようとする秋元さんの半世紀近くにも及ぶ努力の継続は非常に重い。
この課題をより抽象的に(次元を高くして)言えば、詩歌に文明論的思考を取り入れるということであり、これは戦後詩が当然のことのように行ってきたことであって、この時代に生きる人間としてなんの不思議もない営為だ。短歌でも前衛短歌あたりでは高度な仕方でこの試みがいろいろなされており、本書後半の、他の歌人たちの作品を鑑賞する章ではその構築が丹念に読み解かれている。秋元さんはこの文明論的思考の方法論を故玉城徹から学んだそうだ。抒情を旨とする上田三四二の教えと、そして玉城徹の思想性とが、自分の二つの基礎になっていると語る。
ということで問題意識がはっきりしており、真摯な、非常に考えさせられるエッセイ集と言える。終戦直後のころ、DDTまみれのトマトを食べてひどい腹痛にみまわれた忘れられない経験をし、後年荻窪で自然食品の店を営んだ人間としての実際的知識、経験、感覚の蓄積が独自の重みを創りだしているのではないだろうか。
自選百首も含まれていてこの歌人の歌業のエッセンスを味読することができる。
書名は
 うらうらと揚がるひばりの空の鬱 孵らぬ春に地母神の鬱
という短歌からきている。
地母神はわれわれの近現代のある歪な部分を衷心から憂いているのだ。
(池田康)
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2016年09月10日

絵魔術に会う

夏のはじめに購入した青春18きっぷを期限ぎりぎりであまらかしていたので、それを使いながら昨日、案内をいただいていた名古屋ボストン美術館開催の「ボストン美術館所蔵 俺たちの国芳 わたしの国貞」展の内覧会におじゃましてきた。ボストン美術館は浮世絵をなんと五万点以上持っているそうだが、そこから精選した170点ほどが展示される。歌川国芳と国貞の二人は江戸時代の晩期に生涯を送った絵師(歌川豊国門下)だが、二百年の太平の文化・風俗の爛熟の中で研ぎ澄まされた浮世絵の精妙奇抜な構図学が実現させる“絵魔術”の面白さを堪能した。物語絵の入魂の凝縮、ポートレートの鮮やかな切り取り。「江戸の「俺たち」を熱くした、国芳が描く英雄や任侠の世界。江戸の「わたし」が憧れ夢見た、国貞が描く歌舞伎役者に美人たち」と展覧会ちらしは説く。現代のポップカルチャーに通じるものがあるという解説もそのとおりだろう。二度三度とリピートして通いたくなる強烈な魅力がある。
帰途、浜松でご当地のおいしいものを食べて胃袋のほうも満足させて帰ってきた。
(池田康)
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2016年09月04日

毎日新聞ご覧下さい

本日の毎日新聞の書評欄MAGAZINEコーナーに「洪水」18号が取り上げられ、佐藤聰明さんのエッセイが詳しく紹介されています。ぜひぜひご覧下さい。
(池田康)
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2016年09月03日

虚の筏17号

「虚の筏」17号が完成しましたのでご覧下さい。
http://www.kozui.net/soranoikada17.pdf
今回の参加者は、久野雅幸、二条千河、海埜今日子、たなかあきみつ、小島きみ子、平井達也、酒見直子の皆さんと、小生。
(池田)
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2016年08月23日

悲願幻想の最重量

台風も直撃のような形でやってくると油断できない。高いところにある常設拡声器からの注意報が耳を脅す、この夏一番の大荒れの日だった。
リオ・オリンピックが終わった。ときめく瞬間や心揺さぶられる場面がいろいろあったが(女子柔道・田知本遥のあしたのジョーみたいな極限の戦いぶり、陸上男子400mリレーの鮮やかな走りっぷり、など)、言語上のカルチャーショック的なときめきの第一は、女子マラソンのメダリスト三人の名前。スムゴング、キルワ、ディババ。響きがあまりに新鮮、完璧な異質さにどきりとした。四年間有効の必勝祈願のおまじないの文句にするといいかもしれない。ケニアとバーレーンとエチオピアの選手で、アフリカの方角の空気がさっと広がるように感じられた。男子マラソンも、キプチョゲ、リレサ、ラップ、と三位にアメリカ選手が入っているが、なかなか刺激がある。二位の選手は自国に抗議するデモンストレーションをやったことでも注目を浴びていた。
また、これは新聞で読んだ話だが、ブラジル・サッカーチームのネイマールは決勝の試合で「エオ・エスト・アキー(俺はここにいる)」と叫んだとか。これも言葉の角張ったフィギュアが印象に残る。試合の最後のPKで、彼の上にのしかかったブラジル国の悲願の重さは、かつて円谷幸吉が感じたものに匹敵するだろう、大変なものだったに違いない。この伸るか反るかをサヴァイヴできたのはラッキーだった。大会を通しての悲願幻想の最重量をもちあげた金メダル。
(池田康)
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2016年08月17日

新実徳英著『A.E.あるいは希望をうたうこと』

この夏、作曲家の新実徳英さんの上記エッセイ集が刊行された(ARTES、本体2200円)。毎日新聞九州版に2007年から2013年まで月一回で連載されていたもので、九州の話題も所々に挟み込みながら、作曲のこと指揮のこと合唱のことなど、自ら職業とする音楽に関するあらゆる現象や経験を思いつくまま、独特の軽やかにダンスするような口調で語ってゆくので、読者は楽しく読みながらいつの間にかたくさんのことを学んでいるはずだ。多くの場所で表されるバッハに対する敬愛の念は、そこまでなのかと、ちょっと驚くほどだし、仏教関係の特別の曲を含む近年の新作創作の破格の多忙ぶりも、知りませんでしたと恐れ入るばかりだ。
このエッセイ集のもっとも重要な点は、2011年の東日本大震災をはさんでいることで、連載にとっては図らずものことだったろうが結果的にこの本の貴重な意義となっている。タイトルの「A.E.」というのは「After the Earthquake」の略であり、新実さんは忘れてはならないの心から大震災以後の自作に「A.E.番号」をつけているのだ。2011年3月以降の章ではしたがってその関連の話が多くなっている。巻末に収められている、詩人の和合亮一さんとの対談ももちろん大部分は大震災をめぐってのやり取りであり、おおいに考えさせられる。
こう書くと深刻そうに聞こえるが、全体を通して感じられるのは新実さんの楽しそうな声の明るさ、心映えの明朗さであり、「希望をうたう」というタイトルの言葉はぴったりと言える。新実さんの音楽を聴いたことがある方は(ない方も音楽に興味があれば)ぜひ本書を手にとってこの作曲家の思考と感性の柔軟な動きに接していただきたい。
(池田康)
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