「みらいらん」12号の編集を終えて印刷所に入れることができた。いつもよりやや早めだが、これは新作映画を紹介していて、その公開中に雑誌が出るようにするため。ちなみにこの号は映画特集「映画は夢に溶ける」を組んでいる。
先日、野村喜和夫対談集『ディアロゴスの12の楕円』の内輪の小祝賀会があったのだが、8人前後という規模の集まりで楽しく酒杯を交わすのは(私はちょっとしか飲めないが)久し振りで、人との交わりを欠いたここのところの月日の鬱屈が少し晴れた気がした。
昨年の夏は百合に狂っていた(近所の高砂百合を探訪していた)が、最近家の近所で鉄砲百合(この種類はこの季節なのか…)がみごとに華やかに咲いている姿に出会い、百合熱が再燃したような感じ。よその土地にも探しにいこうかと夢想している。
(池田康)
2023年05月02日
2023年04月17日
野村喜和夫対談集『ディアロゴスの12の楕円』

この本は最初〈詩人の遠征〉シリーズに入れることを考えたのだが、188×120ミリのこのシリーズの判型で組むと頁数がとんでもなくかさばるので、このシリーズの番外シリーズ〈extra trek〉の1巻として、A5判で制作した。〈trek〉は巻頭に置かれた詩篇「(ダウラギリ・サーキット・トレッキングのように……)」に由来している。
装丁は巌谷純介氏にお願いしたが、カバーデザインの二つの楕円の中の野村さんの横顔の写真は、カニエ・ナハさんとの対談の写真撮影の折についでに撮ったもので、装丁の素材として渡したものの、こんな形になるとは驚き。
楕円形は本書のタイトルから来ていると思われるが、なぜ楕円なのか、「あとがき」からそれに関連する部分を引用紹介しよう。
「「みらいらん」連載の対談は、東京世田谷のわがカフェ「エル・スール」で行われた。コロナ以前には公開形式であったと記憶する。カフェにはアンティークな趣の長楕円形のテーブルがあり、私たちはそのテーブルを囲んで語り合ったが、考えてみれば、二つの中心をもつ楕円は、まさにディアロゴス(対話)のあり方を図形的に象徴するようなところがあろう。タイトルに楕円という語を入れたゆえんである。」
また、カバーの袖には次のような紹介文を置いた。
「詩人・野村喜和夫が哲学者、美術家、作曲家、そして仲間の詩人たちと交わす12の対話篇(ディアロゴス)。二つの中心の力学作用が描く図形はあるいは文学の常識の底を破り、あるはジャンルの垣根を越えて遊行、生の声のぶつかり合う緊張と波乱を勢いにして唯一無二の思考の現場を創造するだろう。」
扱われるテーマの幅広さをおわかりいただくために、目次の並びを下に再現してみる。ちょっと読んでみたいと感じていただければありがたい。
【@ 野村喜和夫の詩と詩論をめぐって】
vs小林康夫 閾を超えていく彷徨 詩と哲学のあいだ
vs杉本 徹 言の葉のそよぎの生起する場所へ
【A 異分野アーティストを迎えて】
vs北川健次 共有する記憶の原郷に響かせる
vs篠田昌伸 〈詩と音楽のあいだ〉をめぐって ゲスト=四元康祐
vs石田尚志 書くこと、描くこと、映すこと
【B 詩歌道行】
vs有働 薫 現代フランス詩の地図を求めて
vs福田拓也 『安藤元雄詩集集成』をめぐって 特別発言=安藤元雄
vs阿部日奈子 未知への痕跡 読む行為が書く行為に変わる瞬間
vs江田浩司 危機と再生 詩歌はいつも非常事態だ
vs広瀬大志 恐怖と愉楽の回転扉
vs杉本 徹 ポエジーのはじめに散歩ありき
vsカニエ・ナハ 二十一世紀日本語詩の可能性
コロナウイルス感染が始まってからは無理になったが、「みらいらん」の対談はイベントとして聴衆をカフェに招き入れて開催していた。そのときの熱気がなつかしい。
(池田康)
posted by 洪水HQ at 10:01| 日記
2023年04月16日
流離の意志
今、シルヴィア・ビーチ『シェイクスピア・アンド・カンパニー書店』(中山末喜訳、河出文庫)を読んでいる。20世紀初頭のパリに誕生した本屋で、ジェームズ・ジョイス『ユリシーズ』を刊行したことで名高い。アメリカ人のシルヴィア・ビーチはその店主で、この本は紛れもない本人の回想録ということになる(1959年刊行とのこと)。店は店主の英米文学紹介の志ともてなし力もあり当時の文学者や文学愛好者の“ハブ”のような存在になる。書かれている様々なエピソードの中で、やはりジョイスの『ユリシーズ』の刊行を目指す艱難辛苦が一番の見所だろう。アメリカ、イギリスで禁書扱いになり、出版しようという版元はなく、印刷所も処罰を恐れて印刷を引き受けたがらない。そこでパリの小さな本屋が出す決意をしたわけだが、その途轍もない苦労には読んでいて頭が下がる。そしてここに描かれるジョイスの姿には自らを母国から(世間の良識から)追放した流離の気配が濃厚で、強く印象に残る。
さて昨日は吉増剛造さんの詩と音楽と映像のリサイタル「剛造とマリリアの映画小屋 DOMUS × 大友良英」が恵比寿の現代アート書店NADiff a/p/a/r/tで開催された。この店、名前は知っていた(以前「洪水」誌を扱っていただいたこともある)が、訪れるのは初めてで、駅からは近いのだが、裏道から更に街区の内奥へ入っていったところにあり、ちょっとした秘境の雰囲気がある。このような催しを開催するというのはやはり“ハブ”たらんとする思いがあるのだろうか。店の奥にステージのスペースを作り、観客席は30ほど。非常に背の高いスピーカーがステージの左右に二本立っていて、これが威力を発揮することになる。今回の催しは詩集『Voix(ヴォワ)』が西脇順三郎賞を受賞したのを祝ってという趣旨だった。まず伴侶のマリリアさんが歌を数曲。エレジー風、サイケデリック調、ロックチューン様などいろんなタイプの歌が奏されたが、哲学的自問を核にくるんだ、長くやわらかく叫ぶような歌唱は独特で、夢の空間の中で歌が身を自転させているような魔力があった。後半は吉増さんとノイズ音楽の泰斗大友良英氏(ギターとパーカッション)の共演で、詩と音楽がぶつかった。吉増氏の詩朗読はこれまで映像も含めて何度か聴いているが、ここまで激した「声」はかつてないことだった。音楽と共演すると詩の朗誦はこんなにもエキサイトするものなのか。白石かずこさんがサックスやトランペットのジャズプレーヤーと共演した朗読を思い出すし、フリージャズのセッションに近いとも考えられるが、それよりも更に過激な感じがしたのは、ジャンル的常識、予定調和の落としどころを持たず、なにか底の抜けているような土俵の例外性があるからだろうか。双方の表現が刺戟しあってうねりの山を大きくするということもあるのだろう。両人ともジャンルの中心のオーソドキシーを離れ辺境を冒険する“流離”の意志を抱いており、それが共鳴しているとも見えた。そしてサウンドシステムの力強さがこの共演の音響をさらに迫力あるものにしていた(ライブハウスで激しいロック音楽を聴くのと同じくらいの音の破壊力…)。映像=鈴木余位。
(池田康)
追記
林浩平さんのレポート:
posted by 洪水HQ at 10:44| 日記
2023年04月11日
催しなど
年明けからこの方、単行本の制作が重なり、相当に忙しい思いをした。それも、もう一息で完了というところまで来ている。ご案内をいただいた催しで、行きたいと思いながら行けなかったものもいくつかある。
今は次のような情報をいただいている。
吉増剛造さんのイベント:
http://www.nadiff.com/?p=30209
古居みずえさんの新作ドキュメンタリー映画:
http://iitate-bekoya.com/
こちらは主な上映期間が過ぎてしまっているようで、紹介が遅くて申し訳ないが、またどこかでやるだろう。
私も見に行く気持ちはあったのだが、上映時間180分と書いてあったので、長い!と怯んで二の足を踏み、そのせいで見逃した。
みらいらん次号は「映画は夢に溶ける」という特集を予定していて、座談会を収録するなどすでにかなり進めている。
(池田康)
今は次のような情報をいただいている。
吉増剛造さんのイベント:
http://www.nadiff.com/?p=30209
古居みずえさんの新作ドキュメンタリー映画:
http://iitate-bekoya.com/
こちらは主な上映期間が過ぎてしまっているようで、紹介が遅くて申し訳ないが、またどこかでやるだろう。
私も見に行く気持ちはあったのだが、上映時間180分と書いてあったので、長い!と怯んで二の足を踏み、そのせいで見逃した。
みらいらん次号は「映画は夢に溶ける」という特集を予定していて、座談会を収録するなどすでにかなり進めている。
(池田康)
posted by 洪水HQ at 13:23| 日記
2023年04月07日
自然で明るい異端
昨日、Ayuoさんのコンサート「色を塗られた鳥、時空を舞う」を杉並公会堂小ホールで聴いた。曲目は、足立智美作曲「蝶が猿とあくびする(パーヴェル・ハースに倣って)」、中村明一作曲「月白」、Ayuo作曲の組曲「色を塗られた鳥、時空を舞う」の3曲。
「蝶が猿とあくびする」はパーカッションと弦楽四重奏が軽快に音を刻む(合わせるのが大変そう)第一楽章と、歌声が語りの要素を残したユニークな形を描く第二楽章とからなる。ここで終わるのか、もう一つ二つ楽章があってもよいのにという気もした。
「月白」は尺八と弦楽四重奏の曲。最初は現代音楽ハードコアといったかんじで油汗が出かかり、次のパートでは柔らかでなごやかな弦楽合奏、その次のパートでは尺八が本来の強い響きを発し……といったかんじで展開していく。中村氏がこれを作曲したのかと、そのことに恐れ入った。
「色を塗られた鳥、時空を舞う」は一時間にもわたる大曲で、ある程度物語に沿った音楽の展開になっているようだ。映画「異端の鳥」(2019、バーツラフ・マルホウル)からモチーフをもらってきているということで、この映画については、弊社刊の高橋馨詩集『それゆく日々よ』収録のエッセイで論じられていたので知っていて、映画そのものも見ている。東欧と思しき場所での一人の少年の過酷な運命を描き、Painted bird=異端者の苦難を見つめる。この作品を取り上げたのは、Ayuo氏自身がアメリカでも日本でもマイノリティの側にいると感じているからなのかもしれない。
Ayuoさんの音楽の特徴は、私が受ける印象では、自然で明るい、ということだろうか。奇をてらったり小賢しくこしらえたり無理をするかんじがなく、おおらかに素直に音が運ばれてゆく、その心地よさが根本のところにあり、その上で、ところどころでアナーキーにカオス的に音が飛び交いぶつかり合う場面が出てきて虚をつかれたりする、その効果もある。天性の素心の明るさについては、特に最終楽章の全員での合奏が曲全体をまとめるためもあってか、あたかもハ長調の基本和音を最終的に志向しているかのような健やかな明るさに満ちていて多幸感があった。非常に惹きつけられたのは、ピアノ(高橋アキ)とパーカッション(立岩潤三)と撥弦楽器(チターのような楽器とギター、Ayuo)の三重奏がアラベスク模様のような風変わりな楽想を奏でつづける楽章で、ピアノと他の楽器との距離がかなり離れていたのでさらに不思議な感じが増し、なんだこれはと耳をそばだてたことだった。この大曲を構想・実現し、歌も担当して大活躍だったAyuo氏の気合いに驚嘆した夜であった。
(池田康)
追記
「色を塗られた鳥、時空を舞う」の音楽の作り方について、Ayuo氏から詳しいご教示をもらった。
私の軽率でテキトーな評言が読者をミスリードするといけないので、氏の説明を下に引用しておきます。
「Ayuoは調性音楽を書いていなく、中世ヨーロッパの協会モードで作曲しています。それも音楽が先行しているのではなく、英語の言葉のリズムとサウンドが音のベースになっています。ピアノ、アコーディオン、ギターは和音を弾いているのではなく、白鍵盤のクラスターを弾いています。白鍵盤のクラスターと低音の持続音が上と下で動いているのです。ギターもF,G,D,G,C,Dという変則チューニングにして、FとGの単音やCとDの単音がぶつかるようにしています。こうした作りは、日本のポップスにはありません。
最後の曲、Appearancesは調性音楽に耳には聴こえるかもしれませんが、Gから始まるミクソリディア・モードで、持続音がGの単音と5度上のD、それにFの単音と5度上のCが交互に動いています。リズムは5/4、8/4、4/4と変わって行きます。これは英語の言葉のリズムが、そのような拍子に自然にはまるからです。8分音符で3,3,2で歌う部分に3連音符が重なったりします。」
posted by 洪水HQ at 12:21| 日記
2023年03月21日
たなかあきみつ詩集『境目、越境』

みらいらん11号(火竹破竹)でたなかさんの詩の特徴を「この詩人の詩法はイメージの百叉路を奇妙なリズムで編み上げるシュルレアリスム亜種であり……」と書き、この本の裏表紙の紹介文には「奇韻の前衛の探求者たなかあきみつによるイメージとリズムの錯綜が行方しらぬ未踏のラビリンスをつくりあげる28篇。」と記したが、まさにそのような作品が並ぶ。タイトル作と言える2篇の「境目、あるいは越境」は大病を患い緊急入院して死を覗き見たときの経験を書き留めたもの。さらには伴侶との死別をうたった重要作品もあり、前衛的な書き方の背後に生の重さをひそませている。
造本は洋書ペーパーバックのテイストを目指した、カバーも帯も見返しもない簡素なもの。この造りの本を〈RAFTCRAFT〉のサブレーベルで出すことにした。「RAFT」は筏、「CRAFT」は細工とか工芸とかの意味があり、また、船、飛行船、宇宙船の意味もあるので、「いかだ飛行船」の意味とするのも面白いかと。これは詩誌「虚の筏」からの発想。
表紙はリトアニアの画家スタシス・エイドゥリゲヴィチウスの作品「King Ubu」が飾っている。これはアルフレッド・ジャリの戯曲「ユビュ王」のこと。
さて収録作からなにか一篇紹介したいが、裏表紙には「空の灰青へ」の一部を載せたが、ここでは「(ウナギのうしろ影は)」を引用しよう。他の作品と比べて重要性はどちらかというと低そうだが、たなかさんの詩法が純粋かつ柔軟に、微量のおかしみとともに、わりと辿りやすい形で繰り出されていると思われるので。
ウナギのうしろ影はもっぱら
鰓蓋もどきのレンズどうしだとしてもレアル
しどろもどろにメビウスの蝶結びが切断されて
その血がばしゃばしゃ滲む《レアル》の岸辺で
いつも掴み損ねていた
ウナギの行方については
Alzheimer氏の記憶の遠い声はまったく言及しない
ウナギを追う眼光のカンテラの火影にも
ウナギの肉の動線はのたうちまわる鞭
いわば眇で撫で肩でやみくもに
夏の嗄れ声が回廊に与する、それとも
その頭頂部でもっと暗い稲妻はぎざぎざ弾けよ
ウナギののたうち、すなわちグイッツォの
ぬるぬるした質感についても放火の
記憶の消失が実景の焼失と折りかさなれば
ウナギの棲む川の水嵩はますます空荷になるだろう
ウナギの陽炎に最接近する《無題》という名の苛烈な水域
ウナギの流木、すなわち後年の旅路の友・鰻煎餅とて
脳裡の黄緑の沼地を蛇行するウナギ切手の図柄
流木の残水は無観客の頭部に刺さる折れ釘になる
やや細身の生物の元高校教師の脳内で
またもや健在の溶けない《氷の塔》の方位がずれる、
あるいはマンディアルグ氷河の火花散るアヴェマリアよ
シューベルトの喉の冬の《迷子石》のころがり係数はウナギのぼりだ
(池田康)
posted by 洪水HQ at 11:30| 日記
2023年03月12日
悲歌と歓喜の歌と
作曲家・新実徳英さんの新作が初演されるとの案内を受け、昨日、「第9回被災地復興支援チャリティ・コンサート」をミューザ川崎シンフォニーホールに聴きに行った。秋山和慶指揮、洗足学園ニューフィルハーモニック管弦楽団。メインのプログラムはベートーヴェンの交響曲9番。東日本大震災発生の3月11日午後2時46分に黙祷をしてから演奏会が始まる。
新実徳英「交響組曲〈生命のうた〉」はオーケストラと合唱を組み合わせた堂々とした大きな曲だった。トルコの詩人ナーズム・ヒクメットの詩を音楽化した、5章からなる作品。委嘱の時点でこのコンサートが大前提だったので、あらかじめベートーヴェンの第九とうまくつながるように考えて作曲を進めたとのこと。それでオーケストラに合唱も使うという贅沢な特別編成になったのだ。とくに第4章の「死んだ女の子」がよかった。オーケストラ曲としてはきわめて音の動きの少ない寂とした景の構成のうちに悲痛さがみなぎる。この詩は広島の原爆被害から発想されたものという。そして「これは大発明だ!」と感じた。つまり、ベートーヴェンの第九は第4楽章の歓喜の歌を最大の特徴とするが、その前に演奏される曲として、20世紀・21世紀の悲劇を嘆き悲しむ悲歌(エレジー)をもってくるというのは、非常な対称の妙があり、効果絶大なのだ。この新曲は演奏時間が40分もあり、第九の前に置くのは正直長すぎるから、この「死んだ女の子」を中心として15〜20分くらいの曲を編集・作曲し直すのもよいような気がする。
そして、メインの第九も迫力があった。オーケストラというものはベートーヴェンの交響曲のうたい方をよく心得ているものなのだろう。第4楽章の中程のテノールの見せ場があって、コーラス全体が歓喜のメロディをうたい、そのあと、男声合唱と女声合唱とを交互に使って巧みに劇的に組み立てるあたり、とりわけ立派で、この大作曲家の卓越した腕前にあらためて目を見張った。
(池田康)
新実徳英「交響組曲〈生命のうた〉」はオーケストラと合唱を組み合わせた堂々とした大きな曲だった。トルコの詩人ナーズム・ヒクメットの詩を音楽化した、5章からなる作品。委嘱の時点でこのコンサートが大前提だったので、あらかじめベートーヴェンの第九とうまくつながるように考えて作曲を進めたとのこと。それでオーケストラに合唱も使うという贅沢な特別編成になったのだ。とくに第4章の「死んだ女の子」がよかった。オーケストラ曲としてはきわめて音の動きの少ない寂とした景の構成のうちに悲痛さがみなぎる。この詩は広島の原爆被害から発想されたものという。そして「これは大発明だ!」と感じた。つまり、ベートーヴェンの第九は第4楽章の歓喜の歌を最大の特徴とするが、その前に演奏される曲として、20世紀・21世紀の悲劇を嘆き悲しむ悲歌(エレジー)をもってくるというのは、非常な対称の妙があり、効果絶大なのだ。この新曲は演奏時間が40分もあり、第九の前に置くのは正直長すぎるから、この「死んだ女の子」を中心として15〜20分くらいの曲を編集・作曲し直すのもよいような気がする。
そして、メインの第九も迫力があった。オーケストラというものはベートーヴェンの交響曲のうたい方をよく心得ているものなのだろう。第4楽章の中程のテノールの見せ場があって、コーラス全体が歓喜のメロディをうたい、そのあと、男声合唱と女声合唱とを交互に使って巧みに劇的に組み立てるあたり、とりわけ立派で、この大作曲家の卓越した腕前にあらためて目を見張った。
(池田康)
posted by 洪水HQ at 13:21| 日記
2023年03月06日
フェルドマンの聴き方
ピアニスト・井上郷子のリサイタルを聴く。3月5日夜、東京オペラシティ・リサイタルホール。プログラムは三人の作曲家、モートン・フェルドマン、伊藤祐二、リンダ・カトリン・スミスの作品からなる。いずれもピアノという楽器を比較的シンプルに使っていて、名人芸や超絶技巧は出てこないという点で共通している。
フェルドマンの音楽はわかるかわからないかで言うと憚りながら「わからない」部類に入るが、彼のあやうい音楽思考が感じられればとりあえず良いのだろう。音の横のつながりが旋律を成したり明瞭な楽想の魅惑を形成したりしてはおらず、むしろ淡々とした音の無作為の生成と消滅以外の何ものでもないとも言え、音の粒が天から降ってくるのを茫然と見守る感じだろうか。滝に打たれて洗礼されているような、という比喩的表現も当たっているかもしれない。ただし激しい滝ではなく、ごくごく楚々とした神秘の滝なのだが。今回最後に演奏された「ペレ・ド・マリ」のようなフェルドマンの長い曲はむしろ家で仕事をしながら「そば耳」で半意識の外れのところで聴くのがよいようにも思う。だからコンサート会場でも暗くせずに昼のように照明をつけて、皆さんなにか読みながら聴いて下さいという形でやってみるのも音楽のあり方として面白いのではないか。
伊藤祐二「偽りなき心 II」もとてもベーシックなところで音楽を組み立てようとしていて、固唾を呑むのだが、謎めいた和音や、和音とも言えなさそうな音の塊も出てきて、この曲はもとは木管五重奏だったというから、そのときにどんな響きをなしていたのだろうと想像でそわそわした。
スミス作品(2曲)は、華やかな響きと認知しやすい音型、陶酔的反復などを特性として有していて、リスナーフレンドリーの愛想の良さがあるからピアニストも心安らかに弾くことができたのではないか。後半に演奏された「潮だまり」は委嘱作品で世界初演、コンサートの点睛的演目になっていた。
(池田康)
フェルドマンの音楽はわかるかわからないかで言うと憚りながら「わからない」部類に入るが、彼のあやうい音楽思考が感じられればとりあえず良いのだろう。音の横のつながりが旋律を成したり明瞭な楽想の魅惑を形成したりしてはおらず、むしろ淡々とした音の無作為の生成と消滅以外の何ものでもないとも言え、音の粒が天から降ってくるのを茫然と見守る感じだろうか。滝に打たれて洗礼されているような、という比喩的表現も当たっているかもしれない。ただし激しい滝ではなく、ごくごく楚々とした神秘の滝なのだが。今回最後に演奏された「ペレ・ド・マリ」のようなフェルドマンの長い曲はむしろ家で仕事をしながら「そば耳」で半意識の外れのところで聴くのがよいようにも思う。だからコンサート会場でも暗くせずに昼のように照明をつけて、皆さんなにか読みながら聴いて下さいという形でやってみるのも音楽のあり方として面白いのではないか。
伊藤祐二「偽りなき心 II」もとてもベーシックなところで音楽を組み立てようとしていて、固唾を呑むのだが、謎めいた和音や、和音とも言えなさそうな音の塊も出てきて、この曲はもとは木管五重奏だったというから、そのときにどんな響きをなしていたのだろうと想像でそわそわした。
スミス作品(2曲)は、華やかな響きと認知しやすい音型、陶酔的反復などを特性として有していて、リスナーフレンドリーの愛想の良さがあるからピアニストも心安らかに弾くことができたのではないか。後半に演奏された「潮だまり」は委嘱作品で世界初演、コンサートの点睛的演目になっていた。
(池田康)
posted by 洪水HQ at 15:46| 日記
2023年03月02日
望月苑巳『スクリーンの万華鏡』

この本の内実をお伝えするには目次をそのままここに呈示するのが一番いいと思われるので、ご覧いただきたい。
(1)さらば岩波ホール 時代を飾った名画たち
惑星ソラリス/旅芸人の記録/ルートヴィヒ/八月の鯨/宋家の三姉妹
(2)令和にみる三島由紀夫の世界
金閣寺/潮騒/憂国/美徳のよろめき/獣の戯れ
(3) これが社会派、松本清張の世界
砂の器/点と線/ゼロの焦点/わるいやつら/眼の壁
(4) SF作家小松左京が見ていた未来
復活の日/日本沈没/エスパイ/首都消失/さよならジュピター
(5) 映画でみる太平洋戦争、開戦のあの日
トラ・トラ・トラ!/パール・ハーバー/ハワイ・マレー沖海戦/1941/聯合艦隊司令長官 山本五十六
(6) 映画からみたベトナム戦争
プラトーン/フルメタル・ジャケット/ランボー/フォレスト・ガンプ 一期一会/ディア・ハンター/地獄の黙示録/7月4日に生まれて/デンジャー・クロース 極限着弾
(7) 戦慄、衝撃、リアルな実録映画事件簿
TATTOO[刺青]あり/白昼の死角/復讐するは我にあり/クライマーズ・ハイ/丑三つの村
(8) 独断と偏見による10本の傑作選
シベールの日曜日/バグダッド・カフェ/ベンヤメンタ学院/この森で、天使はバスを降りた/ブコバルに手紙は届かない/變臉―この櫂に手をそえて/サルバドル 遥かなる日々/八月のクリスマス/日の名残り/レオン
(9) 日本美女目録1〜島田陽子という女優
球形の荒野/花園の迷宮/動天/将軍 SHOGUN/犬神家の一族
(10) 日本美女目録2〜原節子
わが青春に悔なし/東京物語/青い山脈/めし/小早川家の秋
(11) 日本美女目録3〜夏目雅子
鬼龍院花子の生涯/時代屋の女房/二百三高地/瀬戸内野球少年団
(12) これが世界のミフネ伝説
酔いどれ天使/羅生門/黒部の太陽/レッド・サン/椿三十郎
(13) 不完全燃焼、松田優作のすべて
野獣死すべし/蘇える金狼/狼の紋章/探偵物語
(14) 今明かす黒澤明の映画トリビア
姿三四郎/七人の侍/天国と地獄/赤ひげ/用心棒
(15) 今よみがえる相米慎二の世界
セーラー服と機関銃/ラブホテル/魚影の群れ/台風クラブ/風花
(16) 異才 森田芳光が描き続けたもの
の・ようなもの/家族ゲーム/失楽園/武士の家計簿/阿修羅のごとく
(17) 巨匠・森谷司郎が描く日本の光と影
八甲田山/動乱/海峡/聖職の碑
(18) 藤田敏八が魅せるハードボイルドの世界
八月の濡れた砂/赤ちょうちん/スローなブギにしてくれ/ダブルベッド
(19) エロスとバイオレンスの石井隆という男
天使のはらわた 赤い眩暈/ヌードの夜/GONIN サーガ/花と蛇/死んでもいい
(20) 知って得する名画のトリビア五輪
小さな恋のメロディ/エマニエル夫人/E.T./風と共に去りぬ/愛と青春の旅だち/泥の河/スウィングガールズ/人間の証明/キッズ・リターン/アウトレイジ/その男、凶暴につき/座頭市/菊次郎の夏
映画紹介の本は固有名詞が多く出てきて校正に苦労するだろうなと予想はしていたが、作業の大変さは予想をはるかに超えた(とくに島田陽子の章は苦労したので、この本には島田陽子追悼の気持ちも少し込められている気がしている)。それだけにこうして一冊が完成して非常に嬉しい。
(池田康)
posted by 洪水HQ at 14:36| 日記