2015年12月27日

石橋幸ライヴ

昨夜、西荻窪のライヴハウス音や金時で、ロシアの歌をうたう歌手・石橋幸のライヴを聴いた(山本萠さんのご案内)。とても勢いのある歌唱で、旋風のように力強く迫ってくる。各曲の詞内容を説明するお話も丁寧で、どういう歌なのかがよくわかる。俳優でもあるそうで、演出の意識も鋭く、歌に芝居の気分がまじる具合などはちょっと森繁久彌を思わせる。ライヴ前半は旧ソビエト時代の囚人や戦争抑留者がシベリア開発に従事させられたころの収容所の悲惨とか、生活の苦悩、困窮をうたう歌が並び、石原吉郎の物語を想起した。今年刊行された、この詩人を論じた二冊、すなわち野村喜和夫『証言と抒情 詩人石原吉郎と私たち』(白水社)、細見和之著『石原吉郎 シベリア抑留詩人の生と死』(中央公論新社)を最近読んだばかりで、頭の中がそのことでいっぱいだったのだ。
伴奏陣は、翠川敬基(チェロ)、向島ゆり子(ヴァイオリン)、黒田京子(キーボード)、石塚俊明(ドラム)と、小さな会場ながら四人もいて豪勢でにぎやかだ。歌と伴奏の問題については、近ごろアニタ・オデイの『ジス・イズ・アニタ』、『アニタ・シングズ・ザ・モスト』などのアルバムを聴くことがあり、考えさせられた。ジャズ演奏なのだから当然かもしれないが、伴奏陣がとてもスポンテニアスで活溌な演奏をしていてそれが非常に楽しめるのだ。スリリングさがたまらない。たとえばオスカー・ピーターソンのピアノソロの部分は彼のベストプレイの一つに数えることができるのではないかと思われるくらいだ。伴奏が造花のように大人しくきれいにウェルメイドに仕上げられる今どきの商業音楽ではめったに聴けないような活き活きとしたインタープレイで、こういう歌演奏のあり方をもっと追求してほしいものと思いながらCDを聴いていたのだが、ライヴではそういう面も自然と出てくるようで、この夜のライヴでも、ヴァイオリンやドラムなど所々でフロントを奪って覇気ある音を聴かせていた。
(池田康)
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2015年12月25日

洪水17号できあがる

洪水17号が今日できあがってきた。事故もなく、無事出産で、まずは一安心。明日以降発送作業となる。内容についてはまた改めてここで紹介する予定。
(池田康)
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2015年12月20日

映画「ニューオリンズ」

「洪水」次号はすでに数日前に印刷所に入れたので、年内にでき上がる予定。今回は小特集「ジャズへ一歩」が柱の一つになっていて、その資料集めの途上で(雑誌の中では紹介できなかったものの)ジャズをメインの題材として扱った古い映画に出会ったのでここに報告しておく。本屋でよく廉価で売られている外国映画DVDの一巻として1947年のアメリカ映画「ニューオリンズ」(アーサー・ルービン監督)が出ていた。制作年の三十年前1917年のニューオーリンズとシカゴを舞台にしており、カジノクラブを経営しジャズを愛する男(アルトゥーロ・デ・コルドヴァ)とオペラ歌手の女(ドロシー・パトリック)が主役だが、ジャズプレーヤーとしてルイ・アームストロングとビリー・ホリデイも出演して演奏を披露しているのが貴重。この時代にいかにジャズがアメリカの社会に浸透していったか、あるいは手ひどい反発を食らっていたか、よくわかる話の運びになっている。「ジャズ」という名称の生まれる瞬間も(本当か作り話かわからないが)描かれている。30年前といっても、撮影当時はまだよく知っている人たちが多くいたろうから、そんなに見当外れのでっちあげシーンはないだろうと思われる。船の上でのバンドの演奏や、シカゴへジャズの中心が移る経緯など、興味深い。
(池田康)
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2015年12月15日

ピロスマニの映画と加納光於展

昨日は午後神保町の岩波ホールで映画「放浪の画家ピロスマニ」(1969年、ギオルギ・シェンゲラヤ監督)を観て、夕方にはギャルリー東京ユマニテで加納光於さんの個展「《挿画抄》1972-'79」のオープニングパーティに参加した。
映画はグルジア(いまはジョージアというのだろうか、アメリカの地名みたいで感じがでないが…)の画家ニコ・ピロスマニ(1862-1918)の生涯の物語を描いたもので、彼がどんな風土や社会で生きたかがよくわかる。その風土や精神性は「遠さ」として迫ってくるように思われた。アメリカやフランスの映画がわれわれから10メートル離れているとしたら、この映画のグルジアは50メートル離れているような感じで、それがごつい異質な景として観る者の心に衝突してくる。その感覚はピロスマニの絵がわれわれの心の原始の部分を理不尽に揺さぶるのと同じかもしれない。
加納さんの個展は70年代に雑誌に提供した挿絵の原画を集めたもので、さまざまな形の遊戯があり、面白い。“童話風シュルレアリスム”風なものもあり、チャーミングで、どんな文章に添えられたのか、ゆかしく思われる。パンフレットには種村季弘『パラケルススの世界』や田村隆一「詩人のノート」といったタイトルが記されているが発表誌不明のものも。長らくあかなくなっていた引き出しを力任せにあけてみたら、これらの作品が出てきたのだそうで、画家本人も発表媒体を忘れてしまっているものもあるらしい。加納さんの近年の仕事は色彩のほうに重きをおいたものが中心だったから、小品ながら線が線として躍動する作品を観るのは新鮮だった。
多くの知人に会えたのも喜び。一昨日のNHK日曜美術館で神奈川県立近代美術館鎌倉館の来年初頭閉館のことが語られ、その理由が釈然としないものだったので、事情をよく知っているだろう人に聞いたら、いよいよ雲をつかむような話で、わからないねと首をひねったのだった。
「放浪の画家ピロスマニ」は18日まで。加納光於さんの個展は26日まで。
(池田康)
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2015年12月09日

手嶌葵『I Love Cinemas』

先日レコード店をぶらついていたとき、映画の歌を集めた上記のCDが目にとまった。手嶌葵は「洪水」12号合唱特集に小池昌代さんが寄稿下さったエッセイの中で触れていた歌手だ。試聴できるようになっていたので、ごついヘッドフォンを耳に装着して第一曲目の「The Rose」を聴く。この曲の既存のイメージから大きくかけはなれた歌い方。面白いと思い、CDを手に入れて全編聴いてみた。独特の音楽世界を持っている歌手とみえる。決して激しない。リズムも湿度もちがうけどボサノバのような力の抜け方とも言えるか。絵で言えば、岡鹿之助とか坂本繁二郎とかいった、色も形も静まりきった、静寂のバランスを堅持した日本画風の油絵を連想させる。「Calling You」は映画「バグダッド・カフェ」の中では、サビと言っていいのだろう「calling you」の長詠の部分ばかりが印象に残るが、手嶌版はその前段のverse、いわゆるAメロBメロの部分をぼそぼそとうたっているところも不思議に耳をそばだてさせる。この歌い方で「ムーン・リヴァー」も「虹の彼方に」も「雨にぬれても」も歌ってしまうのだから、静かななかにおのがスタイルを崩さない強情も秘しているのだろう。熱狂を演じることはないが“自分の歌”を築き上げていてとても安心できる歌声。
このCDは何年も前に出た二枚のアルバムを一枚に編集し直したものらしく、現在はまたちがった歌い方になっているのかもしれない(半年ほど前テレビに出演していたときは明るく軽やかに弾むようにうたっていたように覚えている)。
なお、「洪水」次号は表紙も含めほぼできあがり、最後に残った原稿を待ちつつ全体の校正をしているところです。
(池田康)
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2015年12月06日

吉田義昭ライヴ2015冬

5日夜は吉田義昭さんのヴォーカル・ライヴが銀座シグナスで開催された。ライヴは一年数ヶ月ぶりということだったが、以前通りの魅力的な歌声を聴くことができた。客席は満員に近く、店の人に聞いたら70人くらい入ったそうでめでたいことだ。かつての教え子達も大勢“同窓会”にかけつけていくつものテーブルを囲んでいた。曲目は「枯葉」「バラの刺青」「グリーン・フィールズ」「モナ・リサ」「ジャニーギター」「テネシーワルツ」「アメージング・グレース」「ファット・ア・ワンダフル・ワールド」「マイ・ウェイ」など。伴奏はピアノが城所潔、シンセサイザーが宮本一、スティールパンが宮本まいこの各氏。シンセサイザーはストリングスもギターもフルートも自在に作り出せる、まさに魔法の機械だ。どんな楽器が登場するか注目して聴くことになる。吉田さんもこの一年いろいろなことがありすぎ、万感の思いで歌っていたのではなかったか、曲間のトークに乱れはなかったが、歌声は心情の深さがあったような気がした。シャンソン歌手の佐々木秀実さんのゲスト出演(「愛の讃歌」ほか)もスペシャル! 最後は午後10時を少し過ぎた頃、アンコールに洪水誌の連載エッセイでも語られた「生きる」を熱唱してライヴを終えた。
この日は午後、詩人クラブの例会にも顔を出し、佐川亜紀さんの講演を聴いた。韓国における詩の重要性、詩人の金達鎮(キム・ダルジン、1907-1989)の仕事の特色、昌原KC国際詩文学賞(2014年には佐川さんが受賞)のあらまし、等々、ときにきびしい歴史的事実にもぶつかり、考えさせられる一時間だった。
(池田康)
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虚の筏14号

「虚の筏」14号が完成しました。今回の参加者は、小島きみ子、平井達也、久野雅幸、二条千河、坂多瑩子、森山恵、米山浩平のみなさんと、池田。下記のリンクから御覧下さい。
http://www.kozui.net/soranoikada14.pdf
なお、拙作の作品番号は、草稿上での整理番号をそのまま持ってきているだけで、他意はありません。
(池田康)
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2015年12月05日

四人組とその仲間たち 室内楽コンサート《四の探求》

上記コンサートを昨夜、東京文化会館小ホールで聴いた。このホールはピアノのリサイタルなどでは音響に違和感を覚えることがときどきあるのだが、今回の弦楽四重奏の演奏では響き方は申し分なかった。客席もかなり埋まって盛況だった。
曲目は鈴木純明「ゲヴュルツヴォルフィー?!」、金子仁美「幻視/現視」、西村朗「弦楽四重奏のための七つの断片と影」、新実徳英「弦楽四重奏曲第4番─野生へ」、池辺晋一郎「ストラータXI」。
鈴木作品はモーツァルトの弦楽四重奏曲17番「狩」で始まり、なんだこれはと驚くも、それが次第に解体される。モーツァルトが21世紀のねじれた胃袋の中で溶けていく過程とも言えるか。
金子作品は、最初は弦を弾くかすかな音だけで、森の奥のどこかで水がひそひそとこぼれているようだった。これで終始するのかと思ったらだんだん実音が混じってくる。しかしはっきりした形を描くというわけでもなく、西村朗さんの解説によれば「完全な抽象画」とのことだ。
西村作品はプログラムの作曲者自身の説明によれば「研究的試作」なのだということで、いつもであれば円熟した技で鋭さを出しながら全体は典雅にまとめるところが、今回は「不連続な断片」として出され、現代音楽の可能性追求の側面が強かった。チェロやヴィオラのソロは珍しいか。フーガもあった。
ここから演奏会後半。新実作品は、プログラムには「野生」という言葉が見られるが、とても緊密に構築された、色調の統一が全体に及び、大きさを感じさせる、古典的風格のある曲。現代音楽の難しさはそれほど感じないが演奏は大変だろう、掛け合いの呼吸が見事だった。
池辺作品は「ストラータ」シリーズの原点の、四奏者の「層」を眺めつづけることが創作意図だったとプログラムにはある。風変わりな楽想。急緩急緩の4章でできており、とくに第3と第4の章を面白く聴いた。洪水16号の池辺晋一郎特集で私は「反ロマンティシズム」ということを書いたが、最後の章など池辺氏独自の、複雑なツィストを含んだロマンティシズムを感じた。
演奏を担当したクァルテット・エクセルシオは、初めて聴いたが、20年以上の活動歴のある、実力を認められた四重奏団のようで(第2ステージの冒頭で西村さんが団員にインタヴューしていて楽しかった)、もちろんきちんと正確に弾くのだが、現代によくありそうな、細い音で精密機械的正しさを極限まで追求するというよりは、強く豊かな歌声を貴ぶ志向があるように思われ、たっぷりとした声量で躊躇なく思い切って弾く果断さが気持ちよかった。
(池田康)
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2015年12月01日

八重洋一郎著『太陽帆走』

taiyohanso.jpg詩人の遠征シリーズの第6巻として、八重洋一郎著『太陽帆走』が洪水企画より刊行された。大学で哲学を専攻していた八重さんが、“世界”を探求しその謎を解くべく、ときには深刻な精神的危機にさらされながら、半世紀にわたり古今東西の思想家や哲学者の著した書をひもといて対決し、自己流に噛み砕き、摂取してきた、そのエッセンスを詩的散文の形でうたうように表現する試み。コンスタンチン・ツィオルコフスキー、フリーマン・ダイソン、イリヤ・プリゴジン、松下眞一、臨済、ライプニッツ、マラルメ、メンデレーエフ、玉城康四郎。物理学から形而上学、禅の教えからサンボリスム詩学まで、目眩に見舞われ卒倒しそうなほど多様な世界像が呼び出され強烈に照明される。
後半は「びーぐる」で連載された「石垣島通信」12篇を収める。柳田国男と民俗学の話や難しい現代数学の話、ランボオ、ポオの話など、そして沖縄の怒りも点り、力まないエッセイだが縦横無尽に想念は動き、気がつくと大いに啓発されている。
そしてこれらの哲学的対話の遍歴は最終的には夢のような浮遊感につながるのだろうか。あとがきで著者は言う、「ある些細な前触れのようなものがあって、しばらくして何かはるかな感じ懐かしいような感じが起り、時間の意識がうすれ、ああ、今自分は生きているのだ、自分は時間を超えた何かに結びついていて静かに動けなくなっているのだというようなやわらかい切ない気持になるのである。」
詩人が採集精錬する“思想”という不可思議なものの刺激と醍醐味をぜひ賞味していただきたい。
(池田康)
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