2016年03月28日

オペラ「金色夜叉」

26日の夕、川崎市多摩区のこんにゃく座のスタジオで、オペラ塾2015年度修了公演「金色夜叉」(原作・尾崎紅葉、台本・山元清多、作曲・萩京子、演出・大石哲史)を観た。セットもない裸の舞台、いや舞台さえない平土間の、両側から観客にはさまれた中で、ピアノという中枢神経だけをたよりに音楽劇を作り上げる、一つ一つの場面があやうく立ち上がる、そのスリリングさに魅了された。砂かぶりのごとき近さもドラマ生成の迫力を増す(この境界を無化する近さにはちょっとアングラ劇的なものがあり、以前唐組のテント芝居を観たときのことを思い出した)。強い構図を打ち出すいいシーンもたくさんあり、塾生公演といってもかなりレベルが高く、十分にオペラを楽しむことができた。
『オペラの学校』(水曜社)で著者のミヒャエル・ハンペはただ無考えにうたうだけでなく“ファンタジー”を成立させることの重要性を説いているが、機敏な運動とストイックな演技の追求で各場面を作り上げ、つなげていき(この「つなげ」に強力な音楽の意志が働いていた)一つの物語を浮き上がらせる今回の公演には間違いなく相当程度のファンタジーの実現が感じられた。
(池田康)
posted by 洪水HQ at 11:41| Comment(0) | 日記

2016年03月25日

ユーリ・バシュメットのCDなど

桜が咲きはじめているというのに空気が冷たい、春先特有の気候だが、ここにきて少しずつ仕事が重なるようになってきており、とりあえずけっこうなことで、張り合いのある忙しさを感じている。「洪水」次号(夏号)の特集の制作にも熱が入ってきた。そうなると見たり聞いたりいろいろやりたくなり、更に多忙となる、これを悪循環というのは違うだろうが、単純な作りのわが頭が収拾つかなくなりつつあるのは間違いない。思考のburstにより精神的に希有な光景に出会えるのならそれは楽しみであるが。
先日、安藤元雄さんにフランスのオペラについてお話をうかがってきた(記事にする予定)。台本が案外に大切という主旨とともに様々なオペラ作品が言及され、見ていないものも多く、刺戟された。オペラに近づくのは難儀だが、今の時代はいろんな方法で見られるのは有難い。フランスへ行く前に、まずはベルクが宿題となっている。
ほかに最近聴いたものとしては、長らく手に入れたいと思っていた、ギア・カンチェリ作曲のヴィオラと混声合唱とオーケストラのための「STYX」(1999)とソフィア・グバイドゥーリナのヴィオラ協奏曲(1996)を収めたCD。ヴィオラを演奏しているのはユーリ・バシュメット、両曲とも彼のために作曲、献呈されている。地味な楽器ヴィオラの奏者として世界的に名高いというのは大変なことだ。ヴァレリー・ゲルギエフ指揮・マリンスキー歌劇場管弦楽団。STYXとは三途の川のことのようだ。解説では「broadly flowing epic music」と形容されている。グバイドゥーリナの協奏曲は以前FMでライヴ演奏が放送され(独奏者は同じ・大植英次指揮・スウェーデン放送交響楽団。感銘!)録音して持っているので、2ヴァージョンめの演奏だ。この作曲家の作品で一番好きかもしれない。
それから斉木由美管弦楽作品集『アントモフォニー』(fontec)も聴いた。「アントモフォニー」「アントモフォニー3」「アントモフォニー4」「ことばの雫」の4曲が収録されている。「アントモフォニー」という言葉はギリシア語で「昆虫」と「音」を表す語を組み合わせてフランス語読みした造語だそうで、虫の響きから発想した作品とのこと。一番古いもので1997年、新しいもので2007年と、現在の時点から言えば少し前の作品だが、工夫をこらした音楽の語り口を賞味することができる。
(池田康)
posted by 洪水HQ at 20:01| Comment(0) | 日記

2016年03月19日

日常の漣、音楽の怒濤

昨日は昼は編集関係の打ち合わせ、夜はコンサートがあり、その間の時間があいたので、恵比寿の映画館で「ニューヨーク 眺めのいい部屋売ります」を観た。ダイアン・キートンを観たくて。なつかしい…といっても私は「アニー・ホール」「マンハッタン」ぐらいしか観ていないが、それでも懐かしさのようなものを感じるのは、この俳優の細やかなあたたかみを宿らせる特質から来るのだろうか。感情が身体表現に至る仕方が率直で柔らかく、ユーモアがあり、自然。ストーリーから言えば、テロや人種差別の問題も出てくるが基本的にはとても小さなお話で(よくこんな小さな話を映画にしようと思うなと驚くが)、日常の漣のような微細な表情にダイアン・キートンの演技はよくフィットするのかもしれない。話が小さいほど彼女はいきる? 共演はモーガン・フリーマン。
夜のコンサートは、ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ(豊洲PIT)。音楽の怒濤と熱狂は驚異的。破壊力抜群。特別の酵母をもっているとしか思えない。これが最後のツアーで、解散するのだとか。
(池田康)
posted by 洪水HQ at 12:41| Comment(0) | 日記

2016年03月12日

どこまでも若く

昨日ひらかれた第46回高見順賞の授賞式に参加した。受賞者は財部鳥子(詩集『氷菓とカンタータ』)と川口晴美(詩集『Tiger is here.』)のお二人。選評、祝辞など、粛々と進行するのを見守ったが、もっとも心を打たれたのは川口さんの受賞者スピーチだった。語る風情がとても若々しく晴れやかで、この人の中に核として存在する柔らく強靭なバネが感じられたのだった。思わず、forever young…と呟いていた。
詩集『Tiger is here.』のなかで、ボートで漂流していて、そのボートには孔雀・猿・羊・馬・虎も乗っていて、一匹ずつ捨てていかなければならないのだが、どの順番で捨てますか、という心理テストが呈示され、私は最後まで虎を残す!と主張される。そして虎とは自尊心の象徴であるとの解釈が明らかにされるのだが、今回のスピーチを聴くと、虎とは若々しい心のバネであると言いたい気もしてくるのであり、そうすると簡潔に「自尊心とは若さである」とも言えるのかもしれず、この命題はたしかに変だが、あながち間違っているとも言えない。どこまでも若く、危うく鋭くあること。ただ、そう言ってしまうと、屈託がないように聞こえ、それは詩集の内実とはちがうのだけれど。「forever young」は美徳である…これは最近浮上してきて持論となりつつある公案だ。常識的には多くの場合その反対が歓迎されるとしても。
この詩集の後半には、以前「洪水」誌に掲載された「スガレ」も収録されていて、再会がなつかしかった。
帰路はたまたまの連絡のなりゆきで、前に少し噂を聞いていた(しかしそんなものがあるとはてんで信じていなかった)「横浜駅を通過する快速」という都市伝説のような電車に乗ることになった。品川の次が大船という旅程は列車が異次元を飛んでいるようで狐につままれた感じだ。世の中にはあり得なさそうなことも現実にあったりするのだ。
(池田康)

追記
このごろJoan Baezがうたう「Forever Young」(Bob Dylan)を毎日聴かないと気が済まないようになっているので、上のような感想が出てきたのだろう。2月11日の項もご参照下さい。
posted by 洪水HQ at 17:33| Comment(0) | 日記

2016年03月10日

火星の災難

リドリー・スコット監督の新作「オデッセイ(The Martian)」を先日観て、なにか非常に印象が良く、これを彼の最高作と言う人がいるとしたら、そんなことはないはずだけどそんな気もするなあとちょっと同意を示したくなりそうなのだが、どこがいいのだろうと考えるとうまく表現しづらいところもある。宇宙船を作る部門の現場の人たちの寡黙な仏頂面なんかにとくによく感じるドキュメンタリーのような味わいが随所にうまく混ぜ合わされているのが新鮮な感じで効いているのか。悪口で愛情表現をする危険なJOKE作法もすぐれて「火星流」なのかもしれない。
正月あけにはP・K・ディックの『火星のタイム・スリップ』を読んでその奇妙きわまるフィクション構図を堪能していたこともあり、たまたまながら火星づいているのだが、それにしても火星も大変だと思うのは、現実の存在に到達する前に人間のイマジネーションにさんざんにおもちゃにされて変梃なイメージばかりが積み重なることだ。月や太陽もそうだが、イメージの自由運動のための格好のフロンティアになるという「ありがた迷惑」は隣星には避けがたい。
では我らが「青き惑星」地球は現実にその上に棲息して現物を押さえているからイメージによる玩具化は免れているかというと、そうでもないだろう。むしろ多種多様な嘘にまみれ、強引に嵌め込まれた概念やお仕着せの絵や筋書きどおりの科白で虚構されている面も多々あるかもしれない。現実と一体化しているから余計にやっかいであり、その一部はときどき社会的事件の展開の中などで露呈することもある。火星から来る蜘蛛以上に恐いのは、偽地球を彩りでっち上げる無数の流言飛語イメージだったりするのだ。
(池田康)
posted by 洪水HQ at 14:10| Comment(0) | 日記

2016年03月09日

奥成達追悼コンサート&こんにゃく座のお話

昨日の夜、新宿ピットインで奥成達さんを追悼する「奥成達を偲ぶ詩と音楽の集い Long Good-bye でわ又.」が開催され、立見がたくさん出る超満員のなかで聴いた(企画構成=岩神六平事務所・奥成繁・四釜裕子)。奥成さん関連で集結すると“スター軍団”になるのはなぜだろうか、山下洋輔(秩序と混沌との往復運動)、渋谷毅(飾らない、叫ばないピアノ)、坂田明(発声術のチャーミングな化物性)、白石かずこ(音楽的な朗読)、高橋睦郎(哲学散歩の朗読)、高橋悠治(サティをひきながら詩を朗読する離れ業)、ケン・サンダース(達さん若かりしころの作の怪談コントが面白かった)、三上寛(朗読された、達さんの「今日オレは詩について次のように考えているがもちろん明日も同じであるという保証は一つもない47章」という妙なタイトルの作品、ケッサクでした)といった方々のほか、福原千鶴さんの鼓、西松布咏さんの三味線と唄も異様さを作り出す効果絶妙だった。お祭りのようなこの一夜の経験から、奥成達さんは「よく遊びよく戯れる」の名人だったのだと確信した。
この日は午後にこんにゃく座の音楽監督・萩京子さんへのインタビューを行った。「洪水」次号特集「音楽劇・オペラ・歌物語」のため。この劇団の歴史、林光氏とのかかわり、一つの作品をどうやって作っていくか、従来のオペラの弊を脱した日本オペラの理想などについてうかがった。そして2月に上演された「クラブマクベス」のことも。吉祥寺シアターでのこの公演のことは公演期間中に知り、その時点ではチケット完売で、どうやったら観られるかと思案したのだが、キャンセル券の再発売というものを運良く見つけ、観ることができた。林光作(2007)の再演。台本はこれも故人となった高瀬久男。シェークスピア原作だが、ドラマの外にいるはずのサラリーマンの男とマクベスとが次第に重なっていくという仕掛けをもった面白い構造の作品で、三人の魔女の三重唱の神妙さとか、宴会と暗殺のシーンを同時にやってしまうアクロバット演出とか、たくさん見所があり、音楽劇の可能性を満喫した。洪水次号のインタビューをどうかお楽しみに。
(池田康)
posted by 洪水HQ at 11:54| Comment(0) | 日記

2016年03月05日

雑誌をめくる

昨日、都心に出る用事があり、往復の電車では最近の雑誌をめくっていた。「現代詩手帖」3月号は「詩と歌」特集で、対談二本(谷川俊太郎×池辺晋一郎、西村朗×三浦雅士)ほか、一柳慧、新実徳英の二氏をふくむ何人かの人たちが執筆しているが、歌手の沢知恵さんも寄稿しており、ライヴで茨木のり子の長編詩「りゅうりぇんれんの物語」を80分かけて歌ったと書いていて、仰天。なんという果敢なモンスターシンガーだ。
タワーレコードのフリーペーパー「intoxicate」120号ではAYUO氏によるデヴィッド・ボウイ追悼文、武満徹没後二十年の記事、ピエール・ブーレーズ追悼記事など目についた。表紙は武満がタバコをくわえながらほぼ垂直に立てられている五線紙になにかを書き込んでいるところ。作曲家はいつもこんな姿勢で作曲しているのだろうか。
この日の上京の目的の一つは、田中健太郎さんに誘われた文部科学省・文化庁合唱団コーロ・アペのコンサートで、虎ノ門の旧文部省庁舎の講堂で行われた。歌謡曲や民謡を編曲したものが曲目に並び、もっと合唱団本来のものやってもいいのにと思いながら聴いていたのだが、最後の「くちびるに歌を」(ツェザー・フライシュレン/信長貴富)は良かった。男声だけでうたった「カリンカ」も響きよく迫力があり、混声に戻るとその魅力が薄れるのは、混声には混声の難しさがあるということか。
(池田康)
posted by 洪水HQ at 09:52| Comment(0) | 日記

2016年03月02日

虚の筏15号

「虚の筏」15号が完成しましたのでご案内します。
下記のURLから御覧下さい:
http://www.kozui.net/soranoikada15.pdf
今回の参加者は、神泉薫、久野雅幸、小島きみ子、二条千河、海埜今日子、酒見直子、たなかあきみつの皆さんと、池田です。
(池田康)
posted by 洪水HQ at 22:05| Comment(0) | 日記