2017年03月27日

蒸気機関車に乗る

IMG_5875.JPG最近、静岡県の大井川鐵道に行き、蒸気機関車に乗ってきた。この日はC5644が走った。ほかにC11とかC12とかあり、日によって変わるようだ。C5644は戦時中タイに行っていたのを帰国させて今ここで働いているのだそう。大井川に沿って時速40キロぐらいのゆっくりのスピードで走るのがひなびた感じでよい。家山駅付近の桜並木はまだ咲く前だったが、沿線の所々に梅だか桃だか桜だかが咲いていて、さりげなく花見の気分を味わえた。この沿線の家に住む人達は毎日蒸気機関車が走るのを眺めているのだと驚きとともに気がつく。
写真は機関車を転車台の上で方向転換するところ。終点の千頭駅に着き、復路に向かうので機関車を列車の反対の端に逆向きに連結するため、頭の向きを変えるのだ。なんと人力で5人掛かりで作業していた。
(池田康)
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2017年03月16日

「樹林」春号

申告を抜けると春であったーー税務署の書類を作る苦労は毎年変わらない。ひいひい、そわそわの一ヶ月だ。だから提出してしまうと途端にのんびりした気分になり、うららかな春の季節に踏み込むのだ。
さて大阪文学学校の機関誌「樹林」の春号に平野晴子さんのロングインタビューが載っている。詩集『黎明のバケツ』が小野十三郎賞特別賞を受賞したため。聞き手は中塚鞠子氏。この詩集に関する話をたっぷりと読むことができる。
なお同号には私も山田兼士さんの詩集『月光の背中』の書評を寄稿している(発行人であるにもかかわらず!恐縮!)。ぜひご覧ください。葦書房、本体800円。
(池田康)
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2017年03月13日

二つのコード進行

コトリンゴのアルバムを何枚か聴いている。この人の立つ位置はかなり流動的で、ジャンルで言えば、あくまで私見だが、ポップスの端っことクラシックの端っことジャズの端っこと環境音楽の端っこが重なるか重ならないかぐらいのところで漂いながら音楽を創っているように思われる。ある種の「フュージョン」の人なのだ。べったりの歌謡ではないので、歌を聴こうという心積もりでのぞむと肩透かしを食らったような気がすることもあるかもしれない。ある曲ではポップスの要素が比較的強いが、別の曲ではクラシックのような展開が目立ったり、ピアノがジャズ風な動きをして賑わせてみたり、音楽の設定の土台から組み立て方を細やかに変貌させてゆく。だから一本調子にならないわけで、だから掴みがたいということにもなるわけだ。通常の意味での和音のコード進行はもちろんあるのだろうが、それに加え、いかなるジャンル要素の構成で作るか、ジャズがリードするか、歌の旋律が前面に出るか、環境音楽的な引っかかりの乏しい怠惰な響きの流れを主とするか、つまりどういうブレンドにするか、どのジャンル的特徴ににじり寄るか、それがどう変転していくかという意味での第二のコード進行が論じられうるかもしれず、そういう視点でコトリンゴを聴くとひょっとしたらこの人の創造性の焦点にうまく近づけるのではないか。もちろんすべての曲で、えぐかったり強すぎたりしないくすぐるような甘味、心地よい柔らかさ、安易にわかりやすく高揚せずはぐらかす旋律線の曲がりかた跳びかたは認められ、それがこの音楽家の〈歌〉の核をおぼろに型抜きしている。どの曲も楽しく聴けるが、「ツバメ号」(『bird core!』)、「読み合うふたり」(同)、「友達になれるかな?」(『trick&tweet』)、「でたらめサンバ」(同)なんかは秀抜なユニークさがあり、どんな音楽の好みの人でもオヤッと思うだろう。
(池田康)
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2017年03月10日

気のダイナミズムの音楽

昨夜、紀尾井ホールでオーケストラアジアジャパンの演奏会(指揮=稲田康)を聴いた。新実徳英さんの新曲が初演されるということで。オーケストラアジアジャパンとは日中韓の音楽家で作られたオーケストラアジアの日本人メンバーのグループ。前半は、七人の筝による「風と光と空と」(佐藤敏直作)、三本の尺八のための「ソネット」(三木稔作)、三味線と邦楽器オケによる「三味線協奏曲」(長澤勝俊作、三味線=杵屋彌四郎)。筝の奏者の方たちはみなピンク系の着物を着ていて華やか。ステージに立つ音楽家は黒っぽい服を着ることが多くそれも理解できるが、こういう彩りも悪くない。筝はピアノとかピアニシモで弾くときれいに響きがふくらむこともわかった。三味線、鋭い激しさで存在感を示す。
後半、ソロ曲「溌水節」(伍芳作)と協奏曲「丹青仙子」(劉文金作)は中国古筝(=伍芳)の曲。スティールとナイロンでできた弦だそうで、明るく強い響きでくっきりした演奏効果がある。オケはへんてこな濁りの響きも出してくるが、基本的にはくぐもらない明朗さ。新実さんの新曲、二十五絃筝協奏曲「魂のかたち」は、なによりも気合いのみなぎりが強力だった(二十五絃筝=滝田美智子)。それまでの曲目は音楽のロジックを冷静に組み立てていく姿勢が見られ、聴く側もそれを一つ一つ辿っていく感じで聴けたが、コンサート最後の曲でしかも新曲初演となると弾く方も特別の気迫がこもるのだろう、音の気が異形を呈するようになる。聴衆も、聴くよりも感じる。新実さんは演奏前にステージ上で話をし、いま取り組んでいるピアノのエチュードと同じような狙いで作ったと語ったが、ピアノのエチュードが精密な論理を追求しているように聴こえたのに対し、今回の曲は論理よりも気合い、気が作る山々の形、気の流れのダイナミズムが設計されているように感じられた。幽霊も出現する時は(それがあるとすれば)現実世界の秩序論理を突破しうる破格の気合いでもって出てくるのであろう。魂のかたちとは気の働きの絵図なのだ。オーケストラの部分もかなりばらばらに動く難しい書き方をしたとのことで、弾く側も自分がはたして正しく弾けているのか、初演でもあるし、心許ないかんじもあったと推測され、その分余計に曲の生成に向けて一入の気を注ぎ込んだのだろう。日本人作曲家の現代音楽曲はこのように特別の気合いによってインパクトを得て良い曲になる場合が案外あるのではないかとも思われた。
(池田康)
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2017年03月06日

井上郷子ピアノリサイタル#26

上記演奏会を昨夜東京オペラハウスリサイタルホールで聴いた。サブタイトルは「近藤譲ピアノ作品集」で、この作曲家の作品ばかりを集めた構成となっていた。曲目は「イン・ノミネ」「夏の小舞曲」「メタフォネーシス」「テニスン歌集」「視覚リズム法」「リトルネッロ」「ギャマット」「カッチャ・ソアヴェ」「間奏曲」。
渡されたプログラムとは違った曲順で演奏されたので、その案内の紙は挟んであったのだが、気がつかなかった私はどの曲が演奏されているかについて混乱を感じながら聴いていた。従ってここで曲名を明示してうまく話をすることができないが、石か鉄でできているかのような無機的感触の音がシンプルに質実に置かれるというのが近藤氏の基本的な作曲のありかたのように感じられた。音が流れずに其処に佇む、という風情。従ってグルーヴを生むというよりも「秩序」がスタティックに立ち現れるという感じだ。こういう種類の曲を弾きたいと希求するピアニストは、音楽に酔いたい・音楽で遊びたい、ではなく音楽というものを考える音楽をやりたいと思うピアニストなのだろうと推測する。井上さんはおそらくそういう傾向を少なからず有しているのではなかろうか。
ちなみに近藤譲特集のリサイタルを井上さんは2011年3月にも開いており、それを聴いた感想をこのブログに書いている(2011年3月29日付、曲目もかなり重なっている)ので、それも参照していただきたい。
(池田康)
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2017年03月05日

神原芳之詩集『青山記』出版記念会

上記の会が昨日市ヶ谷アルカディアで開かれた。神原芳之はドイツ文学研究者の神品芳夫さんの詩人としてのペンネーム。今回が第一詩集だという。詩作はここ数年で始められたのだそうで、詩集を出すまでの苦労がステージ挨拶で語られた。一読、前半に収められた戦争にまつわる作品がまず印象に残る。ドイツ文学のイメージばかりが強い神品氏だが、当たり前ながら日本人としてこの時代を生きてきて割り切れない切実な経験をされてきたのだと実感させられる。もっとも鋭いものを感じたのは、昭和20年8月15日の終戦の日をうたった「八月十五日」だ。

 雲ひとつない紺碧の空から真夏の太陽が
 黒ずんだ光を差し込む
 砂浜に現れるわずかな人影がよろけていた

で始まり、第三連は

 路地の隣組ではいつも会う面々に活気がない
 「玉音放送」を聴く
 初めて聞くあの方の声 祝詞のような抑揚

とある。そして第六連。

 駅の向かいの本屋の二階での定例囲碁会は
 中止にならない
 前回負けた借りは返さないわけにいかない

終戦の日に「定例囲碁会」が開かれていたという意外性がとても面白く、人間の逞しさ、バイタリティを思わせるとともにアイロニーのかけらのような奇妙な苦みも感じさせる。
以前「洪水」誌でリルケについてお話をうかがったとき、好きな人ならば神格化してしまいそうなこの詩人について、突き放すところは突き放し、巧みな距離感を維持して語られていたことを思い出す。人間に対し、社会に対して、独自の距離をもった目にオリジナリティがあるとも言えそうだ。
これからは第二詩集を目指すとのこと、一層の充実を期待したい。
なお『青山記』は本多企画刊。
(池田康)
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