2017年04月21日

ノイズを操る歌声

昨夜、作曲家の佐藤聰明さんの奥方の佐藤慶子さんの歌&ピアノのリサイタルを南青山MANDALAで聴いた。主に万葉集の和歌をテキストにして自ら作曲しピアノ弾き語りでうたう。ポップス的明快さで作られた曲もあれば、そのような歌謡秩序からはみ出た薄暗がりで紡がれた曲もある。どちらかと言えば後者のほうに惹かれた。たとえば、子持山若蛙手のもみつまでねもと我は思ゆ汝はなどか思ゆ、という読み人知らずの詩句の「子持山」、織女舟乗りすらしまそ鏡清き月夜に雲立ちわたる(大伴家持)の「織女」、あかねさす紫野ゆき標野ゆき野守は見ずや君が袖振る(額田王)の「あかねさす」といった曲。「桃花の乙女」は、春の苑紅にほふ桃の花下照る道に出で立つ乙女(大伴家持)の一首を取り上げるが、この歌は伊福部昭の作曲したものがとても印象的だが、佐藤慶子版も非常に美しい。
聴き応えのある歌手は繊細で強力で高性能のノイズ発生装置を所有しており、たとえばハスキーヴォイスや独自のこぶしやガッと凄む息遣いやシャウトや意図的音程崩しのような形で巧みにノイズを混ぜ込んで強く訴える表現を作り上げてゆくのであり、ひたすら透明できれいな歌声もけっこうだけれど、上手にノイズ成分を操れたらなお良いという理論をこの頃ひそかに懐でもてあそんでいるのだが、佐藤慶子さんも少ししわがれた声でうたうので、不意にまた自然にしっかりした声からかすれた声に転じる、その声の裏返りの絶えざる変転が「尺八の演奏に似た」とも言えるのかもしれない魅力を生み出していた。
(池田康)
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2017年04月15日

ついでも重要

好天気だった一昨日、昨日とつづけて、所用あって東京方面へ向かった。
一昨日は用事のついでに、新住所に移転したばかりのギャルリー東京ユマニテでの移転オープン記念展「加納光於《稲妻捕り》Elements1978 「言ノ葉」と色象のあわいに」を観た。瀧口修造との共作『稲妻捕り』(書肆山田)の原画が展示されていて、瀧口の言葉とともに雲の運動の絵が並ぶ。Boschを主題にした魚が描かれる水彩画もよかった。新ギャラリーは地下に降りなくていいのがありがたい。
昨日はやはり用事のついでに、大森のライブハウス「風に吹かれて」で、K2(六文銭のメンバーである及川恒平・四角佳子のユニット)のライブを聴いた。ベテランならではの余裕のある落ち着いたのどやかさが基調かと思ったが、後半では元気に騒ぎあばれるにぎやかな演奏もあり、うきうき気分で楽しめた。個人的には「ガラスの言葉」(超絶拓郎曲デス)が聴けたのが嬉しかった。最後の「出発の歌」は小さなスペースいっぱいに響いて聴くというよりも曲の中に入り込んでしまったかんじだった。この日の用事とは、及川恒平さんへのインタビュー、これは「洪水」次号特集のため。ご期待ください。
(池田康)
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2017年04月08日

国分寺から国立へ

昨日は国分寺駅近くのくるみギャラリーに山本萠さんの作品展を見に行った。山本さんは絵も描くが、今回は書の作品が中心。詩の一節を書いたものは声の立ち居が視覚化され、一文字だけ書いたものは字そのものが蔵する思想がにじみ出る(世界を解するモノであるはずの文字が不可解な影と化すところが面白い)。小さなギャラリーが特別な書斎と化していた。
そのあと、近くにある殿ヶ谷戸庭園(立体感の妙)に遊び、国立の咲き誇る桜にまみえた。数人で行ったので、なんということもない軽いおしゃべりをしながらゆっくり食事をする。花見のときの飲食は、それによって時間を音もなく経過させるという意味もあるのだろう、午後から夕暮れ、そして夜と、光の量と色合いが変わっていく中で桜の映え方も変化してゆくのが妖艶だった。
(池田康)
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2017年04月03日

手引き

このあいだ牛丼屋で牛丼を食べていて、思い出した。大学のとき或る先輩が牛丼屋に連れていってくれたのが初めての牛丼だったと。紅生姜と七味唐辛子とで食べることもそのとき教わった。それまでは食べたことがなかったのだ。家では牛丼を食べる習慣がなかったから、食べたいという欲求がまったく湧かなかった。そこがカレーライスやラーメンやトンカツと違うところだ。未知のものに近づくには「手引き」が要る。誘い、きっかけ、コマーシャル。ただ手引きがあれば身につくかと言えばそうでもなく、麻雀や囲碁を教えてもらったこともあるが、プレイできるようにはならなかった。将棋はルールを知ってはいるけれど指しながら駒組みの思考を練ることがまともにできず出鱈目なへぼ将棋だ。ゲームの才能に欠けるところがあるらしい。スキーは高校の先生に、スケートは父親に(名古屋の西大須にはスケート場があった)教えてもらったけれど、子供のころやっただけで、ここ三、四十年滑っていない。なぜ持続しないのだろうと首をひねるばかり。
スケートといえば先日フィギュアスケートの世界選手権があり、イタリアのカロリーナ・コストナーがひさかたぶりに出ていた。数年前なにかの大会で彼女の翔けるようなスケーティングにほれぼれ見とれた経験があって、そのときの残像とどれだけ重なるか探りながら今回眺めていた。ぴったりは重ならなかったように思うが、トップ選手と競えるレベルで元気に滑ってはいた。音楽を選ぶ独特のセンスも他の人とは違うものを感じさせる。
フィギュアスケートという特殊なジャンルにはどんな手引きがあり得るのだろうか。子供がやりたいと憧れるのか、大人が導いてやらせるのか、どちらにしてもとても特殊な種目(職業)だ。よく志望するもの、宇宙飛行士並みに厳しい「狭き門」のように思われる。
(池田康)
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