2018年03月27日

命に別状は……

最近は訃報がよく届くような気がするのだが……詩人の柏木義雄さん、石原武さんの逝去が伝えられた。両先生にはちょっとしたことだがお世話になった。人づき合いの器用さが私の方に乏しく、それほど実のある交わりをすることができないままに終わり、申し訳ない思いだ。
そして、川端進さんが亡くなったと、ご家族からはがきをいただいた。これには驚いた。昨秋、白石かずこさんの本の祝賀会でお元気な姿を見ていたので。川端さんとは酒席でほんの少し言葉を交わしたくらいだが、いたって飾らない方だった。「釣狂病」という詩を引用紹介して弔意の徴としたい。

 週末になると
 ぶつぶつつぶやき
 仕事が手につかなくなる
 釣新聞をひろげてみたりする
 釣道具のカタログをみたりする
 ひとの言葉が耳にはいらなくなる
 釣仲間にひそひそ電話をかけたりする
 仕事仲間に嘘をついたりする
 親兄弟を危篤にしたりする
 あるいは殺したりもする
 治療法はないけれど
 命に別状はなく
 処置はある

 こころよく
 釣に行かせてやる
 ことだね

(池田康)
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2018年03月24日

天の耳へ……

昨夜、吉村七重さんのお誘いで、大久保の淀橋教会・小原記念チャペルで開かれたコンサート「新しい古楽器アンサンブル/ダブルトリオ演奏会」を聴いた。出演は、鈴木俊哉(リコーダー)、宮田まゆみ(笙)、吉村七重(二十絃箏)、亀井庸州(ヴァイオリン)、大植圭太郎(オーボエ)、ディラン・ラルデリ(ギター、指揮、作曲)。
テレマンの曲がイ短調トリオとイ短調の協奏曲と2曲奏されたが、とても清々しく聴けた。バロック音楽を生演奏で聴くのはひょっとしたら初めてかも、という気がしたくらい新鮮な体験で、250年前の曲がこんなふうにまだ生きている驚きを痛感した。
佐藤聰明「櫻」は二十絃箏の独奏曲。「真面目」という語の文字通りの意味での真面目さに打たれる。派手な技法や珍しい演奏効果を用いず朴訥にシンプルに音を置いていく作り、その飾らない真摯さ。幻の歌声が聴こえるような気がしたが、それは私の耳の要求だったのか、それともそうしたものを要請するよう音の配置に仕組まれていたのだろうか。
原田敬子「唄(ばい)+」。冒頭の荒唐無稽とも言うべきぐしゃぐしゃした音の出方にいささか怯んだが、そのうちこの音のイベントの大胆奇抜な試行を楽しめるようになった。笙がとても心地よい重音を聴かせていた。
武満徹「ディスタンス」、これはハインツ・ホリガーのために1972年に作曲されたものとのこと。オーボエと笙が会場の前と後ろの離れたところに立って奏する。武満のイメージから外れるような音の響きのある種の「きたなさ」「濁」の様相が感じられ、生きることの恐怖のようなものを思わされた。しかしこれは私の無根拠な錯覚に過ぎないのかもしれない。
ディラン・ラルデリ「保持」。作曲者自身が前に立って指揮をするが、リズムが画然と立たない、音の雑然とした切れ端をつなげてゆく、ただ茫漠と流れるような音楽で、雅楽よりももっとざっくりとした緩い構成法が、気持ちを楽にしてくれて心地よい。プロフィールを見ると、ニュージーランド出身で、ヨーロッパ各地で研鑽を積んだ作曲家のようだ。

この日、コンサートの前の時間に、早稲田の「古書ソオダ水」に寄った。忘日舎のご主人に教えられた店。都電荒川線の南の終点の早稲田駅から歩いて数分のところにある。狭い店内に、それほどぎゅうぎゅう詰めに本が並んでいるわけではないが、詩書はたくさんある。荒川線は今回初めて乗った。沿線に桜が咲いており、ゆっくり走るので良い花見ができた。面影橋付近が一番楽しめるか。店で買いもとめた、財部鳥子詩集『アーメッドの雨期』(1994)を電車の中で読む。アフリカ旅行でできた諸篇とか。なかに、「神」と題する四行詩があった。え、このタイトルで、一体どういう四行が来るの? 引用しておこう。

 水をひょうたんに一本たっぷりと飲んで
 朗々とコーランを詠む男が隣人
 神はきっと大男だろう
 天の耳へ届けよとばかりうたう

(池田康)
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2018年03月22日

家族の秘密

テレビドラマ「anone」(日本テレビ)が最終回を迎えた。脚本家・坂元裕二の小研究を遂行中だったので毎回欠かさず観ていた。わかりやすく楽しませる要素はやや控えめで、果敢に攻め、奇妙な展開に満ちた、純文学色の濃い作品だったと言えそうだ。この作者特有の、生存のどん底をつかまえる感触が今作でも変わらずにあり、奇跡に準ずるような大小の人間模様の形をいろいろ見せてもらったように思うが、大雑把に一言でまとめるなら、偽造家族が本物の家族として通用するところまで行く、という流れになるだろうか。内側をなにもかも公然とできるようなきれいに整頓された家族は本物の家族ではない。家族はその家族独自の“秘密”(真似できない透かし模様…)があるのであり、それが家族の真正さを作る。その“秘密”は世間の常識から言うとどこかおかしかったり、歪んでいたり、外部の人間や社会には到底理解されなかったり、場合によっては悪事に属するものだったりするのだろう。傷や恥部をかかえたり悪事を働くことは不幸だが、その不幸を全員で共有し責を負うことで家族は本物に生まれ変わる。
前作「カルテット」にかすかに不条理劇の匂いを感じて、その点の動向を追尾するに、今作でもその「ちょっぴり不条理劇モード」は継続しているように思われた。「カルテット」では本物の家族を形成するところまでは行かなかったように見受けられたが、「anone」では敢然とそこまで描かれた、ということになるだろうか。一昨年以前に作られた傑作群(「Mother」「Woman」等)と比べ、この「ちょっぴり不条理劇モード」の近作を嘉すべきか、心配すべきかは、わからない、しかし創作者はつねに新しい冒険に挑みたいものなのだし、文学や演劇の分野に引きつけて言えば、驚かされ、とても刺戟的だ。
(池田康)
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2018年03月17日

加納光於《平家物語》逍遥、ほか

昨日は人と会う約束があって上京し、銀座での加納光於さんの個展、吉祥寺と西荻の古書店にも寄った。
ギャルリー東京ユマニテで開催の「加納光於《平家物語》逍遥」展(今月20日まで)は1996年に制作し未発表だった、平家物語をテーマにした連作をまとめて展示したもの。知盛とか重盛とか重要登場人物が題名になっている作品も含まれていて、一種の肖像画のようなものなのだろうかと興味深く注視できる。清盛を描いた、非常に複雑な構成の、現代性をも感じさせる絵と、ほとんど黒のモノトーンに近い、鬼気迫る「悪七兵衛景清」がことに印象的だった。「モノタイプ」という画法、これは版画の手法で制作するのだが一点しか刷らない特殊なやりかたなのだそうで、デカルコマニーの効果も入った、抽象的な紋様世界が、手作りの絵具の個性的な“渋い華やかさ”でもって夢幻を繰り広げる。その中に一枚、2010制作の作品が混ざっていて、色彩的に神聖化された白を打ち出していた。
夕方、吉祥寺の「百年」、西荻の「忘日舎」訪問。どちらも比較的小さいスペースの、古書をベースにして新刊も扱う本屋。普通の街の本屋さんというよりは、濃厚な趣味と志向を特色としている。忘日舎には「みらいらん」を置いてもらえることになりましたので、是非足をお運び下さい。杉並区西荻北3-4-2、電話03-3396-8673。駅から徒歩5分ほど。西荻駅を北ヘ出て、左手のショッピングセンター店内を通り抜けると近いようです。
(池田康)
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2018年03月06日

苺を食べると

「苺を食べるとカーリングがうまくなる」とか「左右色違いのゴーグルをつけるとスケートが速く滑れる」というおとぼけ言は、愚かな勘違いだと笑っていい。
しかし「スマートフォンを持てば賢い生活ができる」はどうだろうか、素直に笑いにくくなる。「知識をたくさん獲得すれば優れた人間になれる」とか「お金があれば人生が買える」とかになると、そんな因果関係がダイレクトに存在するような気がしてきて、笑おうとする表情がひきつる。
先日、東京オペラシティで開催中の「谷川俊太郎展」を訪れた。面白い、興味をそそる展示がいろいろあって楽しめたが、この展覧会に集っている人々も、なにか趣のある雰囲気で、しかし詩歌関係者というよりはもう少し一般寄りの感じがして、この人たちの心世界の中で詩はどういう配置と働きのものになっているのだろうと、展示の一部として覗いてみたい気がした。チケットもぎりのところで白紙を渡してなにか書いてもらうとよいのではないか、と。「苺を……」式に、「詩を読むと****」を考えてもらうわけだ。「詩を読むと谷川俊太郎になれる」ーーこの回答は、不可能だろうの笑いが伴う点で“おとぼけ誤コピー”として“正解”に近いか。
「美」と「詩」は、少し違うだろうと考えることがある。美はなにか強いもののイメージがある。生命的に、プラス、ポジティブな「良さ」が美に昇華していくのだとしたら、詩は逆に、弱さ、欠落、喪失、歪み、といったネガティブな素因にかかわり生成してくることが多いのではないか。弱さの形を呈示することが詩につながっている面はあるだろう。対世間の鎧の下の生身の裸を、詩は夢み、現実に見せる。
「詩を読むと裸になれる」は有り難みもあり、一種の理想論として当たっているかもしれない。「詩を読むとすかんぴんになれる」は果してありがたいのかどうか、しかし警句としてかなりいい線いっているのではないだろうか。
(池田康)
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2018年03月04日

三尾みつ子詩集『花式図』の批評

三尾みつ子さんの詩集『花式図』(洪水企画刊)が、中日新聞2月24日夕刊の「中部の文芸」(評者は北川透氏)で紹介・批評をいただきました。ご覧下さい。
(池田康)
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