2018年06月13日

うつつの冥府 その2

人は自分がもっとも大事にする、それをもって自分の存在意義とする主要な役割を失ったときに、うつつにいながらある種の冥府に入り、心的な死に囚われる。そこから出てこられるかどうかは大雑把にいって五分五分というところだろうか。プロ野球の松坂投手のようになんとか復活する幸運なケースもあれば、別の天地に光明の可能性を目指して移動しつつ出ていく場合もあるだろう。結局抜け出すことができずに冥府に囚われたまま心の壊死を迎える不幸な場合もあるだろう。
先ごろ公開された映画「妻よ薔薇のように 家族はつらいよ3」(山田洋次監督)では、長男の妻・史枝が家出をするのだが、夫・幸之助の無理解に耐えられなくて喧嘩の果てに、というよりも、自分のうちの重要ななにかを喪失して、という面が強いように思われた。史枝は一人で留守番をしていたときに泥棒に入られ、冷蔵庫の奥に隠していたへそくりを盗まれる。びっくり仰天のシーンで、昼寝から目覚め二階から降りてきて盗人の男を見つけ、目が合ってしまう。このとき、彼女はもっとも大事な「平安な日常」を盗まれたのではなかったか。自分の主要な役割である「主婦」の面目が傷つけられ、奥方の仮面がひび割れる。弁解の余地乏しく、夫の面罵によりその資格喪失は決定的となり、心はうつつの冥府に入る。それは故郷の信州の町に行き、今は両親もいない生家に隠れるという形をとる。夫は弟の忠告に従い、妻を迎えに……。こうして物語は冥府に行ってしまった妻を取り戻しにいくというオルフェウス神話に似通ってくる。奪還は成功するかどうか、それは難しいだろうと義父の周造の予想するようにけっして簡単ではないはずで、なんとか帰還を果たしたのは(この作品が喜劇のフォーマットで作られているからという決定的事情を措けば)、たまたま土砂降りの雨が降っていて非常事態の空気がいい具合に生じた、モーゼの海の道ではないが、マジックのように「道ができた」からだというのが観ていての素直なところだ。彼女の「冥府」の具体的な形となった山奥の町(茂田井?)も古風で雅びな美しい風景で、見とれた。
(池田康)
posted by 洪水HQ at 18:02| Comment(0) | 日記