2018年08月27日

案外平気(という強がりの一席)

夏には麦茶なんかを作って冷蔵庫に入れておくことが多いが、この夏は食料の箱の中に残っていた3年前の麦茶のパックと6年以上前の烏龍茶のパックを使って作っていた。消費期限をはるかに過ぎているけど茶葉だから大丈夫なのではないかと思い、試してみたら、なんともなかったのだった。案外平気なのだ。
平気といえば、この夏はビールを一滴も飲まななかった。アルコールをたくさん飲むと頭が痛くなる種類の人間なので、飲まなくても困ることはないけれど、夏としては珍しいことだ。100%の下戸の人にとっては当然のことだろうけど、ビールなしの夏もありですよと、飲兵衛の方々に提言したい。あり得ないと言われるか。
旅行らしい旅行もしなかった。一つ計画があったのだが、台風が来ていて出かけるのをやめた。最近、逗子の神奈川県立近代美術館に「貝の道」展を見に行ったのが唯一の遠足らしきものか。宝貝の装飾品や財貨としての古からの世界的流通にスポットを当てた企画で、台湾のパイワン族の女性用衣装はみごとだった。南洋の平たい大きな貝の貝貨もこれがお金として使われたのかと興味深い。快晴の日の逗子の海岸は賑わっていた。
(池田康)
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2018年08月21日

立秋の涼しさを求めて

残暑の挨拶をする時期になってきた。二週間前は酷暑地獄だったが、いまはこういう日和なら夏の日々もいいなあと感じる。夜道を原付で走っていると秋の虫のすだきが聞こえてきて、なんとも涼しげだ。
最近、心がスッとした体験といえば、まず「ドラゴンボール」(鳥山明)の最初の数巻を、数十年ぶりに読んだこと。“マンガの絶好調”がここにはある。シーンのナンセンスぶりが衝撃の、ギャグマンガの涼やかさ。「心がきれいじゃない」故に筋斗雲に乗れないブルマやクリリンもかわいい。
シュペルヴィエルの短篇や中篇の小説もいくつか読んだ(光文社古典新訳文庫やみすず書房の短篇選で)。ファンタジー的発想の軽やかさが独自性を際立たせて、世界の見え方がちがってくるような感覚に見舞われる。この人はわれわれとは違った論理学(言ってみれば天使の論理学)を持っている。
それから、ひょんな機縁で、フリッツ・ラングの映画を二本ほど見た(渋谷・シネマヴェーラにて)。的確な組み立てにほれぼれする。絶妙に測られた残酷さ。白黒の美もある。よくできた古い映画を見ると、これも心がスッとするのだ。
8月後半に入って意外に仕事が重なってきて、なんとなく忙しい気分でいる。忙しいと普段気になることもさほど気にならず、もうこの夏は乗り切ったと安心していいのだろうか。いや、台風がまた二つ近づいてきていると天気予報が告げている。
(池田康)
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2018年08月11日

吉増剛造展「涯テノ詩聲」

yosimasugozoten.jpg本日から、渋谷の松濤美術館で上記展覧会が開催される(9月24日まで)。詩人・吉増剛造の半世紀以上にわたる活動の軌跡を、詩集とその原稿、自ら露光を工夫して撮影する写真作品、若林奮から贈られた金槌を用いて造型したオブジェ、そして同時代で交わったいろんな分野の作家たちの作品と尊敬する先人たちの仕事を展示して紹介、考究する。昨日取材の会があったので参加した。この美術館はこじんまりした無機的ではない生命感あるまとまりの空間で、あたかも楕円形の繭のようで、これら奔放に世界へ向けて出された作品たちはここにひとときの親密な「家」を見つけたなという印象を受けた。
戦後の泥沼からもがき苦しむように詩を書いてきたこと、徹底的に手で字を書くことにこだわり、それが音楽行為とさえ感じられてきたこと、60年代の熱い空気と同時代者たちからの影響関係(とりわけ大岡信の美術批評について語られた)、3・11以降の7年間の重みと吉本隆明の詩の筆写の作業のこと……宝貝(柳田国男の記念)やら牡蠣殻(エルンストの記念)やら母親の葉書やらをぶらさげたモビール風の「楽器」を手に持ちながら、自らの活動の道筋を、整然とではないにしても理路を大切にして流れるように解説する吉増氏の姿と、展示された作品群が示す壮大な混沌との間のギャップにたえず漂う歌の振幅を感じた。
詩人・吉増剛造はシャーマンの要素が濃く、その意味で近現代の枠からはみ出る存在であり、自分たちの暮らしている近現代の理性の枠を堅持しようとすると、わからない、ということになるのかもしれないが、我々のありうべき「古代」を体現する表現者として捉えるなら、その層を切り開く切先として、これらの表現の軌跡を共感をもって受け止めることができるのではなかろうか。
(池田康)
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2018年08月05日

花火大会

近隣の花火大会が昨日あり、大会会場には行かなかったが、花火が見える小高いところまで赴いてすこし見物した。打ち上げ花火をしっかりと見るのは久しぶりだ。思ったより色彩華やかで見とれる。打ち上げの音も風景を揺するような迫力がある。その場所に集まった多くの人たちからも(とくに少年少女たち)さかんに歓声があがっていた。高く上がった花火は天から垂れさがっているらしき雲の内部に隠れることもあり、水蒸気の繭の内側から光る景色も珍しかった。この大会、本当は一週間前に開催されるはずだったのが台風で順延となり、この日開催されたということのようだ。昨日の昼頃開催に気づいたのだが、見ることができて幸運だった。花火職人健在也と感謝とともにつぶやくたくなる、夏の最も贅沢な遊び(いや、甲子園にはかなわない!?)。
(池田康)
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