2018年10月28日

宝石はどう生まれるか

19世紀には女性の作曲家で著名な人はいないが、20世紀以降は事情が変わってきており、誰でも知っているというわけではないけれど戦後はソフィア・グバイドゥーリナのような実力者が数人はいるようだし、ポピュラー音楽の分野なら幾人も名前を思い浮かべられそうだ。今のNHKの大河ドラマでも原作・脚本とともに音楽も女性の作曲家のようだし、最近見た映画『日日是好日』(大森立嗣監督)も世武裕子という初めて名前を聞く女性作曲家が音楽を担当していた。その音楽、乱暴に大雑把に言えば、特別にすごく感動的というほどではなく普通に映画音楽として感じ良いもの、といった印象だったが、終盤、主人公の典子(黒木華)が、そうか、日日是好日(にちにちこれこうじつ)ってそういうことなのかと感嘆とともに独白する、そのあとのピアノは今まで聴いたこともないような響きがあってとてもよかった。指輪に例えればここが宝石の部分に当たるのだろうか。
物語の中のシーンとしては、喪服の典子が武田先生(樹木希林)を訪れ二人で縁側に座って話をする場面がもっとも心情の凝集度が高いように思われた。茶道の作法の細部を見ることができるのも興味深く、十二年に一度しか使わない茶碗があるというのも茶道の時間感覚の息の長さを感じさせる(この映画も戌年にしか見られないということになる?)。
茶道といえば千利休だが、これも最近東京国立博物館に見に行った「マルセル・デュシャンと日本美術」展(京都のIさんにチケットをもらった)に千利休にまつわる展示があり、利休は当時人気があった派手な茶碗ではなく黒っぽい地味な茶碗を用い、花瓶もそこらに生えている竹を切って即席に作った、その革新性がデュシャンに通じると説明されていた。なんでもないものをも宝石にする、天才的閃きがもたらす価値観や美学の転換が「ナントカ道」の発端にはあるということだろうか。
(池田康)

追記
同じく音楽=世武裕子ということで映画「リバーズ・エッジ」(行定勲監督、2018)もDVDで見る。岡崎京子のマンガをもとにしているとのことで、映画も音楽も牙むいている。この人は歌もうたうようで、ラジオで紹介されていた、最近のCD『RAW Scaramanga』も聴く。ヨーロッパの先鋭的な音楽家が作ったポップ音楽、というかんじのものか。いくつかの曲で彼女のオルガニックでスモーキーなピアノが聞ける。腹にひびく声を持っているような、そんな気骨のピアノ。

追記2
東京国立博物館の門を入った正面に立つ巨木は、公孫樹だろうかと漠然と思っていたが、木の名札を見るとユリノキだった。
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2018年10月20日

みらいらん3号の“対話の宴”

「みらいらん」次号の“対話の宴”の対談イベントが下記のように決定いたしました。今回はゲストに有働薫さんを迎え、外国詩とくにフランスの詩を取り上げます。是非ふるってご参加下さい。

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洪水企画&エルスール財団共同企画トークイベント

野村喜和夫の詩歌道行@
 野村喜和夫 × 有働薫

『現代フランス詩の地図を求めて』

舶来の詩はいかつい黒船か、いとしい渡り鳥か。今年ジャン=ミシェル・モルポワ『イギリス風の朝』(思潮社)を翻訳刊行した有働薫さんを迎えて、フランス詩の受容の現在を考え、詩の翻訳の意義や醍醐味についても語り合います。

日時:2018年11月17日(土曜日) 15:30〜17:30 (15時開場)
場所:ブックカフェ「エル・スール」(詩とダンスのミュージアム内。世田谷区羽根木1-5-10)
入場料:2500円(+1drink order)
申し込み方法:メールまたは電話で。
エルスール財団
03-3325-5668
info@elsurfoundation.com

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会場への地図はこちらのリンクでご確認下さい:
プリント用のPDFはこちらです:

(池田康)
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2018年10月18日

嶋岡晨詩集『アメンボーの唄』

amenbo2.jpg嶋岡晨さんの新しい詩集『アメンボーの唄』が完成した。洪水企画刊、A5判88頁、1800円+税。この一年以内に書かれた32篇を収録、筆力の旺盛さ、頭脳の矍鑠さは驚くばかり。「みらいらん」に連載している「びっくり動物誌」のように動物を素材にした作品が多く、虚実を往還して変幻自在で、世界のあらゆる場所・あらゆる角度からの抒情が交錯する。帯の紹介文では「けなげな有象無象たちが哀切に私語=詩語する幻妖な世界寓話のパノラマ」と紹介している。風変わりにシンプルな装丁は嶋岡さん自身が設計した文字組みをそのまま活かして作ったもの。タイトル作は水面で生活するアメンボーに仮託しての独言の詩だが、ここでは動物詩ではなくかなりストレートな「ある領域」という作品を引用紹介したい。

 その世界では
 死んだ者は一人もいない
 祖父は磯釣りに行ったまま
 祖母は竃の前にしゃがんだまま
 母は息子のため毛糸を編みつづけ
 父は巡邏に出かけたまま
 従妹は片手もげた人形をおぶったまま

 帰らない叔母を待ちつづけ

 七十五年経つが
 死んだ者からの近況報告がない
 小型の旧いロボットのように
 倒れたとたんみなすぐ起き上がる
                らしい

 おれ自身 倒れるとすばやく立ち
 魂を そっと 他人のものと
              入れ替える。

(池田康)
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2018年10月09日

珍しくて懐かしい

itotonbo.jpg糸とんぼを見る。最近、自宅近くや駅周辺で糸とんぼを何度かみた。人によってはそんなのは珍しくないと言うかもしれないが、私にとっては子供のころ見て以来数十年ぶりだ。その繊細な姿は昆虫造型の粋。写真をご覧下さい。
モーツァルトを聴く。正直モーツァルトなんて珍しくも何ともないけれど、初めて聴く曲となると別だ。昨夜、NHKFMで或るコンサートの録音を流していて、アカデミッシェ・アンサンブルという室内オーケストラが交響曲第33番K319(初めて聴く、と思った)を演奏するのを聴き、正確な音の動きの中に生ずる溌剌とした喜悦にああモーツァルトだなあと無心に傾聴した。指揮はシュテファン・ドールというホルン奏者で、この作曲家の4曲のホルン協奏曲も演目として聴くことができた。これらは昔カセットテープに入れて繰り返し聴いていた曲。懐かしく、しかしカデンツァは新鮮に聴けた。
漢詩を読む。いま、池澤夏樹著『詩のなぐさめ』『詩のきらめき』(岩波書店、大胆にくつろぐという方針が気持ちのいいエッセイ)を読んでいるが、中国の昔の詩を紹介する章が意外に多く、漢詩独特の響きが懐かしい。中学校で、杜甫や李白や孟浩然なんかを学んだ経験はいまだに強烈で、腹の底であれらの詩句がまだ光を放っているように感じるのだ。さて李賀という詩人の名前はよく聞くが、今回初めて作品を読んだ(と思う)。この人の才能は「鬼才絶」と呼ばれたそうだが、奇想の走り方や修辞の鋭さが他の人と違うのだろう、古今和歌集に対する新古今と同じような、精緻の極みの趣があるか。李白がモーツァルトなら李賀はドビュッシーだろうかなどとも考えた。
漢詩に敏感になったのは、「みらいらん」次号で小特集「異国の詩歌と睦ぶ」を計画しているため。この小特集は、野村喜和夫氏がホストの小誌対談シリーズで今回有働薫さんを迎えてフランス詩を論じていただくことになっているのにちなんでの企画。そして肝心の両氏の公開対談はいまのところ11月17日(土)を予定している。
(池田康)
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