2019年01月15日

最近の見聞、『サピエンス全史』など

寺山修司の小説『あゝ、荒野』を読んだ。新宿でボクシングに励む二人の青年の話。1966年作で、漫画「あしたのジョー」よりも前の執筆らしい。着想の奇、レトリックの華麗さにうっとりとなる。さすが寺山。昨年DVDで伝説の映画「クーリンチェ少年殺人事件」(エドワード・ヤン監督。船越素子さんが「みらいらん」1号で論じていた)を見て、青春ものながら時代と社会を描き出す総合性になるほどと思ったのだが、4時間という非常に長い上映時間、近ごろ同じように長い映画作品がたしかあったなと思い出し、一昨年の「あゝ、荒野」前編後編(岸善幸監督)を見て、原作も読んでみようと思ったのだった。“自殺研究会”という奇妙なエピソードが入ってきて構成のバランスをとるのが難しそうに思われるのだが、映画は原作よりも丁寧に細やかに接続させている感じがした。しかし寺山のレトリックの異次元性は小説独自のもの。
八王子のギャラリースペースことのはでの永野光太郎ピアノリサイタル(レクチャー付き)を聴く。シューマン特集。シューマンの音楽は詩人的なところが相当にあるということを、彼が音楽化した当時のドイツの文学者も引き合いに出しながら考える。音楽の文学的解釈を笑うショパンとの対比も興味深い。
いま評判のユヴァル・ノア・ハラリ著『サピエンス全史』(河出書房新社、柴田裕之訳)を読む。人類史のすばらしく啓発的で要領を得たレジュメ。各時代の人間がどれだけ幸せに生活していたかを吟味する独自の想像力、帝国というものについての歴史家らしい冷静で総合的な考察、宗教やイデオロギーの面での間合いを十分にとった鋭い割り切り方にはっとさせられる。詳細な具体例のデータが効果的に説得力を強めており、フランスのルイ15世時代のミシシッピ株式会社の株式バブルの不祥事が国の歴史を左右する大事件になるところの叙述は、初めて聞く話で、目の前で現実の事件が起こっているかのようで驚嘆。終章で展望される人類の未来の不気味さはどんなSFホラーでも味わえない類のものだ。他の生物を虐待する人類の罪業を克明に記述する本書を読むと原罪の感覚を植えつけられるようで気分が暗くなり(虚妄の)幸福の度合いが少し減るかも? しかし深い認識の方がより大事だとY.N.ハラリ氏は考えるのだろう。イスラエルの人だそうで、その地理的、地政学的要素はどう意味を持つ、持ちうるのだろうと考えてしまう。
(池田康)
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2019年01月09日

ジョニ・ミッチェルを聴く

昨年読んだAyuo 著『サイケデリック・ボーイの音楽遍歴』に影響されて、年末年始をはさむようにしてジョニ・ミッチェルを聴いている。レコード店で探したら初期アルバム十枚組BOX『The Studio Albums 1968-1979』が信じられないような廉価で売り出されていたのでそれを手に入れてCDをとっかえひっかえかけている。
この人の曲で世の中に広く知られているものと言ったら「Both Sides, Now」「The Circle Game」だろうか。どちらもとてもいい曲で、それぞれ2番目と3番目のアルバムに入っている。4番目のアルバム『Blue』は世評高いようで、タイトル曲「Blue」や「River」はとても味わい深い。ここまで、フォークソングの様式を維持しての、着実な上り坂の幸福な充実ということなのだろう。ただ、門外漢の私が虚心坦懐にここ十日ほどの間に聴いた限りでいうと、一番最初のアルバム『Song to a Seagull』に何故だが特別の愛着が沸く。妖精的でなにも考えずに自在に音を動かす天衣無縫さがなんとも素晴らしい。第2作、第3作と時が経つにつれ、いろいろ建設的な「考え」が入ってきて硬さや頑張っている感じがわずかずつ出てくるような気がするのだ。それももちろん創造者が通るべき必然の道なのだろうが、歌い始めたばかりの開花期の無垢の天衣無縫さは捨て難い。初期の純粋を尊ぶこのような偏った嗜好はいかがなものだろうと疑問に思い少し反省もするがとりあえずありのままをここに報告しておこう。
5番目〜8番目のアルバム達は、まだそれほど聴いていないが、どう言ったらいいのか、ロック色やジャズ色が前面に出てきたりしているが、試行に留まるとも言えそうで、過渡期なのかもしれない。「You Turn Me On, I'm a Radio」はポップチューンとして好ましいチャーミングさを持っている。逆に言えば、ポップスとして消化しやすい形に結実していない試行も多くあり、これは彼女の創造力の果敢さの表れだろう。
9作目の『Don Juan's Reckless Daughter』では、異国のリズムが鳴り、ワールドミュージックへの挑戦の兆しが感じられて、驚かされた。ポール・サイモンの『グレイスランド』が出るより十年早い時点でジョニ・ミッチェルがこんなことをしていたとはと、クリエイティブな人間の先見の明に敬意を覚える。「チャールズ・ミンガスを偲んで」という添え書きのついた10作目『Mingus』はジャズ色の濃い、風で揺れ動きそうな柔らかい構造の音楽が試みられている。5曲目(tr.9)の「The Dry Cleaner From Des Moines」はとりわけ気持ちよい。
このBOXSETにはなにしろ10枚のアルバムが入っているので、そう何回も聴いているわけではなく、今後さらに聴き込んだらまた別の見解を持つようになるかもしれない。Ayuoさんの本によればジョニ・ミッチェルはギターのオープンチューニングの技法に長けていた人だということなので、その視点から聴くとまた違った聞こえ方になるのだろうか。
(池田康)
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2019年01月03日

「みらいらん」3号

milyren3.jpg「みらいらん」3号が完成した。この雑誌を去年1月に創刊した時点ではこの先どうなることやらと不安に満ち満ちていたが、多くのご協力をいただき、積み重ねて3号まで到達することができ、なんとなく見通しが立ちつつあるような気がしている。嬉しいことだ。
今号は野村喜和夫・有働薫両氏の対談「現代フランス詩の地図を求めて」につなげて小特集「異国の詩歌と睦ぶ」を組み、外国詩とのつきあいを考える号となった。有働さんはジャン=ミッシェル・モルポワの詩集『青の物語』『イギリス風の朝』の翻訳や戦後のフランスの詩人の紹介の仕事をされてきており、彼らがどのような考えで詩を創造しようとしてきたかよくわかる対談となったように思う。小特集では沓掛良彦氏が周到な序論を執筆下さって有難く貴重であるほか、三井喬子、神泉薫、古賀大助、浜江順子、二条千河、南川優子、ヤリタミサコ、田野倉康一、颯木あや子、瀬崎祐、山田亮太といった方々が切実な外国詩体験を語って下さっている。
巻頭詩は城戸朱理、草野理恵子、神原芳之、和田まさ子、カニエ・ナハ、八潮れんの皆さん。
インタビュー〈手に宿る思想〉、今回は陶芸の伊福部玲さんに土を成形して火で焼き器を作る楽しさと苦労、現代離れしたその時間の様相をたっぷりとお聞きした。縄文土器の野焼きの話も非常に興味深い。今年予定されている、父親の作曲家・伊福部昭を記念しての行事についてもうかがった。今月8日から横浜市民ギャラリーでの「横浜の縄文・美と力」にも参加されるそうだ。
そのほか、俳句・短歌のページを創設し、北大路翼・秋元千惠子両氏に作品をお寄せいただいた。
新刊広告を表紙をめくった裏に置くはずが手違いで奥付ページの隣になってしまった。出版に携るすべての人に笑われそうなミスで、恥ずかしい限りだが、これを今年の最初で最後の大きなミスとすべく、気を引き締めて仕事をしていきたい。
(池田康)
posted by 洪水HQ at 12:52| Comment(0) | 日記