2019年04月28日

詩素6号

siso6coverS.jpgもうはや晩春になろうとしているのに、散歩していたら真白な富士山がぬっと顔を出していてお化けのようでぎょっとした。富士よ、今はどの季節なのか。
さて詩素6号が完成した。今号の参加者は、海埜今日子、大仗真昼、小島きみ子、酒見直子、沢聖子、菅井敏文、大家正志、たなかあきみつ、南原充士、二条千河、野田新五、八覚正大、平井達也、平野晴子、南川優子、八重洋一郎、山中真知子、山本萠、吉田義昭のみなさんと、小生。〈まれびと〉には有働薫さんをお招きした。巻頭トップは、海埜今日子さんの「珪化木的な、」。定価500円。
表紙は西脇順三郎の詩より。
http://www.kozui.net/siso.html
(池田康)
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2019年04月27日

トークイベント野村喜和夫×福田拓也のご案内

洪水企画&エルスール財団共同企画トークイベント

 野村喜和夫の詩歌道行A 
 野村喜和夫×福田拓也 

 『安藤元雄詩集集成』

『安藤元雄詩集集成』(水声社)がついに刊行されました。日本現代詩の一達成を示すこの大冊をめぐって、気鋭の詩人・批評家の福田拓也氏を迎え、安藤詩学の核心から日本語で詩を書くことの可能性まで、縦横に語り合います。

日時:2019年5月25日(土曜日)
15:00〜17:00 (14時30分開場)
場所:ブックカフェ「エル・スール」(詩とダンスのミュージアム内)
(世田谷区羽根木1−5−10)
入場料:2500円(+1drink order)
申し込み方法:メールで。
エルスール財団
info@elsurfoundation.com


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2019年04月22日

入沢康夫さんを偲ぶ会

先週の土曜日、アルカディア市ヶ谷にて「入沢康夫さんを偲ぶ会」が開かれた。生前それほど強い接点をいただくことは叶わなかったが、詩作品を読むというレベルでは相当な恩をこうむっているので、参加させていただく。安藤元雄、池澤夏樹、三浦雅士の三氏の追悼の言葉。批評性、作品の客観性、宮沢賢治との姿勢の違いのことなど話に出た。大詩人の昇天を心に実感する、得がたい機会となった。
行きの電車の中で初期入沢康夫作品を拾い読みしていたので、印象に残った箇所の一つを引用する。「輓歌」の冒頭部分。

 さて うたうのだった
 ぼくの気ちがい ぼくの気ちがいと
 ぼく 別れて
 石につまずけば
 花々は
 とりどりに笑うのだった

入沢康夫の詩のリズム、ということも是非とも心に留めておきたい重要事項のように思われる。
(池田康)
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2019年04月09日

みらいらん次号の予告

maborosiwomiruhito.jpgみらいらん4号(7月刊行予定)の概要が固まってきた。まず、城戸朱理さんの肝煎で田村隆一の特集を組むことに決まった。戦後を代表するこの詩人に新しい角度から光が当たり重要な面が浮き上がればと願っている。
恒例の野村喜和夫さん主宰の「対話の宴」は、「詩歌道行2」として、先頃刊行された『安藤元雄詩集集成』などをテーマに福田拓也氏との対話を予定している。実施日は5月25日(土)に決まった(詳細は後日)。
インタビュー〈手に宿る思想〉は、フリージャーナリストの古居みずえさんに、パレスチナのこと、福島・飯舘村の取材のこと、ご自身のジャーナリストとしての方法論や信念のことなどうかがった。リアルな刺戟にみちている。ぜひご期待いただきたい。
さて先日、城戸朱理さんとお会いして特集の打合せをしたとき、去年プロデューサーをつとめて完成させたというドキュメンタリー映画「幻を見るひと 京都の吉増剛造」のこともいろいろうかがった。慣れない仕事で、とんでもない苦労をされたそうだ。写真はそのパンフレット。まだ私は未見だが、世界各地の映画祭で高評価を得ているとのことであり(賞を8つ受賞したそう)、いつかどこかで見ることが出来れば嬉しい。
(池田康)
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2019年04月05日

新元号雑感

新元号「令和」が発表された。暦法については以前からいろいろ考えるところがあり、キリスト教に根をもつ西暦が絶対視され永久固定されるのは良いこととは思えないからいつか機熟した時期に適切な原点を得て世界暦が創設されるのが好ましいという論を書いたことがある。その観点から言えば西暦を相対化する日本の元号は貴重とも言えるが、これも理想を述べるなら、もともとは中国の風習なのだから、日本固有の事情から切り離し、漢字文化圏で共通の東洋暦にするのが地域の連帯感も生まれるし理想だろうとは思う。滅多なことでは実現しないだろうが。
今回の元号について一つだけ言えば、「令」が「零」に通じ、「和」が加算の意から「1」を一つずつ加えることに通じるとしたら、これはコンピュータ時代に呼応した命名とも考えられる。明治…昭和…そして今回と、だんだんひんやりとした感じになってきているのは、人心のわずかずつのやせ細りを反映しているのだろうか。とはいえ、典拠(大伴旅人、なつかしい名前)の説明の力もあり、世代の「舞台」が変わるという清新な気分、浮き立つ気持ちももちろん春風のように吹き渡るだろう。
それにしても、改元が確定しているのなら、暦屋さんが困らないよう(お役所の事務処理がじりじりそわそわせずにすむよう)一年前に発表してほしいもの。
(池田康)
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