2019年05月26日

対話の宴 野村喜和夫・福田拓也対談

IMG_7102.JPG昨日、世田谷の詩とダンスのミュージアムで、「みらいらん」次号の〈対話の宴〉のための「野村喜和夫の詩歌道行2 『安藤元雄詩集集成』をめぐって」が開催され、野村喜和夫・福田拓也両氏が議論を交わした。
『安藤元雄詩集集成』(水声社、本体8000円)には安藤元雄さんの既刊9冊の詩集『秋の鎮魂』『船と その歌』『水の中の歳月』『この街のほろびるとき』『夜の音』『カドミウム・グリーン』『めぐりの歌』『わがノルマンディー』『樹下』が収められている。それを通観してのお二人の話は、安藤元雄の詩の世界の地形をどう捉えるかについての意見も若干違っていて、その分うねりと緊張感があり、非常に興味深かった。福田さんは、海に象徴される境界性、有限が無限に移行し再び回帰する現象、『めぐりの歌』『樹下』で起こっている例外的事由、といった諸点を中心に語り、それを受け止めつつ、野村さんは安藤元雄さんのオリジナリティを同時代の他の詩人たちとの比較で絞り込み、読みどころ、注目すべき点を挙げていった。安藤元雄さんも臨席されていたのでその分対話の張り合いも倍加し、刺戟に満ちた、とてもよい会になったように思う。この対話は記事となって「みらいらん」4号(七月刊行予定)に掲載する予定。是非ご覧いただきたい。
(池田康)
posted by 洪水HQ at 16:05| Comment(0) | 日記

2019年05月21日

加藤典洋さん

加藤典洋さんが亡くなったという報道があり、本当なのだろうかと信じられなかった。5年前、「洪水」14号でインタビューをさせていただき、国内外のロックやポップスのことなど音楽についていろいろお話をうかがった。独自のロジックを自在に発動させる至極元気なそのお姿はついこの間のことのように思い出される。そのインタビュー「『耳をふさいで、歌を聴く』を聴く」から、忌野清志郎について語った一節をここに再録しよう。
「忌野清志郎はなぜかわからないけど、好きでなかったんです。みんないいと言うでしょう。なんでいいんだろうと思っていた。(中略)でも、それまで聴いていなかった初期のアルバムを好きになって、第二アルバムの『楽しい夕に』にびっくりした。すごくいいんです。天才だと思った。彼の文章も面白いんです。文庫本になっているんですけど、あれを読んでいると、ビートルズなんてなんだと書いている。その気持ちはよくわかる。あの当時の忌野の才能からすれば、そう言えるような高みにいて力を発揮していた。」
さらに話の先の方で質的劣化と量的拡散の皮肉で歪な関係にも及んで、批評家として面目躍如の眼光の鋭さに触れることができる。
あの日の貴重な2時間の恩を感謝するとともにご冥福を祈りたい。
(池田康)
posted by 洪水HQ at 20:57| Comment(0) | 日記

2019年05月14日

青柳幸秀歌集『安曇野慕情』

安曇野慕情カバーSS.jpg青柳幸秀さんの第二歌集『安曇野慕情』が洪水企画から刊行された。青柳さんは昭和8年生まれ、長野県安曇野市在住、ぱにあ所属。2013年に出た第一歌集『安曇野に生きて』以降の478首を収める。帯文の紹介に「産土の安曇野に聳える常念岳を畏敬の父、豊かな大地を母のごとくに慕い、農業一途に生きる日々から湧き出る歌は感謝と慈愛に満ちている。幼少時からの自称、悪童丸の無垢な肉体と精神に沁み着いた、戦中、戦後の父母たちと共有した艱難辛苦の悪夢は生涯不滅。昭和一桁生まれの男子ならではの人生の哀歓が熱く、胸を連打して止まない。(秋元千惠子)」とある通り、農業一筋の生活から迸り出てくる歌群が大半を占め、地に立ち苦難の道を歩む一人の男の人生行路をつんざく咆哮がどの歌からも聞こえてくる。帯に掲載されている代表歌五首を挙げる

 猿の長吼えてをらむかひもじさに有明山に日の暮るるころ
 雪風巻くかなたときをり顔を出す孤影は冥し常念岳の
 いつみてもいつもおほらか安曇野は心のふる里母なる大地
 幾世代農に生きたる証とし馬頭観音在しますここに
 この命枯れても思ふ八月は知覧の空と 原爆雲と

最後の歌のように先の大戦を偲ぶ歌も多く、戦争の災禍に思いを馳せる心情の激しさを痛切に感じる。さらに付け加えて何首か紹介しよう。

 エンジンをかけてハンドル握るなり軽トラックに夕日を載せて
 縄文の埴輪は闇を食ひ足らひ小さき唇もつを愛しむ
 一本の稲穂かざして見る様に縄文人の血潮たぎり来
 落胤の祖の嘆きを風に聴く心乱れて雨にぬれても
 安曇野の石仏の胸には天明の飢ゑの記録の刻まれてあり
 安曇野は常念岳の屹つところ老いて吾が持つ杖突くところ
 安曇野の裔なる中のいちにんで信濃訛りの毒すこしもつ
 昭和とはさすらひの船いつまでも流されながら兵の声する
 亡父がゐておほ祖もゐて 馬もゐて俺の安曇野まだ大丈夫
 飲食はホモサピエンスのはかなごと原発の電気たよる暮しに

歌人・青柳幸秀の苦吟と至情をじっくり味わっていただきたい。
(池田康)

追記
この歌集が5月23日の市民タイムス(安曇野市)、6月14日の信濃毎日新聞で紹介されました。ぜひご覧下さい。
posted by 洪水HQ at 11:42| Comment(0) | 日記

2019年05月06日

連休中のあれこれ

この連休はどこへ出かけるでもなくなんとなく過ごした。主な体験としては、「E.T.」を映画館で見たこと(午前十時の映画祭、スピルバーグの映画作りのうまさに感服)、真藤順杖『宝島』(講談社、沖縄人ではなくてよくこんな小説を書けるもの)を読んだこと、など。とある調査の筋で昔のテレビドラマを見るということもしていた。それから山本萠『こたつの上の水滴』(コールサック社)をぼつぼつ読んでいる。萠庵骨董雑記、のサブタイトルがついている。焼き物との無言の対話、その研ぎ澄まされた静けさが魅力的。
「自意識や美意識が見え隠れする器は、人間国宝と呼ばれる人の創ったものであってもわたしには不要である。
美そのものと対話するために、人間の〈意識〉からあらん限りの遠いもの、意識を、無意識にして超えたもの、あるいは、創り手の己を空しくして、〈神〉に捧げたてまつるもの、そして、〈用〉に徹するもの、であってほしい。
器におけるそれらの認識は、例えば一個の猪口を目にしたとき、あるいは手に受けたとき、一瞬の内に感得される。単純に、あまりに単純に、美か否か、という感覚として。」(「夏の坏」より)
まだ読んでいる途中だが、濁世から救い出してくれる厳しさと爽やかさがありがたい。
(池田康)
posted by 洪水HQ at 11:27| Comment(0) | 日記