2019年06月27日

江田浩司『重吉』など

「みらいらん」に連載で書いてもらっている江田浩司さんが詩歌集『重吉』(現代短歌社)を出した。詩人・八木重吉を思慕した短歌作品がメインになっている。こんなふうな短歌の詠み方もあるのかと意表を突かれる。重吉の詩の姿勢を敬慕するところすこし信仰に似ている気味があり、宗教的短歌があるとしたらこのような感じのものになるのかもしれないとも思った。そんななかでもユニークな境地の希有さを示す作品もあり、たとえば、
 ひるさがりはやしにひかるみづの翳しんじつをいふ歌よ地にあれ
 「死にました」とたよりをもらふ秋でした もくせいの香がきこえるゆふべ
 「すこし死ねば/すこしうつくしい」としるされし詩篇にぬらす聖書の雨は
 ことの葉があきのひとみにうごくころ死ねないふしんをうたふ人がゐる
 いろづいたこみちをゆけば名をよばれうすやみに見ゆ手のやうなもの
など、とても不可思議なかんじがする世界の開き方だ。
ついでに、もう一冊。松岡正剛『少年の憂鬱』(角川ソフィア文庫)はブックナビゲーションサイト“千夜千冊”からこのテーマにそったものを集めたコレクションで、前口上に、「少年はこの世で一番わかりにくい哲学だ。/ピュアな存在のようでいて、遊べば孤独になるし、/一人になれば、妄想に耽って悪だくみばかりを考える。/いつも友を求め、オトナの魂胆を見抜いて、/誰と「ぐる」になればいいのか、こっそり決めている。/そんな少年の憂鬱な浪漫がたまらない。」とある。こんな問題意識でアンソロジーを思考する人はほかにまずいないだろう。まだ半分ほどしか読んでないが、子供の心世界をあつかった諸作品の読み解き・分析にはめざましいものがある。
二冊とも非常につかまえ難い心性の相をつかまえようとしている。
(池田康)
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2019年06月20日

虚の筏23号

「みらいらん」次号はなんとか編集が終わり、印刷所に入れた。来月上旬完成予定。お待ち下さい。
さて、「虚の筏」23号ができた。今回の参加者は、二条千河、神泉薫、伊武トーマ、たなかあきみつ、久野雅幸、海埜今日子、平井達也のみなさん、そして小生の8名。オブジェ画像は「飴玉コレクション」。下記のリンクよりご覧下さい。

さてさて朝顔栽培の続報。二つめの鉢に前回とは別の種を三粒まいたら、二つ発芽した。なんともよろこばしい。芽が双葉として出現するのは硬い種の殻を裂くための手力なのだろうと今回思い至った。
(池田康)
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2019年06月11日

朝顔の芽のことなど

みらいらん次号の編集も大詰めで、トントン拍子にいけば数日のうちに印刷にかけられそうなところまで来た。とは言ってもなかなかそううまくトントン拍子にはいかないものだが。
さて最近の見聞を列記すると……。映画「海獣の子供」(渡辺歩監督、五十嵐大介原作)を観る。原作は読んでいたが、動く琉花ちゃん(主人公の少女)に会えたのが嬉しい。
また十日以上前のことになるが、平野晴子さん一行の鎌倉旅行に一部同行させていただき、葉山の神奈川県立近代美術館でポーランドのポスター展を観た。絵柄や図案が大胆で、予想を超えて面白かった。
それから更に前になるが、みらいらん次号の田村隆一特集の軸となる吉増剛造・城戸朱理両氏の対談をやはり鎌倉で行った。夏のような明るい日だった。偉大な詩人を深々と追慕し、たえず新しい方角をさぐり淀みなく流れる議論に聴き入る(ご期待下さい)。そのときに見た鎌倉文学館の薔薇園もみごとだった。
さらに遡ってここ数ヶ月というスパンになるが、みらいらん前号の〈深海を釣る〉で書いた興味のつづきで、過去のテレビドラマをいくつも観た。その中で心に残った言葉を一つ。「ブラックボード」第一夜(2012、井上由美子脚本)で戦後再び教壇に立った主人公の教師(櫻井翔演じる)が言う、「未来をうばうものに正義などない」。名言。
最後に。これはここ数日のことだが、ベランダにおいた鉢から朝顔が発芽した。めでたい。土の中から小さな緑の頭をもたげる芽に感動する。しかし発芽率75%以上の能書きの種を6粒蒔いて一つしか発芽しないというのは、確率とか統計学ってなんなのだろう。
(池田康)
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2019年06月04日

安藤元雄さんの講演

日曜月曜とかなりハードな日程だった。2日の日曜日には現代詩人会の「詩祭」が市ヶ谷であり、現代詩人賞やH氏賞などの授賞式などが行われるとともに、第二部で安藤元雄さんの講演があり、「みらいらん」次号で『安藤元雄詩集集成』をめぐっての対談(野村喜和夫・福田拓也両氏による)を載せることもあり、聴きに行った。
読み人知らずの「起きて見つ寝て見つ蚊帳の広さかな」「蜻蛉つり今日はどこまで行ったやら」といった句が加賀の千代女に仮託されている、詩歌とはどういう存在なのかという話から入り、ネルヴァルの「シダリーズ」では翻訳の工夫のしどころやいかに意味の重層性やエコーを読み解いていくかといったことが語られ、ボードレールの「あほうどり」においては一般大衆に対して詩人は強者ではなく弱者と化しているという重要な機微が指摘され、シュペルヴィエルの「秘められた海」では詩で結論を出さないことの大事さが教示される。また同級生だったという、先ごろ亡くなった映画監督の降旗康男の仕事に触れて、つねに弱者の側に立てという信念が語られた。詩人の心の烈しさが伝わってくる一時間だった。翌日の月曜日には愛知県で伯母の葬儀があり、気ぜわしく、私としては例外的な早起きをしなければならないこともあり、早々に会場を後にした。
(池田康)
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