2019年07月25日

映画「新聞記者」など

望月苑巳さんが「みらいらん」4号で紹介していた映画「新聞記者」(藤井道人監督)を観た。国家権力の暗部を暴くという本格的な社会派作品であるのに、非常に抒情味あふれていて驚く。主人公の女性記者のキャスティング(シム・ウンギョン)がみごと。切れるのか、不器用なのかよくわからないジャーナリストの姿が妙に生々しく、このちぐはぐさがもたらす割り切れない現実味が作品を図式的理解の平面から拳一つ分ほど持ち上げているように思われる。国家権力なるものの底知れない不気味さ恐ろしさが徐々にあらわになり、真綿で首を締めてくるような、顔のない手が虫を弄ぶようなその感触、地震やゴジラよりも怖いかも。
ついでに。
「びーぐる」44号散文詩特集のアンケートに寄稿したが、雑誌が完成したようだ、ご覧下さい。
(池田康)
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2019年07月16日

曲の架橋

ある曲が別の(昔の)曲を呼び出し参照することで特別な意味やより大きな歌世界を獲得する、そんなリンク、あるいはブリッジが架かることがある。大正時代の「船頭小唄」をもとにして「昭和枯れすすき」(さくらと一郎)があることはよく知られているし、民謡を本歌取りの種にしている流行歌もたくさんある。サザンオールスターズの「勝手にシンドバッド」も「勝手にしやがれ」(沢田研二)と「渚のシンドバッド」(ピンク・レディ)を踏まえているとされている。キャンディーズの引退曲「微笑がえし」はこのグループの過去の代表曲からの“引用の織物”を試みていて感慨を大きくしていた。小田和正の「秋の気配」と「たしかなこと」も続編の関係だと小田自身がいつだったか語っていた(愛情の生理の春夏秋冬)。さだまさしの「関白宣言」には内容をまったく逆転させた続編があり、時代の変遷を暗示する異色の姉妹曲関係になっている。
渡辺美里の「シャララ」は近ごろ格別のhappinessを感じるようになった。前段のしゃべり歌いの部分の綱渡りの緊張感がよろしく、児童合唱団が加わっていることも効果大だが、「見上げてごらん」の詞の部分で坂本九がうたった名曲「見上げてごらん夜の星を」に直結する感じがあり、星空を媒として歌世界が遠く広がる(作曲者の岡村靖幸のセルフカバーも聴いてみたい)。
さてボブ・ディランの「風に吹かれて(Blowing in the Wind)」は、フォークの古曲「ドナ・ドナ(Dona Dona)」につなげて聴けるのではないかと最近考えている。両曲はこの世の理不尽の根源的疑問に対する「reason」「answer」を求める心、そして「風(wind)」でつながる。「ドナ・ドナ」は屠殺される可哀想な仔牛の歌として広く理解されているのかもしれないが、少し距離をとって、寓話的構図を描いてみせた歌としてとらえるのがよいのではないかと思う。仔牛とは現世の苦境や桎梏に囚われている我々であり、苦役・隷属・虐待・犠牲の普遍的符牒である。それをどう乗り越えるのか。お前は仔牛でいなければならない理由はなにもない、空飛ぶ燕のように翼を持って自由になればよいではないか、と歌は語る。「燕のように飛べるようになった者は自由を宝のように大切にする」。
「ドナ」とは英語の発音感覚で推し量れば「don't」だろうか。「Don't kill me」ということか。
「ドナ・ドナ」と架橋して「風に吹かれて」を聴くならば、世界の理不尽を問う幾多の疑問に対する「answer」とは、「blowing the wind」つまり燕になれ、飛ぶことを覚えろ、風の笑いを笑え、現世の重い桎梏から自由になる翼を持て、ということになるだろう。単純に「翼を」と言っても状況によってなすべき行動は様々変わってくるだろうが、そこは一切省いて自由の希求という理念だけ強く打ち出す。
もちろんこの架橋を絶対的なものとして確定してしまうと詩の韻きの広がりがなくなってしまうからあくまで一つの可能性として考える方がよいだろうが、60年代の思想詩の本質的洞察を示し重い問題意識を樹立する無視できない「幻影の橋」のように思われる。
(池田康)
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2019年07月09日

みらいらん4号

milyren4.jpg「みらいらん」4号が完成した。目次詳細は下記リンクよりご確認いただきたい。
特集・田村隆一は城戸朱理さんの発案で動き出した。結果的にこの特集が充実した形でまとまったことの大部分は城戸さんのおかげである。吉増剛造さんを迎えての鎌倉での対談は思い出深い。内容の濃さはぜひ読んで確かめていただきたいと思うが、私個人としては鎌倉駅前の待ち合わせのとき早く着き過ぎて二十分ほど吉増さんと立ち話をしていたことが思い出に残っている。鎌倉文学館も建物だけでなく庭園も含めてすばらしい場所だった。この特集にご寄稿下さった、新倉俊一、八木忠栄、山内功一郎、田野倉康一、和合亮一、中原秀雪、石田瑞穂、神泉薫、広瀬大志の皆さんにも感謝申し上げたい。
対話の宴「『安藤元雄詩集集成』をめぐって」は今年1月に水声社から刊行されたこの大冊をベースに詩人安藤元雄の詩の世界を野村喜和夫・福田拓也の両氏が議論する。安藤元雄さんは「洪水」誌で計4回ご登場いただいていて大変お世話になっているが、その出発点となったのが、9号での野村喜和夫さんに聞き手になってもらっての安藤元雄さんへのインタビューだった。その7年に及ぶ縁の集大成となったと言える。今回のために万全の準備をして下さった福田拓也さんにも感謝を述べたい。安藤さんご本人の言葉を最後の部分で収録できたのも貴重。
インタビュー〈手に宿る思想〉、今回はフリージャーナリストの古居みずえさんにお話をうかがった。パレスチナの取材を長年のメインテーマにし、東日本大震災以降は福島の飯舘村の取材も継続して行っておられる。三本のドキュメンタリー映画を制作し、著作も多い。フリージャーナリストの仕事とはどんなものかをたっぷりとうかがった。このインタビューでひりひりする「外の空気」を感じていただければ幸いだ。
今号は戦争を大テーマにしてまとめており、特集、対話の宴、インタビューでそれぞれつながってくるものがあると思う。
ほかに、河津聖恵さんの連載詩「神々の檻」が今号から始まる(3回の予定)。音楽家Ayuoさんの連載「言葉と音の間に」も今号から開始。ぜひ注目していただきたい。
表紙の下の方の骨格はパレオパラドキシアと呼ばれる古生代の生き物で、恐竜ではなく哺乳類である。ちょっと調べてみていただけると幸甚だ。表紙後側の卵型の作品(白薔薇の…)は小野原教子さんの作。
(池田康)

追記・書けなかったこと
今回「深海を釣る」の頁で、志田未来作品を中心に多くのテレビドラマを論じているが、視聴する時期が遅くなり言及できなかったものの中に「サプリ」(2006)がある。「浅い男」である父親(佐藤浩市)を「深い男」になるよう教育しようとする小学生なつきを志田が演じていて、小憎らしくいじらしい。父子の関係性が愉快。主人公達の恋愛劇はやや食傷するが。
それから田村隆一特集の最後の「特集おぼえがき」でいろいろ書いたが、一つ書き忘れたことがある。田村隆一の作品で印象に残っている詩があって、しかし見つからず書き入れることができなかった。今回、田村の既刊詩集をすべて読むだけは読もうと努めたが、読む順序もあり、最後の最後まで出てこなかった。「三級ウイスキーを飲みながら」という作品だ(詩集『灰色のノート』所収)。

 三浦半島の最先端
 岩場にひっそりと立っている
 相模亭食堂
 その小さな食堂には大きな薬缶から
 たえず湯気がふきだしていて
 イカ ハマグリ サザエは炭焼き
 古風なガラス窓からは相模の海が一面にひろがり
 燃える夕陽が伊豆半島の天城めがけて落ちて行く

 人間の心も燃えるものなら
 晩秋初冬の世界の中心にむかって落ちて行け
 人間の悲惨は悪魔の至福
 その両極に神の快楽があるならば

 海鵜の舞う断崖まで三級ウイスキーを飲みながら
 歩いて行くがいい

これはどこかの媒体に発表されたのをリアルタイムで読んで、ああこういう詩を書く詩人なのかと深く納得した覚えがある、懐かしい詩。田村隆一のキャリア全体の中に置いて、とくにどうということもないのかもしれないが。
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2019年07月03日

みらいらん4号完成ほか

「みらいらん」4号が完成した。無事に、と言えるかどうかはまだ確信がないが。今日明日明後日、納品やら発送やらの作業に忙しい。とりあえず報告まで。この号についての詳しい紹介はまた後日行いたい。
ついでに最近の見聞の覚書を少々。
福間健二氏の講演を聞いた(横浜詩人会現代詩セミナー)。詩と、“普通”であることとのかかわり、詩の歴史の中での“分岐”のこと、など。考えにくい部分を見つめようとする真摯な思考を感じた。
ギュスターヴ・モロー展を見る(パナソニック汐留美術館)。行列に30分並ぶという滅多にやらないことをするはめになった。人気があるのだ。一角獣の絵など。
くらもちふさこ『天然コケッコー』を一年がかりで読了。去年映画版を見てから、原作を読み始めたのだが、5巻あたりで一度挫折して放り出していた。9巻はさすがに長い。しかし地方の暮らしの細部(とりわけ方言)、女の子たちの姿の生々しさ、などにより特別に意義のある作品になっていると思われる。
(池田康)
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