2020年02月09日

アイヴズという作曲家

昨日東京オペラシティ・リサイタルホールで、ROSCO(ピアノ:大須賀かおり/ヴァイオリン:甲斐史子)の演奏により、チャールズ・アイヴズのヴァイオリンとピアノのためのソナタ四曲のコンサートがあった。演奏前に、夏田昌和・米山高生両氏による丁寧な解説がついた。
アイヴズは19世紀から20世紀にかけて生きたアメリカの作曲家で、アメリカでの現代音楽の草分けとも言えるのだろうが、ジョン・ケージやミニマル音楽のような類の破天荒の前衛とも、ガーシュインやバーンスタインのような商業音楽に接続した形の音楽創造とも違う独自の孤立を示しているようで、保険業をいとなみながら寸暇を使って作曲するという創作のやり方からも、密室状態の実験室で自分だけの音楽を培養したのだろうと想像される。
コンサート前半はソナタ第1番と第2番の2曲。解説ではナントカ調とか調性音楽的ワードも使われていたが、作品名には何調かの付記もないし、聴いていると調性音楽的なカタルシスの効果が弱く、無調音楽のようにも思えてくるのだが、しかし無調音楽としてもどこかとりとめなくて、受け取りの難しさがある。暴れ回る獣を取り押さえるのが難しいような、創造の制御がきかないままのエネルギーの噴出。どういう音楽を作りたいのか五里霧中という事情もあったのだろうか、新しいことに挑む試行錯誤の混乱が感じられる。これら2曲の作曲時期は1902〜1910年とされていて、シェーンベルクの音楽探求の影響を受けていたかどうかも気になるところで、この時期の音楽史上の思想的カオスをこの曲たちは留めて証言していると言えるのかもしれない。
コンサート後半に演奏された第3番と第4番は、前半の2曲と比べて、すっきりとまとまっていて、〈形〉があり、流れや構成にも絞り切った意図が感じられ、聴きやすく、真摯な音楽がここにあるという感銘もあった。この2曲は作曲時期が1914年ないし1915年まで及んでいて、そのことと関係があるのかもしれない(もう第一次世界大戦が始まっている年だが)。この作曲家は讃美歌を引用することをよくやるようで、とくに第4番の第2楽章と第3楽章ではあからさまに実行されていることが解説で示された。第2楽章は非常に美しい形でそれがなされていて感心したが、第3楽章の引用は少々雑で、アイヴズ先生、作り直して下さいよと苦情を寄せたくなる。
現代音楽のコンサートにしては珍しく超満員の状態。演奏はもちろん立派(後ろの方の席で聴きづらい部分もあったが)。こういうチクルス的な演奏会は(研究会ぽくて)重たい雰囲気になるようで、いつもは衣裳の色調も楽しく工夫するROSCOもこの日は最後の曲以外は黒で統一していた。
(池田康)
posted by 洪水HQ at 16:34| Comment(0) | 日記