2020年05月26日

食べ物の話、SFから地産まで

緊急事態宣言が解かれて、一息つくような気持ちのゆるみ加減がなにやら心地良い。
一番緊張感が高まっていたころ、心配して下さったある方から食料の支援をいただいた。届いた箱にはレトルトカレーから生の野菜までいろいろ入っていたが、その中にインスタントの味噌汁もあり、個包装をあけるとおもちゃの煉瓦のような茶色の固形物が入っており、これをお椀に入れ、湯を注ぐとたちまち広がって溶けて味噌汁になる。卵スープなどではこういう形のドライ加工の即席食品を経験していたが、近頃は味噌汁もこれになったんだと一通り感心したあと、「しじみ味噌汁」というのを試してみてびっくり。本物の貝殻に入ったシジミが十個ほども出現した。あらあら、あの固形物のなかにこいつらが入っていたのかと、おったまげる。とうとう味噌汁までSF化する時代なのだ。
食べ物と言えば、最近感心したものに茨城産の野菜がある。某日、ほうれん草を買って食べてみたら味がしっかりしていて非常においしいので、どこの産かと見直すと、茨城産とあった。ピーマンについては、近年この野菜は彩りのほかに食材としてどんな存在意義があるのだろうと疑わしく思っていたが、茨城産のピーマンを食べてみると、非常に味が濃くて、むかし子どもの頃感じたような「ピーマンの味」がして、嬉しいことだった。土とか風土とか栽培法とか、なにか違いがあるのか。果物や米と違って、野菜はブランドものが少ないように思うが、「茨城野菜」は私のなかでは一つのブランドとなりつつある。
一方これはブランドにはなり得ないが、スーパーマーケットには近隣の農家が栽培する少々ぶかっこうな野菜を置いたコーナーがあり、トマトや胡瓜を買うときなどよく利用する。商品という感じがしない不揃いな形状と利幅とか考えてないようないかにも率直な安さに、細かいことは気にしない、近所付き合いのような親近感を覚えるのだ。
ベランダで冬から育てていた空豆が実をつけた。一株につき一粒という貧しさ。植木鉢では限界があるのか。病気になったものや小さいままのものもあり、まともに食べることができたのは、一粒だけ。残念というべきか、めでたいというべきか。
(池田康)
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2020年05月22日

『八重洋一郎を辿る』の書評3

「図書新聞」3449号(2020年5月30日号)に、鹿野政直著『八重洋一郎を辿る』の書評が出た。評者は葛綿正一氏。これだけ周到な紹介・批評はなかなかないのではないか。とくに終盤、「かくして、詩人論は思想史研究において危険な位置を占めるといえる。詩の言葉は「毒」となってしまう可能性が残るからである」以降の部分、「衝く」という言葉をめぐっての考察は深く鋭く、心に刻まれる。是非ご覧いただきたい。
なお、同号には詩歌関係では原成吉著『アメリカ現代詩入門』の書評もある。
(池田康)
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2020年05月06日

マリス・ヤンソンス

ここ三日ほど、寸暇を活用して、録ったまま未整理だったMDを調べ直して整理していた。現在の住所はラジオの電波がいまいちきれいに入らないのでやめてしまったが別の土地で暮らしていた頃はよくFM番組をエアチェックしていたのだ。作業をしながら、シューマンの交響曲を聴きたくなり、4曲をでたらめな順番で聴いていたのだが、最後に追加でかけた彼のピアノ協奏曲の次に、ベートーヴェンの交響曲第7番が録音されていて、ついでに聴いた(ライブだが演奏日不明)。力強い、非常に説得力のある演奏で、心動かされ、演奏者の名前を見たら、バイエルン放送交響楽団で指揮者はマリス・ヤンソンスとなっていた。この名前、最近ニュースで聞いたような気がして、ネットで検索したら、昨年11月死去と出ていた。一流の指揮者と目されていることは知っていたが、ひょっとしたら本当に素晴らしい才能なのかもと思い、この人の演奏を録ったMDがほかにあるか調べてみると、三つほど出てきたのでそれらも聴いてみた。
まず、シベリウスの交響曲1番とブラームスの交響曲1番、これはウィーン・フィルの演奏で、2005年3月6日にウィーンから国際生放送されたもの(NHKFM)。それからブラームスのヴァイオリン協奏曲(Vn:ジュリアン・ラクリン)と交響曲3番、R.シュトラウスの交響詩「ティル・オイゲンシュピーゲルの愉快ないたずら」。これはロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の演奏で、2008年11月12日NHKホールにて(NHK音楽祭2008)。さらにマーラーの交響曲5番、これはバイエルン放送交響楽団の演奏(2006年3月10日、ミュンヘン)。
ライブ演奏だからより強く印象づけられるのかもしれない。ヤンソンスの指揮は、すべての音やフレーズを「科白」のように立て、楽想の流れの理を繊細に見きわめ活かしながら劇的に音楽の世界を作っていくところ、ちょっとオペラのような趣きがあり、それが魅力と説得力になってくるようだ。丁寧で、緻密で、聞き逃さず、弾き流さない。神経をともなった卓抜な展開力で、何度も聴いたはずの曲がとても面白く聴ける。楽譜の音を実際の歌声にするために、ヤンソンスは「必要な人」だった、と言えそうだ。
略歴を見ると、1943年ラトヴィア生まれ。この小国はバルト海に面したバルト三国の一つで、リトアニアとエストニアにはさまれ、ロシアにも隣接している。カラヤンとムラヴィンスキーに師事したとあるから本流の人のようだ。私の所有するCDでは、五嶋みどりのメンデルスゾーンとブルッフのヴァイオリン協奏曲の演奏でベルリン・フィルとともに共演している(ライブ録音)。ただしこれは、ヤンソンスが晩年率いることになる二つの名門オケ、バイエルン放送交響楽団とロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の指揮者に就任する以前の録音。逆に貴重か。
生前この指揮者に特別の思い入れはなかったからこの一文は追悼文という種類のものではないが、今後はこの人の残した演奏は意識して聴くことになりそうだ。
(池田康)
posted by 洪水HQ at 22:06| Comment(0) | 日記