2021年02月22日

詩素10号記念投稿詩募集について、ふたたび

詩誌「詩素」10号記念投稿詩募集の応募締切が迫っていますので、あらためて告知したいと思います。次のような形での募集となりますので、すべての意ある皆様はぜひ大胆に詩嚢の紐をほどいてご応募下さいますよう。お待ちしております。
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詩素10号記念・投稿詩募集

本誌が10号に達することを記念して、若い世代の詩人を対象に、詩作品の投稿を募集します。要項は下記の通りです。清新な作品の到来を期待します。

〈応募資格〉
40歳以下(締切日を基準として)

〈応募作品規定〉
一人一作。本文40行まで(空行含めて)。一行の字数は40字まで。

〈締切〉
2021年2月28日(日)

〈応募先〉
下記のメールアドレスにメールにて応募のこと。

siso-obo■kozui.net
(■にはアトマークを入れて下さい)

作品原稿はメールに直接書き込むか、テキストファイルあるいはワードファイルを添付する(一太郎は不可)。
氏名、郵便番号、住所、年齢を明記のこと。
郵送・ファックスは不可。

〈賞〉
最優秀賞=1篇、優秀賞=2篇
選ばれた作品は、詩素10号に掲載される。粗品進呈。

〈選考委員〉
南原充士(委員長)・海埜今日子・冨上芳秀・野田新五・南川優子

〈発表〉
詩素10号誌上

★「詩素」については、
をご覧下さい。
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2021年02月17日

八重洋一郎詩集『銀河洪水』

八重洋一郎さんの新しい詩集『銀河洪水』が洪水企画から刊行された。A5判並製、96ページ。本体1800円+税。
八重氏は昨年詩集『血債の言葉は何度でも甦る』を出したばかりであり、ここにきての意力と創造力の漲りに目を見張らされる。以下、帯文。

爆発。私は核爆発のように自らの存在の『核』に触れ、自爆したかった。そして一切をわが身もろともふきとばしたかった。(「ある序文」より)
詩人のリズムが生の謎を解こうとする、その戦慄が根源的抒情の氾濫を導く。

あとがきでは次のように語られる。

コロナウイルスが跳梁し、ついにWHO(世界保健機関)がパンデミック(世界的流行)を宣言する事態となった。その不安の中で日々を過ごしていたが、ある時、ふと「メメント・モリ(死を銘記せよ)」という言葉が頭に浮かび、日が経つにつれて、それが重く伸しかかってきた。
私はこれまで歴史や思想や文学などについて非力ながらも自分の考えを詩の形で発表してきたが、「メメント・モリ」というこの言葉はこれまでの一切を総点検せよと迫ってきたのである。

「総点検」という言葉の通り、氏の社会思想と地誌と人生論と宇宙論と詩論とが渾然一体となった集大成的な詩集となっている。過去の詩業から余韻をとりこんでいる点もその印象を強くする。「豊饒」「まゆんがなす」などのその土地独特の生活の色彩が神々しい詩篇はことに重みがある。「浄夜」の最後の部分を引用紹介したい。

 漆黒深い闇の
 森
 うすよごれ ギリギリにやつれはてた骨と皮
 風は破られ
 すべてを棄ててこもり身の祈る人の魂は
 蝶となって森の上を
 ただよい浮かび その
 羽根は
 天降りくる「言葉」によって光の星座がやきつけられる
 いのりとは?
 ことばとは?
 ひかりとは?
 「わからない」
 もぬけのからとなった人はたおれ
 蝶は森じゅうひらひらとんで
 (すべての星はすべての星と七宝飾りにつながって)
 闇をぬい ひらひらひらひら とぶ
 たびに
 蝶の羽根から ひとすじ ふたすじすじをひき
 星々が 分厚い
 りんぷんとなって
 こぼれふる
 しげりあう枝々ひかり したくさひかり 土さえひかり

 やがて
 森は
 銀河洪水

(池田康)
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2021年02月14日

『八重洋一郎を辿る』読売新聞の書評欄に

本日の読売新聞の書評欄で鹿野政直著『八重洋一郎を辿る』(洪水企画)が紹介されたので、ぜひご覧いただきたい。評者は、大原哲夫氏。シーサーにはさまれた本の写真の下に「歴史の重圧に踏みにじられ、さいなまれ続けた者にとって「生」とはなんであったか。石垣島に生まれた詩人の魂に触れる。地球より重い一冊。」との言葉がある。
鹿野氏の専門は日本近現代思想史。歴史研究ではあるが、特段の意図をもって思想を研究するという点で通常の歴史学とは違っているようで、いかなる考えと価値意識と戦略がそこに動いているかを調べながら歴史の推移を分析するところに氏の特異性が出てくる。思想とは、ある正義(価値観)を組み上げる建築術であり、けっして絵に描いた餅ではなく、思想が最大限に発動するとき社会全体の人間の生活が根底から左右される。従って思想史研究は常に危険区域に足を踏み入れ、ときには大変な修羅場に身を置くことにもなる営為なのだ。強者の思想は弱者をものの数ではない存在として虐げる。いい加減な国策思想は国をあらぬ方向へ導き座礁破綻させる。イデオロギーが無辜の脳を焼く。マジョリティの無自覚な〈普通〉なる思想は少数者を圧迫する。支配者の強引な思想には、民衆は奇想天外のゲリラ的思想をもって搦め手から立ち向わねばならないときもある。正義の建築術としての思想のさまざまな諸相、法的正しさの名の下に生起する有象無象の理不尽が、たとえば氏の『沖縄の戦後思想を考える』(岩波現代文庫)などを読んでいると判然と見えてきて、戦慄しため息をつく仕儀となる。
そして鹿野氏は思想の生々しい発露を文学作品に認めることが多く、この『八重洋一郎を辿る』はその追跡が思いの外の遠路となり一冊の本に実ったものだ。
posted by 洪水HQ at 09:05| Comment(0) | 日記