
泉さんは長野県飯田市に在住で、1938年生まれの83歳。戦争をくぐり、持病の心臓病を克服し、長年保育士の仕事をつづけてきた、その生涯を彩り、つぶさに語る歌たちは、真情に貫かれている。
帯の文は、泉さんも所属するぱにあ短歌会の代表秋元千惠子さんによる:
「戦時を生き抜いた厳しくも優しい父母との確かな家族の絆が心に沁みる歌集である。伊那谷、天竜川の風土に磨かれた詩情は、二十歳で斎藤史の強靭な精神と自在な作風に出会って独自の開花を遂げている。若くして病いの死線を越え、子を成してからも、三十八年間保育士を勤め、夫君を老老介護、看取りも終えた。人生の苦を全て前向きに歌い続ける八十代の快挙。この『風の音』は、国の礎となった後期高齢者の心の力にもなる。」
帯の裏側に載せられている代表歌五首は:
雑沓を知らぬ大きな翼なり草原わたるコンドルの唄
仄青き山脈の裳裾霧白くたなびく辺り天龍の川
見るほどに愛し尊し書き置きの文字ふるえたる「ありがとう」は
ふきを煮る香りただよい涙あふる「いいにおいだ」と言いし夫はも
色も香も姿さえなき風なれど百歌を唄う千歌を歌う
三首目、四首目は、逝去した伴侶への挽歌。
上の五首には入ってないが、戦後生まれの読者にとっては、著者の子ども時代の、戦争時の歌が印象深いので、少し紹介する。
ゲートルと言うをはじめて巻く父の手元をかの夏見つめておりき
ゲートルを何故に巻くのかと問うわれに母は答えき「忙しいからよ」
ゲートルを巻き自転車を漕ぎて行く父を見送りきエプロンの母と
桑の皮を何にするのかと母に問う 軍服にするらしいと聞きておどろく
薩摩芋ならいいのにと思えども芋はないのだ 戦地行きか
庭先に正座で玉音放送を待ちき八月十五日 暑かりき
農良着の男ら寄り合う中ほどよりふわふわと聞えし玉音放送
地に伏せる男ら声を押しころし泣くを見つめし六歳の夏
敗戦を告げられしあの日大人らの神妙なるが訝かしかりき
駅前の柳の元を忘れない片足で立ちつくす傷病兵と募金箱
80年を越える波乱にみちた生涯をうたった短歌作品を一冊にまとめたもので、その重量感は相当なもの。斎藤史ゆずりの破調もところどころ現われてアクセントになっている。装丁も著者の手による。
(池田康)