2021年05月25日

『風の音』の記事

弊社刊の泉遥歌集『風の音』が先日、南信州新聞で紹介された。読者からも反響があったようで、著者の泉さんも喜んでおられたのだが、その記事コピーを見せてもらうと、詩歌の作品集が新聞などで批評・紹介される記事としてはあまり見られないくらいに理解深く丁寧に細心に寄り添っていて、これなら読者の心にも素直に響くだろうと感心した次第。下記リンクからご覧いただきたい。
http://www.kozui.net/image/20210509minamishinshu.jpg

(池田康)
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2021年05月13日

映画「タクシー運転手」から考える

数年前にかなり評判になっていた韓国映画「タクシー運転手〜約束は海を越えて〜」(チャン・フン監督、2017)が先日テレビで放映されていたので、見た。1980年の光州事件を扱った作品。軍隊が学生など民衆を武力弾圧するシーン、流血と蹂躙が生々しくて恐ろしい。現在のミャンマー情勢ともダブってきて、さらに重苦しい気分になる。
水野邦彦著『韓国の社会はいかに形成されたか』(日本経済評論社、2019/水野氏はかつての学友で、この一冊は彼がめぐんでくれたもの)の光州事件を解説した章にはこうある。

「朴正煕が暗殺されたのが一九七九年一〇月二六日、その後一二月一二日にクーデターによって実権をにぎった全斗煥を中心とする陸軍士官学校一一期の軍人たちは、軍部のみならず社会の全分野を掌握した。軍部は兵営復帰の意思を表明しながらもクーデターののち翌一九八〇年五月はじめまで影響力を増大させていった。一九八〇年四月一四日には全斗煥が中央情報部長まで兼任することが公にされ、これで全斗煥が政治的野望をもっていること、軍部が強硬に権力掌握をくわだてるであろうことは、だれの目にもあきらかになった。軍部によって占拠された政権における再度の非常事態発生を憂慮した民衆勢力は、朴正煕暗殺以来しかれていた戒厳令の解除のために組織的な活動をすすめた。」

このような成りゆきの中で、首都ソウルでの衝突は回避されたのに対し、光州においてとりわけ緊張は高まり、5月18日〜27日、大規模な衝突の流血沙汰となった、ということだ。この本の知見を踏まえると、この映画が事実に基づきながらも、フィクション作品であり、話を最大限にわかりやすく感動的にするために、描かなかったり手を加えたりしている部分があることにも気づく。たとえば民衆はけっして徒手空拳ではなかったのだし、主人公の運転手がのんきに不思議そうに光州を見ているのもクーデターで全国が戒厳令下にあった状況でそんな訳はないだろうと思われるし、米国の動向も省かれている。細部ではそうした気になる点が出てくるのだが、大まかなところではどんなひどいことが起こったか、スクリーンの上で再現してみせてくれるので、「韓国社会に決定的刻印を残した」と言われる光州事件を直に目の当たりにするような思いになり、粛然とする。ここからいくらかでも良い方向に向かい立て直すのに、韓国は80年代いっぱい、つまり十年かかったもののようだ。それとも十年で回復できたのは幸運というべきなのだろうか……。
「詩素」10号巻末の雑文コーナー「端切れヴゅう」に、統治論と法秩序のことについて短い文を書いたが、その続きのような形で、きわめて原理的な次元で考えるなら、法秩序と独裁者とはしばしば敵対的であり、決していい関係にはない。一般市民レベルでは、法の番人がそれなりに仕事をしていれば法秩序は公正と治安のために力をもつのだが、権力の上部に行けば行くほど法秩序のメルトダウンの危険が現実化してくる。独裁者とは、立法と行政と司法の全部門の手綱を握っている自分は法秩序をねじ曲げることも都合のいい法を作り発効させることもできる、殺人も強奪も易々と合法的に行う権限があると考えている人間だ。マーシャル・ローをふりかざす軍政をふくむ独裁政権は結局はそういうところまで行くだろう。そこまで行かなくても、良識を持ってはいても、最高権力者というものは法をないがしろにし政を恣にしたいという誘惑にもっとも近接したところにいる存在であり、その誘惑から距離を置くのは簡単ではない。そして最高権力者が法秩序やルールをないがしろにする素振りや気配を見せると、全国民はそれを鋭敏に感じ取り、その国あるいは共同体は重苦しい空気に包まれる。
1980年5月の光州のような場所へは実は案外あっけなく行ってしまうのかもしれないと思うと、揺れていない地面がいまにも揺れ動きそうに見えてくる。
(池田康)
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2021年05月09日

フランスの文芸誌「A」

literatureAction.jpg「洪水」6号(2010年)に掲載された、岡崎和郎・空閑俊憲両氏が語り手、土渕信彦氏が聞き手となった座談会記事「瀧口修造を語る 〜人差し指の方角〜」が、このたびフランスの文芸誌「A」に翻訳転載された。「ECHANGES AVEC JAPON(日本との交易)」という特集の「日本のシュルレアリスム」を扱う章の一項目として。これは土渕氏のお仕事で小生は実務的にはなにもしていない。
「A」とは、表紙に「LITERATURE-ACTION」とあるから、「ACTION」のAのことのようだ。205×208ミリ、212ページ。価格は20ユーロ(けっこう高価?)。私はフランス語がだめなので残念だが、手に取って漫然とページを繰っていると、ところどころにカラー写真が載っている。まとまった数ページがカラーになっていることはよくあるが、この雑誌は規則性のない任意のページをカラーにしているように見え、印刷の基本からいうとこれは不思議なことで、どういう仕組みになっているのだろうと泰西の高等技術?に首をひねった。
(池田康)

追記
67ページからのロラン・ドゥーゼ氏の詩が面白い。フランス語と対訳で日本語訳も並んでいて、その日本語の組み方のギクシャクしたぎこちなさも微笑ましいのだが、日本を旅行しながら綴ったと思われる詩行の率直なかんじがこころよい。
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2021年05月03日

「詩素」10号完成

siso10.jpgゴールデンウィークに突入したが、去年に引き続き、なにか暗雲立ちこめているような鬱々とした世の中で、早く浄めの風が吹いてほしいと切に望むところ。
さて、「詩素」10号が完成した。今回の参加者は、海埜今日子、大仗真昼、大橋英人、小島きみ子、酒見直子、沢聖子、菅井敏文、大家正志、高田真、たなかあきみつ、南原充士、新延拳、二条千河、野田新五、野間明子、八覚正大、平井達也、平野晴子、南川優子、八重洋一郎、山中真知子、山本萠、吉田義昭のみなさんと小生。巻頭トップは、海埜今日子さんの「木箱」。
そして10号到達記念の特別企画として投稿詩を募集し、選考会を経て、次の三作品が受賞した。
〈最優秀賞〉
鹿又夏実「赤い電車に乗って」
〈優秀賞〉
鳴海幸子「360°」
七まどか「漆黒」
これらの作品と、選評、そしてほかの最終候補作についての選考委員のコメントを掲載している。
表紙は、草野心平「ヤマカガシの腹の中から仲間に告げるゲリゲの言葉」より。この詩に合わせて満月の日に完成させたかったところだが、数日ずれたのはちょっと惜しかった。
まだ残部ありますのでご注文下さい(500円)。
(池田康)
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