東麻布のTAKE NINAGAWA(港区東麻布2-12-4信栄ビル1F、03-5571-5844)での吉増剛造展「怪物君」を見る。この日が初日(8月28日まで)。ちゃんと数えなかったので確かではないが、20ほどの作品が並んでいただろうか。細かい文字がびっしりと書き連ねられている紙に妖しく彩色するという画面構成で、色合いがそれぞれ違っていて、全体で見ると百花繚乱的なはなやかさになっているのだが、しかし「怪物君」であるから、東日本大震災をうけての深い瞑想から呪術的雰囲気を帯びることになる。画面に貝殻やら親しい人から来た葉書やらが塗り込められているのもその時々の念を強く刻み込んでいるように感じられる。展示されている作品は販売されるとのこと。駅からこのギャラリーへの道のりはわかりやすくはないので事前の調べがあるほうがいい。地下鉄の赤羽橋駅の中之橋口を出たら右に曲がりずっと歩いていくと2つガソリンスタンドがあるので、その2つめのところで右に曲がり5分ほど歩けば左手に見つかるはず。
地下鉄を乗り継いで京橋に回り、ギャルリー東京ユマニテ(中央区京橋3-5-3京栄ビル1F)で加納光於展「波動説」を見る。この日が最終日。「インタリオをめぐって」という副題がついているが、インタリオとは凹版印刷、沈み彫りのこと。「加納光於の代表作《「波動説」―intaglioをめぐって》シリーズを、1985年の発表以来、36年振りに全34点を展示いたします」と案内のはがきにある。そしてカタログに「変幻綾なす色彩の生成が、/光の、真っさらな化身であるのなら、/誰のものでもあり/そして誰のものでもない。」という加納さんの直筆のことばが載っている。波動説とはどういう概念なのか……世界のあらゆるものはすべて波動により生成顕現してくるという考えだろうか。吉増作品のような文学的呪術性はないが、こうしてシリーズ全34点の真ん中に立ってみると無言の呪術的思念が感じられるような気もする。殆どの作品に値段がついていたがいくつかは非売品となっていて、なぜかとギャラリーの御主人に訊くと、それらはもう一点しか残っておらず、欠けるとシリーズの全体性が損なわれるからだとのこと。やはり全34点で《聖域》を作ることが大事なのだ。
加納さんにも吉増さんにも会えず。
午後、上野の東京文化会館小ホールで「吉岡孝悦作曲個展」コンサートを聴く。生野毅さんの詩をもちいた合唱曲「混声合唱と4人の打楽器奏者のためのコスモフラワー」が演奏されるとの知らせを生野さんから受けて。前半は器楽曲3曲。さまざまな打楽器が活躍する。後半は上述の合唱曲ふくめ2曲。パーカッショニスト吉岡孝悦氏の作曲による作品でコンサート全体が構成されているが、プロフェッショナルであり、デューク・エリントンのような展開の巧さも感じられる部分があり、演奏家として演奏の実際を知悉しているから理にかなった音の動きや絡み合いになっていると思われる。とはいえ、打楽器の超絶技巧が炸裂する箇所はただ息をつめて対峙するばかりだ。個人的には、ティンパニの音を聴くことができたのが嬉しかった。和太鼓もそうだろうが、太鼓はそれが鳴るだけで勇壮、爽快な気分になる。鬱々とした日常の意識を叩き割ってくれそうな気の力がある。前半の「マリンバとティンパニと4人の打楽器奏者のための協奏曲」と合唱曲「コスモフラワー」でそれが聴けた。合唱演奏の伴奏にティンパニが入るのはすばらしいことで、合唱曲の次元が広がる思いがする。ふつう合唱はピアノ伴奏が一般的だが、ピアノだと近代音楽の枠内にすっぽりはまり込んでしまう嫌いがなきにしもあらずだが、ティンパニは音程をもっているとはいえ、撥と皮が衝突する荒々しい衝撃音が《外》のノイズを呼び込み、合唱を宇宙的な広がりへとつなげる。ティンパニ伴奏の声楽曲としては伊福部昭の「アイヌの叙事詩に依る対話体牧歌」が思い出されるが、あれも無辺の音響空間を生み出す曲だった。この「コスモフラワー」の最後は、ティンパニに加え大太鼓にも直撃され、おおいに溜飲が下がった。
生野さんの詩だが、宇宙の花「コスモフラワー」をめぐる神話のような内容となっており、すべて平仮名の、平明な言葉遣いで書かれているが、本人に訊いたら、作曲者とのやりとりの中で相当苦労して書いたとのこと。最終楽章の「第五部 華」から前半を引用しよう。
このよのはては おはなばたけ
だれもみたことがない いったことがない
こころのはては おはなばたけ
みんなのひとみのおく ひろがるけしき
このよのはては おはなばたけ
だれもみたことがない いったことがない
こころのはては おはなばたけ
みんなのひとみのおく ひろがるけしき
このよのはてと こころのはてと
そんなにとおく はなれているのだろうか
それとも おなじおはなばたけだろうか
たびびとよ はなをうえなさい
まっくらな さむい こごえるうちゅうに
はじめてのはなを うえるのです
(後略)
合唱団員はなんとマスクをしてうたっていたが、予想以上に聴き取れた。
(池田康)