
この一夏かけて制作していた秋元千惠子作品集『生かされて 風花』が完成した。発行=現代出版社、発売=洪水企画。A5判上製、776ページ(!)、発行日10月5日、定価税込8800円。
歌人・秋元千惠子の主要な文業の集大成であり、既刊歌集を網羅した全歌集のほか、主要評論、小説作品を収め、この歌人の世界を一冊で展望する。
帯には、
「時代の傾斜を幻視する、悲憤の祈りの行である歌と散文。
半世紀を超える短歌・評論・エッセイ・小説の多彩な文業がここに集結して一冊となり、鏡のように互いに照らし合うことで、自分の道を生き切る文学者の全貌が示される。文明の病いと戦う孤高の母性、昭和の生き証人の自負と責任は、言葉の重さ、調べの高貴さ、想の深さとなって短歌に凝縮され、散文においては切なる生命論として雄弁に語られる。比類なく真率なエレジーがここにはある。」
とある。
全歌集は歌集『吾が揺れやまず』、『蛹の香』、『王者の晩餐』、『冬の蛍』、『鎮まり難き』に加えて2016年以降の歌集未収録作品も収録する。評論集3冊『秋元千惠子集 自解150歌選』、『含羞の人 歌人・上田三四二の生涯』、『地母神の鬱 詩歌の環境』もすべて完全収録。そして若い頃に書いた短篇小説の中から5篇「霧の中」「ぶらんこ」「白い蛾」「すず虫」「花影」を収める。ほかに、上田三四二論の拾遺、山崎方代を論じた諸文章、エッセイ、書評の類で構成される。
昨年末から今年にかけての秋元貞雄作品集『落日の罪』の編集も大変だったが、今回の本は膨大なページ数のこともあり更に二倍も三倍も難儀だった。制作期間がおよそ3ヵ月半しかなく、その中で歌集5冊、評論集3冊、短篇小説5篇、その他のたくさんの既発表文章をまとめ上げる編集作業は、時間的余裕がまったくなく、ほかの用事は棚に上げてこれに全力集中するよりなかった。なんとか予定日付近に完成に至ることができて、胸をなでおろしている。
全歌集を編集するのは神聖さを帯びた特別な経験で、この本の中でも一番重要な部分であり、間違いがないか、何度も校正したが、どうだろうか、誤字などが残っていないことを祈るのみ。
巻末には、秋元千惠子年譜と、酒井佐忠氏の批評文「環境詠から宇宙的文明論へ」(「ぱにあ」104号掲載のもの)、そして小生が書いた解説「終末を幻視する歌」を収めてある。その解説の最後の部分を紹介する。(すこし前のところで「私はこの歌人の最終到達点を終末思想の歌に見出したいと考える。もっとも真正な終末観を示す歌人、それが秋元千惠子だと言ってみたい。」と書いていて、そのことを念頭においてお読みください)
「甲村下黒澤の沢の蟹 われら人類ほろぶとも生きよ
歌集『王者の晩餐』所収。これは終末歌の絶唱だろう。故郷を蟹に託す。この「愛」をどう形容したらよいのだろう。終末歌が望郷歌でもある未踏の境地だ。
まぼろしか 水清からぬ川の辺の茅の枯葉に冬蛍ひとつ
歌集『冬の蛍』のタイトル作。これは「まぼろし」である。冬に蛍はあり得ないのであってみれば、あえて反語的に描かれた幻想画。『秋元千惠子集 自解150歌選』にはこの歌の項に「終末を思わせる冬枯れの川、そこに光る一匹の蛍に、私はまだ望みを託している」と記されているが、望みというよりも、蛍の姿を借りた〈生命〉の霊が大地の死に対して読経しているかのような印象を受ける。世界像でもあり自画像でもある。初句の疑問形の微妙さが歌全体の虚実を揺動させる。秋元千惠子は初句で鋭い切れを作るような歌をときどき書くが、これはその中でも最高作だろう。
老い扨ても冬こそ相応うこのわれに地磁気狂えと烈火もたらす
これは歌集未収録の、二〇一九年の作。予言者の裂帛の気が感じられる。秋元千惠子の終末観をうたう歌は、レトリックの一環として、あるいは珍しい味付けとして、あるいはおどろおどろしい影をつけたいがために、終末的要素を用いるといったような表層的なものではなく、真正の終末図・終末歌たり得ている。それはこの歌人が自分のやむにやまれぬ文明論的思考を愚直にひたに貫いてきて、同時に「故郷」への愛を普遍的なまでに育んできた、その結果だと思われるのだ。峻厳な終末を詠む権能を獲た希有な歌人である。」
そして著者・秋元さんのあとがき(─蘇れ詩魂─)から、最後の部分を。
「夫の生れた満州でも、私の山梨でも、風花は儚いが懐かしい。希有にして出会った二人の先祖をおろそかにしてはならない。感謝を込めて両家の家紋、秋元の「揚羽蝶」、輿石の「左三つ巴」を、この秋元千惠子作品集『生かされて 風花』の表紙の装丁に戴いた。秋元貞雄作品集『落日の罪』と「比翼作品集」にした。ふたりの、ささやかな文学の営為も、父母、兄弟、友人の声援あってのことであり、感謝の念はつきない。
余談になるが、胃ガンの手術直後「いくつになってもお母さんは恋しいものですね」と看護師さんに言ったとか…記憶にない。
わが洞に羽音とよもすは始祖鳥か声ありて詩魂の蘇りたり 千惠子」
大冊で値段も張るが、是非入手してゆっくり繙いていただきたい。
(池田康)