昨夜、上野の東京文化会館小ホールで「四人組とその仲間たち2021」コンサートを聴いた。全音楽譜主催。
1曲目、金子仁美「H2O ―3Dモデルによる音楽VIII―」(vn.甲斐史子、pf.大須賀かおり)。水の分子構造を素材として作曲したとのこと。両楽器が高音でとても細かく動く部分、そして低音で大きな音塊を切り出す部分、どちらも音楽にするのが難しそう。演奏者はおぼつかなさを覚えながら演奏に臨んでいたのではと推察する。しかし力を込めてうたうような部分も終盤にあり、そこは熱いものが押し寄せてきた。
2曲目、西村朗「極光」(トランペット 菊本和昭、pf.新居由佳梨)。オーロラ(太陽風の残光)をめぐる幻想曲。こちらは楽譜通りにちゃんと弾けば間違いなく音楽になる曲。ただ、ピアノはともかく、トランペットは名手が必要とされそうだ(今回の演奏は申し分ない)。名手であればあるほど曲は輝くだろう。トランペットが非常に低い音域に行ったときホルンのような音色をひびかせるのは、普段なかなか目にできない相貌で、新鮮だった。
さて、この二曲を比べるに、金子氏が、この構築で音楽は離陸するだろうかと実験的に挑戦する学究派なのに対し、西村氏は音楽は飛んでなんぼだと確信犯的に佳曲を書いているようにみえる。これは西村氏が創造の可能性を見切れる円熟に達しているということに加え、全音楽譜主催というコンサートの性格上、演奏家や聴衆に喜ばれ何回も繰り返し演奏される曲が生まれることが望ましいという事情によるところもあるに違いない。トランペッターにとっては嬉しい一曲だろう。
3曲目、鷹羽弘晃「ガンマ・コレクション」(マンドリン 望月豪、ギター 山田岳)。デジタル映像の明暗補正技術から着想したとのこと。ミニマル音楽風の、比較的単純な音型で、さほどの強弱の変化もなく、一定のテンポ&リズムを刻み続ける曲。作品を成立させるためには、厳密に正確な進行が必要で、ギターとマンドリンという撥弦楽器では乱れが生じるとすぐにわかり相当大変だろう。六人とか十人とかのグループでガムランのように勢いをつけてのりのりの忘我状態で演奏するのがよいようにも思うが、それでは作曲者の意図とずれることになるのかもしれない。私にとっては懐かしい楽器たちで、その分楽しく聴けた。
4曲目、新実徳英「ソムニウム」(クラリネット 板倉康明、pf.中川俊郎)。夢(somnium)の狂気、不条理をイメージした曲。クラリネットが意識主体の有頂天、沈潜、彷徨、逡巡 etc.を表すとしたら、ピアノは夢に出てくるさまざまな奇怪な風景、シーンを表すと言えるだろうか? 両者の間のぎこちない対話のような部分も出てきて、そこが狂気や不条理の棲息するエリアをなすのかもしれない。悪夢か、いい夢かというと、そんなに悪くはなさそうだ。詩であれば、今の時代の集合無意識ならぬ集合夢的なものを作るとしたら、不気味で陰鬱な作品が出てきそうだが、音楽は強く逞しい、ということなのかもしれない、驚かされもするが気持ちよく聴ける夢だった。
5曲目、池辺晋一郎「バイヴァランスXVI」(ファゴット 長哲也・福士マリ子)。同じ楽器のデュオのシリーズ第16番。異なる性格の5章から成るので概括しにくいが、4・5章の旋律が出てくる場面も楽しく聴けるが一番興味深く思ったのは1章だった。ファゴットは曲面をつくる。一音一音区切って弾いていた2章ではそんなことはなかったが、1章では区切らず連続して違う音を行き来していたのでファゴットの音が曲線、曲面を生み出していた。ピアノでドレミレドレミレ……と弾けば階段状の形になるが同じことをファゴットでやると聴覚上のかんじでは段差のまったくない滑らかな曲線、曲面になるようなのだ。二本のファゴットが生み出す音の曲面空間の妖しくはてしない変幻変容を化かされたように聴き入っていた。
(池田康)