2022年01月12日

オペラ「アクナーテン」

フィリップ・グラスのオペラ「アクナーテン」をメトロポリタン歌劇場ライブビューイングで見た。現代音楽にこのような壮麗なシーンがあるとは(あったとは)、と驚く。ミニマル音楽の巨匠と承知はしていたが、シンプルな音型の反復というその原始的な手法で3時間のオペラの巨大な果実をみごとに実らせたのは作曲家の並外れた構想力の賜であろう。ミニマル音楽の可能性の射程がここまでカバーしていたのは意想外なことだった。ヨーロッパの音楽界ではミニマル音楽の作曲家は野人扱いされているという話を聞いたことがあったように覚えているが、こんな作品が現れたら認めざるを得ないだろう。「現れた」──この過去形には浅からぬ含意があり、つまり私が見たのは今年に入ってからだが、実際の上演は3年前に行われており、さらに作曲は1980年代というはるか昔のこと。このズレにたじろぐ(この文章の立て方がおぼつかなくなる)。だから「新作が現れた」というのとは違っているのだが、このメトロポリタン歌劇場の3年前のプロダクションは相当話題になったということだから、再演と言ってもよく知られた作品を装い新たにまた上演するという程度の目新しさではない、より重い意味合いがあるのも事実らしい。出演した歌手たちは各シーンを作る音楽の細かいはてしない波に呑み込まれて恍惚、トランス状態になると語る。その通り、マジカルであり、音楽の原始の神秘にひたされるような感じだ。登場人物たちの極度にのろい動作、何語とも分らない古代言語の意味不明のひびき、音符の図像化として多用されるジャグリング遊戯といった舞台を作る主要素も、儀式性を強め、このステージを光り輝く大壁画として屹立させるのに寄与している。オーケストラはヴァイオリンパートを省いているのだそうで、その点も異例な特色と言えるだろう。
物語の内容は、紀元前14世紀のエジプト王アクナーテン(アメンホテプ4世)が従来の多神教を廃して太陽神のみを崇める一神教を制定した事蹟を追う。カズオ・イシグロの小説「クララとお日さま」(最近読んだ)も少女ロボが太陽信仰のごときものを抱く話だったが、絶対神として太陽を観ずることは、宇宙物理学的に定義された恒星という物質的存在として太陽を認識している知性には、きわめて難しい。はるか未来のAI人形にとっても、三千年前のエジプト人にとっても、太陽は神秘そのものなのであり、ポエジーの夢幻空域を過ってクララからアクナーテンへと細い光の道が走る。舞台上でバケモノのように七変化し百変化する太陽のイメージもその把捉しがたい夢幻性をよく表現している。指揮者カレン・カメンセックの語るところによると、ミニマル音楽の方法で作られたこの曲の演奏は数え間違いなど起こりやすく非常に難しいのだそうだ。嬉しいことに、それなりの長さの堂々とした前奏曲がついているので、試しにそこだけ聴くのも有意義かもしれない。
(池田康)
posted by 洪水HQ at 11:26| Comment(0) | 日記