2022年01月17日

愛敬浩一著『遠丸立もまた夢をみる』

遠丸立もまた夢をみる画像s.jpg〈詩人の遠征〉シリーズの12巻として、愛敬浩一さんの評論書『遠丸立もまた夢をみる ──失われた文芸評論のために』が刊行された。四六変形判小口折り、208頁、税込1980円。発行日は2月1日。
遠丸立(読み=とおまるりゅう)は1926年生まれの文芸評論家であり、『吉本隆明論』を最初期に刊行した一人で、詩も書く。「詩人としての林芙美子」の評価にも意欲的であった。同人誌『方向感覚』を主宰し、一般的な作家論や書評などとは一線を画す、自らのこだわりに従った批評活動を続け、2009年に没した。代表作に、『恐怖考』『無知とドストエフスキー』『永遠と不老不死』等々。本書は、遠丸立の批評を導きの糸として、文芸評論の可能性を探究する試みである。
著者の愛敬浩一氏は日本近現代の文芸評論に非常に詳しく、幅広く読み込んでいるが、若い頃から親しんだ遠丸立の評論の特色を、理論的で普遍的な思索へと向かい包括的なテーマの著作をあらわした点に認め、文芸評論家は多くいるがそうした方向に歩を進めた者は吉本隆明以外はほとんどいない、と語る。そして後半に展開される「恐怖」と「ユートピア」の対比が本書の思考の最高地点となると言えるように思う。その傍らでは、テレビドラマの話が出てきたり、遠丸立の詩作品が紹介されたり、広い視野で論が進められていて、論考の道のりの豊かさが感じられる。
あとがきで著者は、
「今、こうして書き終わって、この文章の中身に一番驚いているのは私自身である。
私は遠丸立に対して、これまでずっと、基本的には親しみの思いしか持っていなかった。ところが、久しぶりに彼の文章を系統的に読み返し、それを論評しているうちに、オマージュになるはずだった私の言葉が、いつの間にか鋭角的になり、しだいに非難じみたものになってしまった。」
と語っており、その通りで、遠丸立をひたすら崇拝する書にはなっていないのだが、同じ時代を懸命にやみくもに生きてきた、境遇も姿勢もちがう二人であるからには考えのズレは当然のことだろう。そこにかえって文芸評論という営みに対する愛敬浩一氏の真摯さが現れているように思われる。そして死よりも生のことを考えなければならないというその言葉には並々ならぬ重みを感じる。
(池田康)
posted by 洪水HQ at 11:38| Comment(0) | 日記