わが家にはいま、植物の鉢植えが二つある。5年ほど前から同居しているガジュマルの木と、昨年末にある方から頂いたシクラメンの鉢だ。ガジュマルは最初は掌よりも小さいサイズだったが今は地面から40センチほどの高さにまでなっている。よくぞここまで成長したと感慨を覚えるのだが、木の高さを計る単位はふつうメートルであるから、0.4メートルの木はまだまだ赤ん坊だろう。ここのところ、鉢の地面を苔の類がおおっていて、その緑が沁みるようで好ましい。小さな雑草も生えていて、うるさくなったら取り除くのだが不死身に復活してくる。ガジュマルは寒さに弱いそうなので冬は室内に置き日中だけ外に出す、その作業が手間だ。
シクラメンは12月中は豪奢に咲いていて、1月になると花が次々にしおれていき、もう一輪も残らずの状態になった、と思ったら、葉の下に小さな莟がいくつかまたまた開花しようとしていて、エンドレスの生命力を感じさせる。シクラメンは葉も力強い存在感がある。実も三つならせて、時間を凝固させている。
……この項は以上で話は尽きるのだが、ついでにもう一つ散歩時のエピソードを加えると、ときどき近所できれいな緑色の小鳥を見かけることがあり、おそらくメジロではないか、いつもは木の枝など高所に見かけるのだが、昨日は地面でなにかをついばんでいるところを見つけ、こんな見おろすような角度で見られるのかと驚いたら、向うもハッとしたのか逃げていった。節分の豆でも落ちていたのだろうか。メジロの小さな口は大豆を食べられるのかどうか、一粒のみ込んだら相当満腹するだろう、小鳥の胃袋のささやかさ加減を寸時想像した。
(池田康)
2022年02月05日
立春のよしなしごと
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