2022年03月11日

ナポレオンでさえ

ウクライナの情勢はきびしいままのようで、遠い地のことながら、戦時下の非常な過酷さが伝わってくる。
久生十蘭には戦時下のパリなどを舞台にしたものが少なくなく、その陰鬱と物騒が作品の根底の味わいとなり、こういう時勢だと戦争の空気のリアリティにふれたくついつい読んでしまう。「勝負」「巴里の雨」など(それぞれ河出文庫の『十蘭錬金術』『パノラマニア十蘭』所収)恋愛ものではあるが、風雲急を告げる時代描写がいたく生々しい。作者自身がヨーロッパに行っていたとき軍事物資関係の仕事に携わっていたのか、その方面にとてもよく精通している感じがする。ほかにも、「公用方秘録二件」は二つの国の角逐が小さなシーンで鮮やかに描かれて面白く、「爆風」は空襲の直撃をいかにのがれるか、その知恵についての冷静な記述に引き込まれ、「犂氏の友情」はウクライナ人であるロシア人!?が出てきて、とんでもない展開に驚愕する。
今のウクライナを見ていると、陰鬱や物騒の雰囲気はもちろんあるが、勇敢とか覚悟とかいった言葉も思い浮かぶ、これはおそるべきことだ。なにか大きなプラスを得るという意味での勝利はむずかしいかもしれないが、できるだけ納得できる形でサバイバルを果たしてほしいもの。
先月24日にNHKBSで放映された映画「戦争と平和」(1956、キング・ヴィダー監督)を見ると、200年前のナポレオンの頃の戦争がどんなふうなものだったかがおよそわかるとともに、侵略という暴力的外交の行為が(攻める側の思考・欲望が単純な分だけ)無理や危険を伴うものだということを教えられる。ナポレオンでさえ敗れる、それは尤もなことわりだ。
(池田康)
posted by 洪水HQ at 11:10| 日記