2022年04月26日

世はつねに変貌する

昨日は国分寺のくるみギャラリーでの山本萠さんの個展を見にいったのだが、東京の街の変貌を経験する一日だった。往路、渋谷で途中下車すると、中央改札あたりの駅構内の様子がすっかり変わっていて、どこをどう歩いて地上に出たら目的地に好都合かさっぱりわからない。今はまだ改築の途中なのだろうか。迷路の街渋谷に迷路の駅、これはナゾナゾとしてはふさわしいのかもしれない。帰りは新宿に寄ったが、ここでは紀伊國屋書店が大掛かりに模様替えを果していて驚かされた(1Fはまだ工事中)。エスカレーターがある!……なんて今時びっくりするほどのことではないが、この店としては画期的だ。降りるときは階段を使うことになるけれど。店頭にはなばなしく並べられていた『左川ちか全集』(書肆侃侃房)などを購入。
(池田康)
posted by 洪水HQ at 11:10| 日記

2022年04月24日

西脇順三郎の特集をやります

吉増002.jpg「みらいらん」次号(10号、7月刊行予定)では特集「西脇順三郎 世界文学としての詩」を予定しており、そのメインとなる企画、吉増剛造・城戸朱理両氏による対談を先日鎌倉において無事行うことができて、ほっとしている。多岐にわたる、熱っぽい議論になった。いま、テキスト起こしをしているところ。
私自身は西脇についてはこれまで代表作とされるものを読んだ程度だったが、特集を組むということで、この3〜4月に詩作品をあらかた通読してみた。ようやく西脇順三郎の初心者となったようなかんじで、バケモノのような大きさに言葉もなく圧倒されている。
以前から、昭和38年刊の『西脇順三郎全詩集』を所持していたが、この本には晩年の四詩集が入っておらず、その『禮記』(1967)『壤歌』(1969)『鹿門』(1970)『人類』(1979)は個別に古書店で手に入れて揃えた。すべて筑摩書房。『人類』に付録の栞がはさんであり、そこに吉岡実も文を寄せているのだが、「詩集《鹿門》が刊行されてから、約十年の歳月が流れている。今度もまた私が造本・装幀を任せられた」とある。すると『鹿門』と『人類』は吉岡実の装幀なのだ。『禮記』『壤歌』はどうなのかわからないが、筑摩書房の本ではあるし、吉岡実装幀の可能性はあるだろう。
茫洋とした桁外れの詩人・西脇順三郎に今回の特集でどれだけ迫れるか、期待していただきたい。
ここに載せたチラシは吉増さんからいただいた、来月から開催のもの。
(池田康)
posted by 洪水HQ at 15:33| 日記

2022年04月22日

詩素12号

詩素12表紙003.jpg詩素12表紙004.jpg詩素12号が完成した。今回の参加者は、海埜今日子、大仗真昼、大橋英人、小島きみ子、坂多瑩子、酒見直子、沢聖子、菅井敏文、大家正志、高田真、たなかあきみつ、七まどか、南原充士、新延拳、二条千河、野田新五、八覚正大、平野晴子、八重洋一郎、山中真知子、山本萠、吉田義昭のみなさんと、小生。
ゲスト〈まれびと〉は、伊武トーマさんをお招きした。
巻頭は、高田真「交差点で」、山本萠「草の日々であるそのひと」、吉田義昭「風景病」、大橋英人「(りんごとロープのラプソディ 2編)」。
表紙の詩句は、T・S・エリオットの“The Song of the Jellicles”の第3連。裏表紙のほうもご覧いただきたい。野田新五さんが描いた絵で、マスクになにか文字が書いてあるが、「ウクライナに平和を」という意味だとのこと。
ぜひご覧下さい。
(池田康)
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2022年04月10日

春の(ばかされた?)一夜

昨日は東京グランドホテルで日本詩人クラブ賞ほかの授賞式があり、二条千河詩集『亡骸のクロニクル』(洪水企画)が新人賞を受賞した関係で出席、二条さんの紹介スピーチをした。二条千河さんの自作品朗読と受賞のことばは、若いころ演劇をやっていたからか、舞台人のパフォーマンスのような力強さ、覇気があり、驚かされた。なお、クラブ賞は草野信子氏(詩集『持ちもの』)が受賞。式の後は大門付近の店で近しい者たちが集まりささやかな祝宴、終えて店を出たら、西の方角におばけのように東京タワーが輝いていた。
(池田康)
posted by 洪水HQ at 15:21| 日記

2022年04月02日

「東京人」5月号書評ページ

「東京人」5月号の書評ページで小池昌代さんが宇佐美孝二著『黒部節子という詩人』(洪水企画/詩人の遠征11)を紹介・批評して下さいました。是非ご覧下さい。
(池田康)
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2022年04月01日

「現代短歌」5月号

「現代短歌」5月号(90号)の特集は「アイヌと短歌」で、まずバチェラー八重子(1884〜1962)が紹介され、「ふみにじられ ふみひしがれし ウタリの名 誰しかこれを 取り返すべき」「亡びゆき 一人となるも ウタリ子よ こころ落とさで 生きて戦へ」等のアイヌの悲運を表現する代表歌が掲出される。「ウタリ」とは「同族」の意という。他に違星北斗、森竹竹市、江口カナメといった歌人たちもしっかりスペースを取って紹介されている。
まず第一に感じるのは、国や民族の危急存亡のときには詩歌は民族の歌声を汲み上げるものだということ。これは独特の調子の高さを生み出す(ヘルダーリンもいくらかそういうところがあるだろう)、と同時に、戦時中の日本の詩歌のように、危うさを帯びてしまうこともありうる。詩歌は「民族の歌声」をできれば過度に孕まない方が安全で幸福なのだろうが、どうしても噴き上げてくる時もあるのは否定できない。今のウクライナの詩歌人は、なにか書いているとしたら、どのようなものを書いているのだろう。
横道にそれるが……「戦時中の日本」で思い当たるのだが、ウクライナでの戦争が始まった時点で、日本にできることが一つあったのではないか。それは「疎開」という概念を伝授することだ。激しく砲撃・空襲される都市に子供たちを残すのはよろしくない。可能ならば、比較的安全な田舎の地域へ集団疎開させるべきだろう。「生きて戦へ」はスピリットとしてはわかるし感銘を受けもするが、子供を現実の戦いの最前線に置くのは無茶だ。わが亡父も、戦時中の集団疎開の経験をひどく辛くひもじかったとよく語っていたが、辛いとしても命を落とすよりはましだ。概念があれば実行できることも、それがないと全く思いつかず実行されない、ということもあり得るだろう。「アメリカンドリーム」という言葉がなければアメリカで成功を夢みて努力することは少し余計に骨が折れるだろうし、「津波てんでんこ」という思想語彙がなければ津波のとき他人にかまわずてんでんこに逃げづらい。
アイヌに話を戻せば、アイヌ語を話せないアイヌ人という境遇も出現しているとのことで、これは政治、統治のあり方がからんでいるのだろうと思われるが、悲痛だ。
バチェラー八重子歌集『若き同族に』より。

 野の雄鹿 牝鹿子鹿の はてまでも おのが野原を 追はれしぞ憂き
 寄りつかむ 島はいづこぞ 海原に 漂ふ舟に 似たり我等は
 古の ヌプルクイトプ 知らせけり ポイヤウンペの 行くべき道を
 石のごと 無言の中に 力あれ ふまるるほどに 放て光を
 逝し父を まだ帰らずやと 思ひつつ 家中さがしつ 幼なかりし日
 霊にだに 会ひたきものと 暗闇に 目を大きくも 開けて見しかな
 有珠コタン 岩に腰かけ 見てあれば 足にたはむる 愛らし小魚
 オイナカムイ アイヌラックル よく聞かれよ ウタリの数は 少くなれり

(池田康)

追記
英語に「evacuate」という言葉があったことを思い出して、辞書を引いてみたら、
The children were evacuated to the country (during the war).
という例文が複数の辞書に出ていた。
してみるとこれは常識とされている事柄なのだろうと考えられる。
posted by 洪水HQ at 12:06| 日記