「虚の筏」29号が完成した。
この号の執筆者は、たなかあきみつ、生野毅、久野雅幸のみなさんと、小生。
下記リンクからご覧下さい。
http://www.kozui.net/soranoikada29.pdf
(池田康)
2022年05月20日
一番居心地のいい場所
この世で一番居心地のいい場所はどこだろうか?
自分の家、自分の部屋、という回答が多いと思われるが、それを省くとしたら、どうだろうか。
思いつくままに挙げてみよう。たとえば由緒ある温泉の露天風呂。あるいはハイキングで2時間歩いてちょっとした山頂に到達して岩に腰かけ水筒の水を飲んで景色を見渡すとき。あるいは気のおけない友達数人との会食(隣のテーブルの声がうるさくないことは絶対条件)。あるいは快適なライブハウス、アルコールを少し体に入れて音楽を聴くとき。あるいは昔の和風の家で大きな庭があって縁側に坐って日向ぼっこをしながら鳥の鳴き声を聴くとき……
いずれも悪くないが、正解は、空豆の莢の中、なのではないかと昨日今日空想している。
数日前、食料品店で特売の莢入り空豆一袋を買ってきて、茹でて食べているのだが、空豆の莢の中はとても上等な白い綿状のクッションが敷き詰められていて、心地良さそうなのだ。この中に入って、空豆の木の枝にぶらぶら揺れるのは、とても気持ちいいのではないだろうか。馬鹿なことを言うなと言う人は一度空豆の莢を裂いて中を見てみるといい。気持ちが落ち込んだときなど、自分は空豆の莢の中にいる、宙で風に揺れている、あったかくて雨にも濡れずとても静か、と空想したら、少し気が楽になりそうだ。
ちなみに、子どもの頃はおいしさがよくわからない、どちらかというと苦手、という食材がいくつもあるものだが、私にとって空豆はその一つだった。今はうまいうまいと食べている。
(池田康)
自分の家、自分の部屋、という回答が多いと思われるが、それを省くとしたら、どうだろうか。
思いつくままに挙げてみよう。たとえば由緒ある温泉の露天風呂。あるいはハイキングで2時間歩いてちょっとした山頂に到達して岩に腰かけ水筒の水を飲んで景色を見渡すとき。あるいは気のおけない友達数人との会食(隣のテーブルの声がうるさくないことは絶対条件)。あるいは快適なライブハウス、アルコールを少し体に入れて音楽を聴くとき。あるいは昔の和風の家で大きな庭があって縁側に坐って日向ぼっこをしながら鳥の鳴き声を聴くとき……
いずれも悪くないが、正解は、空豆の莢の中、なのではないかと昨日今日空想している。
数日前、食料品店で特売の莢入り空豆一袋を買ってきて、茹でて食べているのだが、空豆の莢の中はとても上等な白い綿状のクッションが敷き詰められていて、心地良さそうなのだ。この中に入って、空豆の木の枝にぶらぶら揺れるのは、とても気持ちいいのではないだろうか。馬鹿なことを言うなと言う人は一度空豆の莢を裂いて中を見てみるといい。気持ちが落ち込んだときなど、自分は空豆の莢の中にいる、宙で風に揺れている、あったかくて雨にも濡れずとても静か、と空想したら、少し気が楽になりそうだ。
ちなみに、子どもの頃はおいしさがよくわからない、どちらかというと苦手、という食材がいくつもあるものだが、私にとって空豆はその一つだった。今はうまいうまいと食べている。
(池田康)
posted by 洪水HQ at 19:25| 日記
2022年05月16日
愛敬浩一著『草森紳一の問い』

2008年3月に70歳で亡くなった草森紳一は元来は中国文学者であるが、マンガや写真、デザインや広告の批評など、ジャンルにとらわれない〈雑文〉のスタイルを確立したとされる。その文業の全体像、そして根本にある「問い」をつかむべく、著者は散歩論、写真論、中国の詩人・李賀論を取り上げて、あるいは植草甚一との比較を試み、謎めいた草森紳一の核心を遠目に目指しながらゆっくり巡り歩く。
本書冒頭に置かれたプロローグに「私が追い求めたのは、ただ草森紳一の文章の可能性だけであり、むしろ、彼が書こうとしながら、ついに書かなかった何かであるような気もする。私はただ、草森紳一の問いの上に、私の問いを重ねただけに過ぎない。」とある。それは結局は、なぜ読むのか、なぜ書くのか、という単純な問いに還元されることなのかもしれない。しかしそこに留まるのではなく、著者と草森紳一はほぼ同時代を生きてきたわけで、その時代とはなんだったのか、精神的になにを課され、どうくぐり抜けてきたのか、という無限に複雑で解剖が面倒な諸相がまとわりついてくる。
通読してみると、散歩論での永井荷風、写真論でのウジェーヌ・アジェ、そして詩人李賀の像がとりわけ強く脳裏に焼きつくように感じる。草森紳一論を組み立てながらより豊かで多彩な文学文芸のうねりを誘い出し、読者はそれに巻き込まれるというわけで、これはありがたい読書体験だろう。
私は愛敬さんから一昨年刊行の『詩人だってテレビも見るし、映画へも行く。』をいただいて、ドラマ論・映画論を集めたこの書を拾い読みしているのだが、氏の眼差しは細やかで鋭く、独自色の強い論立てで書いていて、はっとさせられることも多く、気持よく読める。そんな愛敬氏のやわらかさと鋭さが今回の『草森紳一の問い』でも全編にわたり発揮されていて、それがこの評論の個性的な濃密さにつながっていると言えるだろう。
(池田康)
posted by 洪水HQ at 16:19| 日記
2022年05月05日
柏餅と『西脇順三郎全詩引喩集成』


葉が大きな役割を果たす和菓子はほかに桜餅と草餅がある。桜餅は桜の葉の代わりにプラスチックで作った模造葉で餅が包まれてあるものも時々あるが、言語道断だろう。桜の葉を一緒に食べるあのしゃりっじょりっとした食感がよいのに。
昨日は伊勢原市立図書館に赴き、新倉俊一著『西脇順三郎全詩引喩集成』を閲覧した。この本を所蔵している図書館は少ないかもしれない。わりと近くの図書館で見ることができて幸運だった。西脇の詩に出てくるあやしげな有象無象について実に多くのことを教えられる。
さて、ここに掲げたチラシは、最近吉増剛造さんからいただいたもの。そういえば、先日対談の収録でお会いしたときには、新しい映画のことを語っておられた。八十代にしてこの八面六臂の活躍は驚きだ。
(池田康)
posted by 洪水HQ at 11:37| 日記