2022年05月16日

愛敬浩一著『草森紳一の問い』

草森003.jpg愛敬浩一さんの評論集『草森紳一の問い 〜その「散歩」と、意志的な「雑文」というスタイル〜』が完成した。前著『遠丸立もまた夢をみる』に引き続き、〈詩人の遠征〉シリーズでの刊行で、第13巻となる。ページ数224ページ、定価税込1980円。
2008年3月に70歳で亡くなった草森紳一は元来は中国文学者であるが、マンガや写真、デザインや広告の批評など、ジャンルにとらわれない〈雑文〉のスタイルを確立したとされる。その文業の全体像、そして根本にある「問い」をつかむべく、著者は散歩論、写真論、中国の詩人・李賀論を取り上げて、あるいは植草甚一との比較を試み、謎めいた草森紳一の核心を遠目に目指しながらゆっくり巡り歩く。
本書冒頭に置かれたプロローグに「私が追い求めたのは、ただ草森紳一の文章の可能性だけであり、むしろ、彼が書こうとしながら、ついに書かなかった何かであるような気もする。私はただ、草森紳一の問いの上に、私の問いを重ねただけに過ぎない。」とある。それは結局は、なぜ読むのか、なぜ書くのか、という単純な問いに還元されることなのかもしれない。しかしそこに留まるのではなく、著者と草森紳一はほぼ同時代を生きてきたわけで、その時代とはなんだったのか、精神的になにを課され、どうくぐり抜けてきたのか、という無限に複雑で解剖が面倒な諸相がまとわりついてくる。
通読してみると、散歩論での永井荷風、写真論でのウジェーヌ・アジェ、そして詩人李賀の像がとりわけ強く脳裏に焼きつくように感じる。草森紳一論を組み立てながらより豊かで多彩な文学文芸のうねりを誘い出し、読者はそれに巻き込まれるというわけで、これはありがたい読書体験だろう。
私は愛敬さんから一昨年刊行の『詩人だってテレビも見るし、映画へも行く。』をいただいて、ドラマ論・映画論を集めたこの書を拾い読みしているのだが、氏の眼差しは細やかで鋭く、独自色の強い論立てで書いていて、はっとさせられることも多く、気持よく読める。そんな愛敬氏のやわらかさと鋭さが今回の『草森紳一の問い』でも全編にわたり発揮されていて、それがこの評論の個性的な濃密さにつながっていると言えるだろう。
(池田康)
posted by 洪水HQ at 16:19| 日記