2022年06月28日

傍若無人なモダニズム

気象庁が多くの地域での梅雨の終わりを宣言したらしい。これからずっと真夏の暑い日がつづくということだろうか。今年はベランダの朝顔は二鉢、成長は極めてゆっくりだが、もう蔓が螺旋運動をはじめている。
左川ちか(1911-1936)も詩を読むととても鋭敏に植物の生命に感応していたと思われる(「前奏曲」など)。
『左川ちか全集』(書肆侃侃房)で彼女の詩作品をざっと通読する。傍若無人なモダニズム、という言葉が浮かんでくる。普通、モダニズム詩の多くは、イメージ片をピンセットでつまむようにして慎重に組み立てる、知的な、計算し尽くした時計職人のような仕事であり、ときには標本箱に収められた詩の死骸といった感じさえ受けるのだが、左川ちかの詩は乱暴なまでの勢いで言葉とイメージを組み立ててゆく。そして突然、存在の不安を叫ぶような行が記される。そのような稀な回路でのポエジーの起爆がこの詩人の個性を成しているのだろう。同書解説(島田龍)にも指摘されているように、詩歴が馬の詩から始まって馬の詩で終わるのも、故郷の北海道が彷彿として印象的だ。
この解説で、わが昔日の愛読書『雪明りの路』の伊藤整との深い関わりも詳細に語られており、相当に詩風がちがうので怪訝なる驚きでもあった。
(池田康)
posted by 洪水HQ at 11:26| 日記