台風のお見舞いを申し上げます。
さて、発刊されたばかりの「現代短歌」11月号に、エッセイ「批評の書斎を出る」を執筆しておりますので、ご覧下さい。BR賞という書評の賞の発表の号。
それから、田中庸介さん編集発行の詩誌「妃」24号が今月完成、こちらは本文の組みを担当しました。田中さんはなかなか眼光鋭い編集人でした。
(池田康)
2022年09月06日
ストラヴィンスキーは天才ではなかった?
小さな雑誌を作っていても、毎号、どうにかして目新しさやささやかな地雷を盛りこめないかと苦心する。マスコミ風にいえば「特ダネ」を追求するわけだ。そう言うとさもしい行為のようにも聞こえるが、刊行物をより有意義なものにしたいという熱意はまっとうそのものであり非難には当たらないだろう。
そして特ダネは目立たない場所に隠れていることもある。
4日日曜日のNHKの放送に特ダネが盛りこまれていたとしたら、それはニュースでも科学ドキュメンタリーでもスポーツでもドラマでもなく、Eテレの夜の番組「クラシック音楽館」にあったのではなかろうか。ブラームスとかベートーヴェンとかいったありきたりの曲目だと見過してしまうが、この日は未知の曲が並んでいたので期待するでもなくチャンネルを合わせて流していた。N響第1959回定期公演で、曲目は、バレエ音楽「ペリ」(デュカス)、「シェエラザード」(ラヴェル)、「牧神の午後への前奏曲」(ドビュッシー)、バレエ組曲「サロメの悲劇」(フロラン・シュミット)。コンサートの前半・後半の幕間に当たる時間に、この日の指揮者ステファヌ・ドゥネーヴ(初めて聞く名前…)が各曲について解説をする。ぼんやり聴いていたら、「サロメの悲劇」の音楽の作り方を学んでストラヴィンスキーは「春の祭典」を書いたのだと語るので、びっくりしてしまった。これまで読んだことも聞いたこともない話だが、現役第一線の指揮者がそう言うのだから、確かにそう言える部分があるのだろう。これは私にとっては立派な特ダネだ。ストラヴィンスキーの三大バレエ曲はそれまでの音楽史から考えると突然変異的な要素が多いので、彼はゼロからこれらを創造したのだろうと思い込んでいて、紛うことない「大天才」のイメージがあったのだが、そのイメージが修正を余儀なくされる。「サロメの悲劇」はストラヴィンスキーに献呈されているとのことであり、とするとフロラン・シュミット(初めて聞く名前…)はストラヴィンスキーの作品に影響を受けて作曲したのであろうから、ストラヴィンスキーにしてみれば自分から出ていった影響が自分に戻って来ただけなのかもしれない。しかし「サロメの悲劇」が発表された1907年は「火の鳥」「ペトルーシュカ」が世に出る前なのだ。
とはいえ、創造に影響関係は付きものだ。ピカソはブラックの仕事から大いに刺戟を受けたであろうし、ゴッホも日本の浮世絵を見なければあんな画風にはならなかったかもしれない。ベートーヴェンもハイドンやモーツァルトがいなければ彼独自の作品世界を拓けなかっただろうし、シェークスピアも同時代の劇作家や詩人からさだめし多くを学んでいただろう。ストラヴィンスキーもピカソやゴッホ程度には「人並み」だったのだ、という依然として浮世離れした話に落着くのかもしれない。
余談。窓を開けて聴いていたので、外の虫の声が入り込んできて、そんな中でドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」を聴くのはなんとも幻想的であった。
(池田康)
そして特ダネは目立たない場所に隠れていることもある。
4日日曜日のNHKの放送に特ダネが盛りこまれていたとしたら、それはニュースでも科学ドキュメンタリーでもスポーツでもドラマでもなく、Eテレの夜の番組「クラシック音楽館」にあったのではなかろうか。ブラームスとかベートーヴェンとかいったありきたりの曲目だと見過してしまうが、この日は未知の曲が並んでいたので期待するでもなくチャンネルを合わせて流していた。N響第1959回定期公演で、曲目は、バレエ音楽「ペリ」(デュカス)、「シェエラザード」(ラヴェル)、「牧神の午後への前奏曲」(ドビュッシー)、バレエ組曲「サロメの悲劇」(フロラン・シュミット)。コンサートの前半・後半の幕間に当たる時間に、この日の指揮者ステファヌ・ドゥネーヴ(初めて聞く名前…)が各曲について解説をする。ぼんやり聴いていたら、「サロメの悲劇」の音楽の作り方を学んでストラヴィンスキーは「春の祭典」を書いたのだと語るので、びっくりしてしまった。これまで読んだことも聞いたこともない話だが、現役第一線の指揮者がそう言うのだから、確かにそう言える部分があるのだろう。これは私にとっては立派な特ダネだ。ストラヴィンスキーの三大バレエ曲はそれまでの音楽史から考えると突然変異的な要素が多いので、彼はゼロからこれらを創造したのだろうと思い込んでいて、紛うことない「大天才」のイメージがあったのだが、そのイメージが修正を余儀なくされる。「サロメの悲劇」はストラヴィンスキーに献呈されているとのことであり、とするとフロラン・シュミット(初めて聞く名前…)はストラヴィンスキーの作品に影響を受けて作曲したのであろうから、ストラヴィンスキーにしてみれば自分から出ていった影響が自分に戻って来ただけなのかもしれない。しかし「サロメの悲劇」が発表された1907年は「火の鳥」「ペトルーシュカ」が世に出る前なのだ。
とはいえ、創造に影響関係は付きものだ。ピカソはブラックの仕事から大いに刺戟を受けたであろうし、ゴッホも日本の浮世絵を見なければあんな画風にはならなかったかもしれない。ベートーヴェンもハイドンやモーツァルトがいなければ彼独自の作品世界を拓けなかっただろうし、シェークスピアも同時代の劇作家や詩人からさだめし多くを学んでいただろう。ストラヴィンスキーもピカソやゴッホ程度には「人並み」だったのだ、という依然として浮世離れした話に落着くのかもしれない。
余談。窓を開けて聴いていたので、外の虫の声が入り込んできて、そんな中でドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」を聴くのはなんとも幻想的であった。
(池田康)
posted by 洪水HQ at 10:39| 日記