
みらいらん11号(火竹破竹)でたなかさんの詩の特徴を「この詩人の詩法はイメージの百叉路を奇妙なリズムで編み上げるシュルレアリスム亜種であり……」と書き、この本の裏表紙の紹介文には「奇韻の前衛の探求者たなかあきみつによるイメージとリズムの錯綜が行方しらぬ未踏のラビリンスをつくりあげる28篇。」と記したが、まさにそのような作品が並ぶ。タイトル作と言える2篇の「境目、あるいは越境」は大病を患い緊急入院して死を覗き見たときの経験を書き留めたもの。さらには伴侶との死別をうたった重要作品もあり、前衛的な書き方の背後に生の重さをひそませている。
造本は洋書ペーパーバックのテイストを目指した、カバーも帯も見返しもない簡素なもの。この造りの本を〈RAFTCRAFT〉のサブレーベルで出すことにした。「RAFT」は筏、「CRAFT」は細工とか工芸とかの意味があり、また、船、飛行船、宇宙船の意味もあるので、「いかだ飛行船」の意味とするのも面白いかと。これは詩誌「虚の筏」からの発想。
表紙はリトアニアの画家スタシス・エイドゥリゲヴィチウスの作品「King Ubu」が飾っている。これはアルフレッド・ジャリの戯曲「ユビュ王」のこと。
さて収録作からなにか一篇紹介したいが、裏表紙には「空の灰青へ」の一部を載せたが、ここでは「(ウナギのうしろ影は)」を引用しよう。他の作品と比べて重要性はどちらかというと低そうだが、たなかさんの詩法が純粋かつ柔軟に、微量のおかしみとともに、わりと辿りやすい形で繰り出されていると思われるので。
ウナギのうしろ影はもっぱら
鰓蓋もどきのレンズどうしだとしてもレアル
しどろもどろにメビウスの蝶結びが切断されて
その血がばしゃばしゃ滲む《レアル》の岸辺で
いつも掴み損ねていた
ウナギの行方については
Alzheimer氏の記憶の遠い声はまったく言及しない
ウナギを追う眼光のカンテラの火影にも
ウナギの肉の動線はのたうちまわる鞭
いわば眇で撫で肩でやみくもに
夏の嗄れ声が回廊に与する、それとも
その頭頂部でもっと暗い稲妻はぎざぎざ弾けよ
ウナギののたうち、すなわちグイッツォの
ぬるぬるした質感についても放火の
記憶の消失が実景の焼失と折りかさなれば
ウナギの棲む川の水嵩はますます空荷になるだろう
ウナギの陽炎に最接近する《無題》という名の苛烈な水域
ウナギの流木、すなわち後年の旅路の友・鰻煎餅とて
脳裡の黄緑の沼地を蛇行するウナギ切手の図柄
流木の残水は無観客の頭部に刺さる折れ釘になる
やや細身の生物の元高校教師の脳内で
またもや健在の溶けない《氷の塔》の方位がずれる、
あるいはマンディアルグ氷河の火花散るアヴェマリアよ
シューベルトの喉の冬の《迷子石》のころがり係数はウナギのぼりだ
(池田康)