2023年03月06日

フェルドマンの聴き方

ピアニスト・井上郷子のリサイタルを聴く。3月5日夜、東京オペラシティ・リサイタルホール。プログラムは三人の作曲家、モートン・フェルドマン、伊藤祐二、リンダ・カトリン・スミスの作品からなる。いずれもピアノという楽器を比較的シンプルに使っていて、名人芸や超絶技巧は出てこないという点で共通している。
フェルドマンの音楽はわかるかわからないかで言うと憚りながら「わからない」部類に入るが、彼のあやうい音楽思考が感じられればとりあえず良いのだろう。音の横のつながりが旋律を成したり明瞭な楽想の魅惑を形成したりしてはおらず、むしろ淡々とした音の無作為の生成と消滅以外の何ものでもないとも言え、音の粒が天から降ってくるのを茫然と見守る感じだろうか。滝に打たれて洗礼されているような、という比喩的表現も当たっているかもしれない。ただし激しい滝ではなく、ごくごく楚々とした神秘の滝なのだが。今回最後に演奏された「ペレ・ド・マリ」のようなフェルドマンの長い曲はむしろ家で仕事をしながら「そば耳」で半意識の外れのところで聴くのがよいようにも思う。だからコンサート会場でも暗くせずに昼のように照明をつけて、皆さんなにか読みながら聴いて下さいという形でやってみるのも音楽のあり方として面白いのではないか。
伊藤祐二「偽りなき心 II」もとてもベーシックなところで音楽を組み立てようとしていて、固唾を呑むのだが、謎めいた和音や、和音とも言えなさそうな音の塊も出てきて、この曲はもとは木管五重奏だったというから、そのときにどんな響きをなしていたのだろうと想像でそわそわした。
スミス作品(2曲)は、華やかな響きと認知しやすい音型、陶酔的反復などを特性として有していて、リスナーフレンドリーの愛想の良さがあるからピアニストも心安らかに弾くことができたのではないか。後半に演奏された「潮だまり」は委嘱作品で世界初演、コンサートの点睛的演目になっていた。
(池田康)
posted by 洪水HQ at 15:46| 日記