2023年04月17日

野村喜和夫対談集『ディアロゴスの12の楕円』

ディアロゴスの12の楕円カバー画像.jpg野村喜和夫の対談集『ディアロゴスの12の楕円』が完成した。「みらいらん」に連載した対談を中心に、「現代詩手帖」掲載の3本も収録している。対談相手は小林康夫、杉本徹、北川健次、篠田昌伸、石田尚志、有働薫、福田拓也、阿部日奈子、江田浩司、広瀬大志、カニエ・ナハのみなさん。A5判、280頁。定価税込2420円。
この本は最初〈詩人の遠征〉シリーズに入れることを考えたのだが、188×120ミリのこのシリーズの判型で組むと頁数がとんでもなくかさばるので、このシリーズの番外シリーズ〈extra trek〉の1巻として、A5判で制作した。〈trek〉は巻頭に置かれた詩篇「(ダウラギリ・サーキット・トレッキングのように……)」に由来している。
装丁は巌谷純介氏にお願いしたが、カバーデザインの二つの楕円の中の野村さんの横顔の写真は、カニエ・ナハさんとの対談の写真撮影の折についでに撮ったもので、装丁の素材として渡したものの、こんな形になるとは驚き。
楕円形は本書のタイトルから来ていると思われるが、なぜ楕円なのか、「あとがき」からそれに関連する部分を引用紹介しよう。
「「みらいらん」連載の対談は、東京世田谷のわがカフェ「エル・スール」で行われた。コロナ以前には公開形式であったと記憶する。カフェにはアンティークな趣の長楕円形のテーブルがあり、私たちはそのテーブルを囲んで語り合ったが、考えてみれば、二つの中心をもつ楕円は、まさにディアロゴス(対話)のあり方を図形的に象徴するようなところがあろう。タイトルに楕円という語を入れたゆえんである。」
また、カバーの袖には次のような紹介文を置いた。
「詩人・野村喜和夫が哲学者、美術家、作曲家、そして仲間の詩人たちと交わす12の対話篇(ディアロゴス)。二つの中心の力学作用が描く図形はあるいは文学の常識の底を破り、あるはジャンルの垣根を越えて遊行、生の声のぶつかり合う緊張と波乱を勢いにして唯一無二の思考の現場を創造するだろう。」
扱われるテーマの幅広さをおわかりいただくために、目次の並びを下に再現してみる。ちょっと読んでみたいと感じていただければありがたい。

【@ 野村喜和夫の詩と詩論をめぐって】
vs小林康夫 閾を超えていく彷徨 詩と哲学のあいだ
vs杉本 徹 言の葉のそよぎの生起する場所へ

【A 異分野アーティストを迎えて】
vs北川健次 共有する記憶の原郷に響かせる
vs篠田昌伸 〈詩と音楽のあいだ〉をめぐって ゲスト=四元康祐
vs石田尚志 書くこと、描くこと、映すこと

【B 詩歌道行】
vs有働 薫 現代フランス詩の地図を求めて
vs福田拓也 『安藤元雄詩集集成』をめぐって 特別発言=安藤元雄
vs阿部日奈子 未知への痕跡 読む行為が書く行為に変わる瞬間
vs江田浩司 危機と再生 詩歌はいつも非常事態だ
vs広瀬大志 恐怖と愉楽の回転扉
vs杉本 徹 ポエジーのはじめに散歩ありき
vsカニエ・ナハ 二十一世紀日本語詩の可能性

コロナウイルス感染が始まってからは無理になったが、「みらいらん」の対談はイベントとして聴衆をカフェに招き入れて開催していた。そのときの熱気がなつかしい。
(池田康)
posted by 洪水HQ at 10:01| 日記

2023年04月16日

流離の意志

今、シルヴィア・ビーチ『シェイクスピア・アンド・カンパニー書店』(中山末喜訳、河出文庫)を読んでいる。20世紀初頭のパリに誕生した本屋で、ジェームズ・ジョイス『ユリシーズ』を刊行したことで名高い。アメリカ人のシルヴィア・ビーチはその店主で、この本は紛れもない本人の回想録ということになる(1959年刊行とのこと)。店は店主の英米文学紹介の志ともてなし力もあり当時の文学者や文学愛好者の“ハブ”のような存在になる。書かれている様々なエピソードの中で、やはりジョイスの『ユリシーズ』の刊行を目指す艱難辛苦が一番の見所だろう。アメリカ、イギリスで禁書扱いになり、出版しようという版元はなく、印刷所も処罰を恐れて印刷を引き受けたがらない。そこでパリの小さな本屋が出す決意をしたわけだが、その途轍もない苦労には読んでいて頭が下がる。そしてここに描かれるジョイスの姿には自らを母国から(世間の良識から)追放した流離の気配が濃厚で、強く印象に残る。
さて昨日は吉増剛造さんの詩と音楽と映像のリサイタル「剛造とマリリアの映画小屋 DOMUS × 大友良英」が恵比寿の現代アート書店NADiff a/p/a/r/tで開催された。この店、名前は知っていた(以前「洪水」誌を扱っていただいたこともある)が、訪れるのは初めてで、駅からは近いのだが、裏道から更に街区の内奥へ入っていったところにあり、ちょっとした秘境の雰囲気がある。このような催しを開催するというのはやはり“ハブ”たらんとする思いがあるのだろうか。店の奥にステージのスペースを作り、観客席は30ほど。非常に背の高いスピーカーがステージの左右に二本立っていて、これが威力を発揮することになる。今回の催しは詩集『Voix(ヴォワ)』が西脇順三郎賞を受賞したのを祝ってという趣旨だった。まず伴侶のマリリアさんが歌を数曲。エレジー風、サイケデリック調、ロックチューン様などいろんなタイプの歌が奏されたが、哲学的自問を核にくるんだ、長くやわらかく叫ぶような歌唱は独特で、夢の空間の中で歌が身を自転させているような魔力があった。後半は吉増さんとノイズ音楽の泰斗大友良英氏(ギターとパーカッション)の共演で、詩と音楽がぶつかった。吉増氏の詩朗読はこれまで映像も含めて何度か聴いているが、ここまで激した「声」はかつてないことだった。音楽と共演すると詩の朗誦はこんなにもエキサイトするものなのか。白石かずこさんがサックスやトランペットのジャズプレーヤーと共演した朗読を思い出すし、フリージャズのセッションに近いとも考えられるが、それよりも更に過激な感じがしたのは、ジャンル的常識、予定調和の落としどころを持たず、なにか底の抜けているような土俵の例外性があるからだろうか。双方の表現が刺戟しあってうねりの山を大きくするということもあるのだろう。両人ともジャンルの中心のオーソドキシーを離れ辺境を冒険する“流離”の意志を抱いており、それが共鳴しているとも見えた。そしてサウンドシステムの力強さがこの共演の音響をさらに迫力あるものにしていた(ライブハウスで激しいロック音楽を聴くのと同じくらいの音の破壊力…)。映像=鈴木余位。
(池田康)

追記
林浩平さんのレポート:

posted by 洪水HQ at 10:44| 日記

2023年04月11日

催しなど

年明けからこの方、単行本の制作が重なり、相当に忙しい思いをした。それも、もう一息で完了というところまで来ている。ご案内をいただいた催しで、行きたいと思いながら行けなかったものもいくつかある。
今は次のような情報をいただいている。
吉増剛造さんのイベント:
http://www.nadiff.com/?p=30209
古居みずえさんの新作ドキュメンタリー映画:
http://iitate-bekoya.com/
こちらは主な上映期間が過ぎてしまっているようで、紹介が遅くて申し訳ないが、またどこかでやるだろう。
私も見に行く気持ちはあったのだが、上映時間180分と書いてあったので、長い!と怯んで二の足を踏み、そのせいで見逃した。
みらいらん次号は「映画は夢に溶ける」という特集を予定していて、座談会を収録するなどすでにかなり進めている。
(池田康)
posted by 洪水HQ at 13:23| 日記

2023年04月07日

自然で明るい異端

昨日、Ayuoさんのコンサート「色を塗られた鳥、時空を舞う」を杉並公会堂小ホールで聴いた。曲目は、足立智美作曲「蝶が猿とあくびする(パーヴェル・ハースに倣って)」、中村明一作曲「月白」、Ayuo作曲の組曲「色を塗られた鳥、時空を舞う」の3曲。
「蝶が猿とあくびする」はパーカッションと弦楽四重奏が軽快に音を刻む(合わせるのが大変そう)第一楽章と、歌声が語りの要素を残したユニークな形を描く第二楽章とからなる。ここで終わるのか、もう一つ二つ楽章があってもよいのにという気もした。
「月白」は尺八と弦楽四重奏の曲。最初は現代音楽ハードコアといったかんじで油汗が出かかり、次のパートでは柔らかでなごやかな弦楽合奏、その次のパートでは尺八が本来の強い響きを発し……といったかんじで展開していく。中村氏がこれを作曲したのかと、そのことに恐れ入った。
「色を塗られた鳥、時空を舞う」は一時間にもわたる大曲で、ある程度物語に沿った音楽の展開になっているようだ。映画「異端の鳥」(2019、バーツラフ・マルホウル)からモチーフをもらってきているということで、この映画については、弊社刊の高橋馨詩集『それゆく日々よ』収録のエッセイで論じられていたので知っていて、映画そのものも見ている。東欧と思しき場所での一人の少年の過酷な運命を描き、Painted bird=異端者の苦難を見つめる。この作品を取り上げたのは、Ayuo氏自身がアメリカでも日本でもマイノリティの側にいると感じているからなのかもしれない。
Ayuoさんの音楽の特徴は、私が受ける印象では、自然で明るい、ということだろうか。奇をてらったり小賢しくこしらえたり無理をするかんじがなく、おおらかに素直に音が運ばれてゆく、その心地よさが根本のところにあり、その上で、ところどころでアナーキーにカオス的に音が飛び交いぶつかり合う場面が出てきて虚をつかれたりする、その効果もある。天性の素心の明るさについては、特に最終楽章の全員での合奏が曲全体をまとめるためもあってか、あたかもハ長調の基本和音を最終的に志向しているかのような健やかな明るさに満ちていて多幸感があった。非常に惹きつけられたのは、ピアノ(高橋アキ)とパーカッション(立岩潤三)と撥弦楽器(チターのような楽器とギター、Ayuo)の三重奏がアラベスク模様のような風変わりな楽想を奏でつづける楽章で、ピアノと他の楽器との距離がかなり離れていたのでさらに不思議な感じが増し、なんだこれはと耳をそばだてたことだった。この大曲を構想・実現し、歌も担当して大活躍だったAyuo氏の気合いに驚嘆した夜であった。
(池田康)

追記
「色を塗られた鳥、時空を舞う」の音楽の作り方について、Ayuo氏から詳しいご教示をもらった。
私の軽率でテキトーな評言が読者をミスリードするといけないので、氏の説明を下に引用しておきます。

「Ayuoは調性音楽を書いていなく、中世ヨーロッパの協会モードで作曲しています。それも音楽が先行しているのではなく、英語の言葉のリズムとサウンドが音のベースになっています。ピアノ、アコーディオン、ギターは和音を弾いているのではなく、白鍵盤のクラスターを弾いています。白鍵盤のクラスターと低音の持続音が上と下で動いているのです。ギターもF,G,D,G,C,Dという変則チューニングにして、FとGの単音やCとDの単音がぶつかるようにしています。こうした作りは、日本のポップスにはありません。
最後の曲、Appearancesは調性音楽に耳には聴こえるかもしれませんが、Gから始まるミクソリディア・モードで、持続音がGの単音と5度上のD、それにFの単音と5度上のCが交互に動いています。リズムは5/4、8/4、4/4と変わって行きます。これは英語の言葉のリズムが、そのような拍子に自然にはまるからです。8分音符で3,3,2で歌う部分に3連音符が重なったりします。」
posted by 洪水HQ at 12:21| 日記