2023年11月18日

丘山万里子さんの西村朗論

音楽評論の丘山万里子さんが作曲家・西村朗についての論考をインターネットで書きついでいるが、その最新回(合唱曲「大空の粒子」についてなど)がアップされた。
http://mercuredesarts.com/2023/11/14/notes_on_akira_nishimura35-akira_nishimura_and_mikiro_sasaki-okayama/
ここで紹介するのは、「洪水」誌についても書き添えれているから、ということもある。佐々木幹郎さんとの“協業”について詳しく考察されており、両者のバックグラウンドへも十分な目配りをして、非常に精緻に論が進められている。詩テキストの読み込みがとても丁寧なのも音楽評論としては異例だ。
「まさに筆者を射た句「凄惨な 青黒い大空の 粒子を飲め」の音景がここにある。佐々木の皮膚を撫で、佐々木を食べる。いや、佐々木の肌を撫で回し言葉に食らいつく西村の生理衝動が、まざまざと現出していると言えるのではないか。」という烈しい言葉も見られる。
今後、室内オペラ「清姫」やオペラ「紫苑物語」にも取り組まれるとのこと、楽しみにしたい。
(池田康)
posted by 洪水HQ at 13:13| 日記

2023年11月12日

ゴジラあれこれ

映画「ゴジラ -1.0」(山崎貴)をおそるおそる見る。大迫力。VFXという技術はここまで精巧なものになっているのかと驚嘆した。怪獣はとんでもない恐さなのだが、須佐之男命のイメージと重なって見えたのは、直前に「ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃」を見て、大和古代怪獣という考えになじんでいたからだろうか。須佐之男はあんな姿をしていたのだと想像するのも面白い。
今作でもゴジラは最終的に人間たちによって退治、駆除されてしまうわけだが、まったくどうでもいい余談になるけれど、ゴジラ物語においてそこまで人間に花をもたせる必要はないような気もする。地震も台風も退治などできるわけがなくただ通り過ぎるのを待つだけであり、それと同じで、人間たちがあらゆる手を尽くして戦うも成功せず万策尽き絶望したところで、ふとゴジラの気が変わって海へ帰ってゆくというシンプルさでもいいし、母恋で故郷へ向かうのでもいい。無数の鳥が集まってゴジラをつつんで夢遊病にさせるのでも、花の匂いに誘われて山奥に行くと巨大な花が咲いてそいつに喰われてしまうのでもいい。突然ばらばらに細かく壊れてしまいその欠片が燃料になったり建築資材になるというのでもいいし、悪夢の大地震が起きて亀裂に落ちてしまってもいい。そんな物語のあり方もなんとはなしに夢想してしまうのは、ゴジラへの(須佐之男への)判官贔屓?の思い入れによるのだろうか。
今回も伊福部昭の音楽が使われていたが、“リスペクト”はわかるけれど、そこまで執着しなくても、新しい世代の音楽家に挑戦の機会を与えてもいいように思う。
(池田康)
posted by 洪水HQ at 15:22| 日記

2023年11月04日

詩素15号

詩素15表紙b.jpg詩素15号が完成した。
今回の参加者は、海埜今日子、大橋英人、小島きみ子、坂多瑩子、酒見直子、沢聖子、菅井敏文、大家正志、高田真、七まどか、南原充士、新延拳、二条千河、野田新五、肌勢とみ子、八覚正大、平井達也、平野晴子、南川優子、八重洋一郎、山中真知子、山本萠、吉田義昭のみなさんと、小生。
ゲスト〈まれびと〉は、野村喜和夫さん。
巻頭は、池田康「にじ」、高田真「夏草」、山本萠「虹の幻影」。
表紙の詩句は、ウィリアム・ブレークの「病気の薔薇」。
裏表紙の絵は野田新五さん作。
ぜひご覧下さい。
(池田康)
posted by 洪水HQ at 14:49| 日記

2023年11月01日

近況もろもろ、そして菅原克己

3時間以上の映画を劇場で観るのは体力的・体調の面から難があるので避けてしまう。DVDを借りるかテレビ放映されるチャンスをとらえて見るほかない。そんなわけで、今年の初めごろ話題になっていた「RRR」(S・S・ラージャマウリ)や「バビロン」(デイミアン・チャゼル)も最近になって小さなテレビ画面で鑑賞した。前者はイギリスの植民地支配を背景にしたインド人の叛逆の物語、後者はサイレント映画からトーキーへと移行する時期のアメリカ映画業界内の役者と製作者の悲喜劇。いずれもド派手な演出と展開で、やたらと狂躁で、映画大国はこういうものを作るのがうまいねと感心しながら(呆れながら?)見ていた。もちろんスクリーンで見ていればもっとずしんと来ただろう。少しばかり残念。
さて先週、望月苑巳さん主宰の詩誌「孔雀船」の100号記念パーティに参加して(望月さんの映画の本『スクリーンの万華鏡』も販売した)、青森からご来駕の船越素子さんなどいろいろな方に会えて喜ばしいことだった。金井雄二さんとも彼の新著について少し話した。この本を簡単に紹介したい。
金井雄二著『げんげの花の詩人、菅原克己』(書肆侃侃房)は、昭和という時代を通して、その激動にもまれながら、たゆまず詩作し続けた詩人・菅原克己の生涯と作品を丹念に辿っている。その文章はこの詩人に対する尊敬と愛情を十二分に含んで暖かい。私など、エッセイを行分けにしただけみたいな詩に接すると、反射的に苛立ちや抵抗を感じてしまう方なのだが、菅原の詩もそのようなものが少なくない(らしい)のだが、金井氏の解説とともに読むと素直に良さが伝わってくるから不思議だ。「赤旗」の印刷者から出発して、日常生活を大切にし、多くの詩人を育て、励まし、生涯にわたり文学的信条を変えなかったこの詩人の姿は清々しい。有名な「ブラザー軒」という作品は、菅原克己の全詩業の中でも別格の一作だという印象を、本書を通読することで得た。
それにしても、菅原克己の平々凡々を基調とする穏やかな詩世界と、「RRR」や「バビロン」の狂躁をきわめる映像世界とでは、なんと大きな径庭のあることか。どちらも人間の表現だというのが不思議に思えてくる、そんな十月だった。
地球の或る地域では根の深い戦争が起こっていて別の地域ではハロウィン騒ぎの沈静化に四苦八苦している、この目もくらむ径庭は真実でしかないのだが。
(池田康)
posted by 洪水HQ at 18:42| 日記