2024年07月28日

涼をもとめて

個人誌「壁画」14号を作った。下記のリンクからご覧下さい:
http://kozui.sakura.ne.jp/artnote/hekiga/hekiga14.pdf
一服の清涼剤……にはならないとしても、読む人によってはナイトメアの残滓のからまる架空の風を感じていただけるかもしれない。

暑さ厳しいこのところの日々、涼を感じたもの。
駅ビルのカフェで飲んだ柚子スカッシュ。濃厚で、柚子を3つくらい使っていそう。
P・K・ディック『いたずらの問題』(ハヤカワ文庫、大森望訳)。その問題提起は過激で正当で鋭い。
ウィーン国立歌劇場の「トゥーランドット」(NHKBS放映)。マルコ・アルミリアート指揮、タイトルロールをアスミク・グリゴリアン、カラフをヨナス・カウフマンが歌う。演出設定全体が寒冷で、トゥーランドット姫に仕える(彼女の心内部の?)四人の人形風侍女も気味悪い。
そして有働薫さんからいただいた「Quattro朗読会 韻律磁場へ!」(2018.6.30)を読んでいたら、次のような一篇に出会った。これも相当にひんやりとする。

 クライオニクス
 ロシア モスクワ 他の都市でも
 死の夢
 わたしは言語労働者だけど
 くたびれた脳を外して
 ちょっと冷凍保存されたい
 (有働薫「詩誌「カルテット」4号に寄稿した十二の小さなプレリュード」6)

なお、一行目の「クライオニクス」は「人体冷凍保存」を意味する語のようだ。
(池田康)

posted by 洪水HQ at 21:56| 日記

2024年07月01日

みらいらん14号完成

milyren14.jpgみらいらん14号が完成した。
今回の特集は「詩と俳句を貫くもの ──高岡修を中心に」。
小説家の藤沢周さん、城戸朱理さん、そして高岡修さんの三人による座談会「世界の中枢を言葉の針で刺す」は3月に鎌倉で行ったもの。私はこの時初めて高岡さんに会った。「洪水」や「みらいらん」には何回もご寄稿いただいていたし、詩集や句集も何冊も拝読していたが、書かれた作品から想像されるイメージとはかなりずれた、陽気で冗談好きで人懐こいお人柄は、初めて会うとは思えない親愛の空気を発出していた。座談会では詩と俳句と小説の相違する点、重なる点といった文学理論の面から、高岡さんの遍歴の物語まで、そして最新作(詩集『微笑販売機』と句集『蟻地獄』)の鑑賞も含めて、多岐にわたる内容となった。エッセイは、富岡幸一郎、堀田季何、石田瑞穂、渡辺めぐみ、松尾真由美、平川綾真智、うるし山千尋、八木寧子、柴田千晶の各氏が寄せて下さった。詩と俳句とを合わせて考える絶好の機会となったと嬉しく思う。
巻頭詩は、蜂飼耳、田中庸介、八重樫克羅、北條裕子、青木由弥子、肌勢とみ子の皆さん。
表紙のオブジェは國峰照子さんの「出口なし」と「虚ろ」。その他詳しくは下記のリンクからご覧下さい:

それから、今回、編集途上の5月にメインのパソコンの故障、買い替えという厄介な危機を経ることになった。それに関連して、最終ページの「巻末遁辞」で、「パソコン更新で最も繊細な齟齬は、古いパソコンに入っていたフォントが新しいパソコンに入っていないというささやかな障害だ。よくある明朝とかゴシックなら粛々と代替を考えるが、特殊なフォントで記事のタイトル部分に使っている場合はやっかいだ(アウトラインをかけておけという話だが)。なるべく変えたくない。補助のノートパソコンで見つかったり、昔購入したフォントのCDROMの中に入っていたりして解決できたものもあるが、どうしてもない場合は前号のPDFの該当部分を画面上で拡大してスクリーンショットで画像化するという乱暴な最終手段を取らざるをえなかった箇所もあり、今号のどこかがそうなっている。お気づきだろうか。」と書いているが、後でこれはナンセンスだと気づいた。版下に使うPDFはフォント情報も含んでいるから、スクリーンショットなど無用、PDFをそのまま使えばいいのだ。窮地に陥ったときに必ずしも最善のアイデアが浮かぶわけではないという見事な一例だろうか。
(池田康)
posted by 洪水HQ at 15:39| 日記