2024年08月31日

29日から今日にかけて

一昨日は池袋で行われた神山睦美さんの書評研究会に出席し、帰宅するやばたんきゅうと寝て、翌朝起きると大変な豪雨、はるか西にある台風がここまで触手を伸ばしてきたかと驚愕。次の翌朝未明(つまり今朝)もまたまた豪雨、やめばしばらく洗濯外干しできる天候となった。変化が激しい。
29日の会は神山さんの新著『奴隷の抒情』が対象となった。江田浩司さんのレジュメ報告。参加したのは、この秋に神山さんと岡本勝人さんとで対談していただき小林秀雄について語り合っていただくという計画があるため。これは「みらいらん」次号の小特集の柱となる予定だ。今回の書評研究会のダイジェストを紹介するページも作ることになっている。
池袋からの帰り、横浜に出ようと副都心線に乗ったら行先がなんと湘南台となっていて、日吉から新横浜、そして相鉄線に入るという経路で、少し遠回りにはなるのだが、そんな列車が走っているのかと驚いたことだった。
(池田康)
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2024年08月24日

佐保田芳訓遺作品集『五月の雪』

カバー画像3.jpg歌人の佐保田芳訓さんが昨年8月に亡くなり、遺された作品を一冊の本にまとめたいというご家族の意向を受け、4月ごろから作業を開始し、歌誌「歩道」発表の多くの短歌やエッセイをテキストデータ化する大変な作業を経て、奥様・美佐江さんの原稿整理と校正作業の尋常でない頑張りもあり、ようやくこの遺作品集『五月の雪』が完成した。タイトルは台湾の花、油桐花の愛称(真白でハラハラと散るからとのこと)。この花を描いたカバー装画はご長男の芳樹さんによる。息子の彼が台湾に住むことになったため、佐保田さんはたびたび台湾を訪れていて、短歌も作っている。

 結納式披露宴など忙しなくひと日の終り夜市に遊ぶ
 風化して棒状の岩いくつ立つ野柳岬の黄の岩盤に
 東支那海に日の沈みゆき淡水の河の河口に紅残る
 仕事より解放されてみづからの時とし淡水の河渡りゆく
 基隆の港に近きこの丘に蟬鳴き蜻蛉蝶の群れ飛ぶ
 雨上り青空見ゆる台北の街にふたたびスコール来たる
 マングローブに無数の赤き実の成りて見つつ行くとき泥の香のする

帯に載っている6首は

 沈黙の星満ちをりて白雪の富士山朝霧高原に顕つ
 相似たる妻と娘の話す声分ち難きはその笑ひ声
 雨上る淡水河をくだるとき東支那海の海黒々し
 花過ぎし泰山木に蟬の鳴く妻の病院に六年通へる
 用なきに亡き先生を訪ねゐる暁の夢覚めて楽しむ
 千本の桜花咲く多摩川のほとりを病癒えて歩める

エッセイはすべて「佐藤佐太郎研究」の章題のもとにまとめている。どの篇にも佐藤佐太郎は登場し、重要な役割を果たしている。ここに収まる70篇余を読むと「歩道」の総帥だった佐藤佐太郎がどのような短歌思想を奉じて制作に臨んだかが非常によくわかり、佐保田氏がいかに師を慕い、その教えを重視し忠実に書き残して伝えようとしたかが痛いほどわかる。佐保田氏が講師を担当した現代歌人協会主催の「ザ・巨匠の添削 ──添削から探る歌人の技と短歌観──【第一回】佐藤佐太郎」の講演録が収録されているのも貴重だろう。
むすびに、最晩年の、最も死に近い作品、令和5年2月号の5首を紹介する。

 高層のビル立ち並び残されし寺あり境内に黄の公孫樹照る
 奥多摩につらなる山の空澄みて皆既月食の月昇りゐる
 癌を病み心病まざるみづからを過ぎゆく日々にいたはり生きん
 青木ケ原樹海の中の道をゆく清水港にて待つ人のをり
 愛宕山をめぐり高層ビル群の間近に見ゆる病室にをり

(池田康)
posted by 洪水HQ at 14:30| 日記

2024年08月21日

遠くへ向かう眼差し

DSCF3508.jpeg昨日、南青山MANDALAで吉増剛造さんのイベントが開催された。往路、PASMOが(3千円チャージしたら)使用不能になる突発事故があり慌てたが、なんとか辿り着く。
第一部はご伴侶マリリアさんの歌唱、5曲ほど。ジャンルを超越した、歌い手の半意識の詠唱とも言えそうな、音響の効果も相まってサイケデリックとも称されそうな、自由奔放という言葉そのままのようでもある歌で、どうやって構成制作しているのだろうと不思議に思う。ライブハウスの音響設備がよく効いていて低音のリズム打刻が身体に強く響いてくるのが久々の体験で良かった。
第二部は吉増剛造・今福龍太両氏の対談、今福氏の新著『霧のコミューン』をめぐって。前半は6月に92歳で亡くなった沖縄の詩人・川満信一さんとの交わりについてで、今福さんが親しくしていた川満さんに、なぜか近づけなかった、親しくなれなかった、なぜだろうと訝しむ吉増さん。探りながら話を重ねていくうちに、島尾敏雄に対するアプローチの角度が違っていたのだという「遠因」に辿り着くまでがスリリングで、達人のように見える吉増さんの煩悶の表情も新鮮だった。
対談後半の主要な話題はラファエロやダ・ヴィンチの描く幼子イエスの眼差しが画家の目の位置を見据えずどこか遠くを見ている、その真意についてだったが、たまたま今、シュペルヴィエルの「秣桶の牛とロバ」を読んでいて、生まれたばかりの赤子イエスを牛とロバの視点から物語る話だが、牛がイエスの面差しに奇妙な遠さ遥かさを認めて戸惑う場面を思い出し、符合を覚えた。
それから「霧」の話、ガローワ(ブラジルの朝の霧雨)の話、カフカやゴヤの恐るべき暗みを帯びた話など。
画像はこの日配布された詩原稿の一部。この日の朝できたばかりの作品とのことで、朗読され、生成のなまなましさ、思考の唯一固有の息吹が迫ってきた。
(池田康)
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2024年08月06日

湯浅譲二さん逝く

岩崎美弥子さんから湯浅譲二先生ご逝去に関して哀悼のメールをいただいたので、次のような返信をした。

湯浅先生のこと、ご冥福をお祈りしたいと思います。
「洪水」をやっていた時代には、特集を組んだり、本当にお世話になりました。
単行本(川田順造氏との共著)も出させていただきました。
昨年は、ご病気のせいもあり、作曲に難を感じておられたらしいのは残念なことでした。
挑みたいとおっしゃっていたオペラ作品も実現しなかったようでこれも残念です。
「みらいらん」の時代になってから作曲家たちとの親交は薄くなり、
湯浅先生とも申し訳ないことにかなり疎遠になってしまいました。
94歳ですか、長寿を享受された大往生とも言えますが、
100歳の作曲家が生み出す音楽を聴かせていただきたかった
という思いも少しあります。
これで武満徹の世代の作曲家がほとんどすべて去った、
ということになるのでしょうか・・・

湯浅さんは忖度なしの直言居士という印象があった。自分の意見を曲げることがない。1930年前後生まれのあの世代の鮮烈な雰囲気を常にまとっていらした。
最後にお話ししたのは、何年前か正確には覚えていないが、リサイタルで演奏された小さなピアノ曲について、内声の動きがよかったと素朴な意見を言ったら、喜んでおられたのを思い出す。
「洪水」8号の特集「湯浅譲二その花の位」から湯浅さんの発言を抄出したい。
川田順造さんとの対談で、聴衆のことを念頭において作曲をするのかと尋ねられて:
「そこは、すごくおこがましいんですけど、本当は僕がいいと思う、面白いと思うような音楽を書きたいと思う。なぜかというと、うぬぼれかもしれませんけど、自分はものすごくいい聴衆だと思っているんです。理想的な聴衆が僕の中にいる。その僕がいいと言ったら、いいんだろうと思うんです。ですから僕自身が聴きたいと思っている曲がうまくできて、ああよかったと思うような曲を書きたい。つまり理想的な聴衆の代表として僕はいるというふうに思わなければできないと思うんです。ですから他の人が聴いたらどうかということは思わない。ただ、自分の曲を、他人の曲を聴くように、いつも聴きたいと思うんです。自分が作った曲だからということではなくて……。つまり、誰かが作った曲を、自分という他人が聞くんです。これは訓練すると出来るようになると思うんです。」
インタビュー(聞き手は小生)で、「クロノプラスティック」「オーケストラの時の時」など、時間に関することを曲名にしていることについて:
「たとえばバッハの作曲法の中に、もちろん逆行、反行なんていうのもありますけど、拡大縮小というのがあるでしょ。たとえばフーガの技法だって、四分音が基本に書かれているのを二分音を基本に書く、同じメロディの全体が倍に伸びるわけです。拡大縮小はトポロジカルにいうと、ある一点に光があり、そして物体があって、その光の影を倍の距離に移すと、映されたものは倍になる、それが拡大縮小の原理で、トポロジーは別名で射影幾何学ともいうんです。さらにグニャグニャに曲がっているところに映して引き延ばすと、伸びたり縮んだりしていることになる。それをぼくは「クロノプラスティック」でやろうと思ったんです。」
芭蕉の俳句を音楽化することについて:
「言葉は十七文字しかないですけど、それが含んでいる背後的世界は広大なものです。音楽は言葉を音楽にするだけではなく、その言葉でなにを表現しているか、その世界を音楽にしようとしますから、俳句が短くてもその意味では全然関係はないんです。ぼくは、これも実験工房のころからずっとそうなんですけど、人間にとってどこから音楽が生まれてくるかということをよく議論していたんですけど、原始的な人間が言語を獲得して、自分を「私」と言った時に、私と呼ぶ自分と呼ばれる自分というふうに二元的に分裂するじゃないですか。言葉がなければ犬や猫と同じように一体化しているわけですね。ですからそれまで自然や宇宙の中に一体化して生きてきた動物的な人間が言語を獲得し、言語によってものごとを相対化し、自分対自分以外の世界という構図が生まれてきた時に、宇宙への畏怖感が一挙に迫ってきて、畏怖感があるとお祈りをしたりする、そこから音楽が出てくると思っていた訳です。」
独自の思考の歩み。湯浅さんの若々しい活気を改めて感じる。
(池田康)
posted by 洪水HQ at 11:09| 日記