寒さが増してきた。夜は掛け布団3枚に毛布も加えて凌いでいる。ガジュマルの鉢も室内に移した。分厚いコートを着て外出することも普通になった。
19日(火)にはパーカッショニストの上野信一さんとオルガニストの大平健介さんとのデュオリサイタルを聴いた(武蔵野市民文化会館小ホール)。これについては「みらいらん」次号でレポートをするつもりでいるが、打楽器とオルガンという楽器の組み合わせは聴く側にとっても簡単ではなく、なんとなく書きあぐねる気味なきにしもあらず。上野さんは以前と変わらず元気そうだった。
土曜日には国分寺の司画廊での山本萠さんの個展に足を運んだ。会場で平井達也さん、肌勢とみ子さんと会う。この日、朝は寒かったが日中はいい天気で過ごしやすい気候になった。往路・帰路に南武線・武蔵野線を使う。会期は今日まで。
「みらいらん」次号の編集は終盤だがまだ届かない原稿もあり、ヤキモキしているところ。
(池田康)
2024年11月12日
白石かずこさんを偲ぶ会
白石かずこさんを偲ぶ会が11月10日日曜日午後に開かれた(アルカディア市ヶ谷)。高橋睦郎、水田宗子、吉増剛造の三氏から始まり十名ほどの追悼スピーチがあったのだが、一言に要約すれば「友愛と残酷を合わせ含んだ天才的な素直さ」というお人柄が印象づけられた。ありし日の白石さんの映像がフリージャズ演奏を伴って上映され、朗読用の巻物の原稿を書いているところや海辺で朗読して巻物の原稿を海に放擲するところが目に焼きつく。白石かずこのドキュメンタリー映画が一本あってもよかったなとも思う。会の最後に御伴侶の菱沼眞彦氏の挨拶があり、最期の瞬間のエピソードが語られ、思いがけない楽天的な明るさに目眩を感じ、白石さんの魂が還ってきたようだった。
(池田康)
(池田康)
posted by 洪水HQ at 09:28| 日記
2024年11月09日
『玉井國太郎詩集』続報
11月4日の京都新聞の詩集評コラム「詩歌の本棚」(担当・河津聖恵)で『玉井國太郎詩集』が取り上げられた。「理由は知る由もないが、全ての作品に世界の外部に触れるような危うさと美しさがある」「最後まで詩の「夢見る力」を信じて懸命に生きたことは、作品全てから痛いほど伝わってくる」ぜひご覧いただきたい。
また詩誌「静かな家」3号の稲川方人・中尾太一・菊井崇史三氏の座談会形式の詩集評でも取り上げられ議論された。「今回この全詩集を読んで「ユリイカ」の投稿欄の八〇年代の記憶が喚起された。ぼくよりひと世代下なんだけど言葉の使い方や語彙の選択に同時代感がとても強く感じられた」「今この「静かな家」というささやかな媒体であっても、この玉井國太郎という詩人の名前を、仕事を詩史的な記憶として刻んでおきたいって、限定的な意味ってやっぱりどうしてもどこかで必要だと思うんです」(稲川方人)
また、この詩集を飾っているのが美術家・井上直の絵画作品だが、その井上さんの個展が銀座のコバヤシ画廊(中央区銀座3−8−12ヤマトビルB1)で開催されている。今日が最終日。
(池田康)
また詩誌「静かな家」3号の稲川方人・中尾太一・菊井崇史三氏の座談会形式の詩集評でも取り上げられ議論された。「今回この全詩集を読んで「ユリイカ」の投稿欄の八〇年代の記憶が喚起された。ぼくよりひと世代下なんだけど言葉の使い方や語彙の選択に同時代感がとても強く感じられた」「今この「静かな家」というささやかな媒体であっても、この玉井國太郎という詩人の名前を、仕事を詩史的な記憶として刻んでおきたいって、限定的な意味ってやっぱりどうしてもどこかで必要だと思うんです」(稲川方人)
また、この詩集を飾っているのが美術家・井上直の絵画作品だが、その井上さんの個展が銀座のコバヤシ画廊(中央区銀座3−8−12ヤマトビルB1)で開催されている。今日が最終日。
(池田康)
posted by 洪水HQ at 08:13| 日記
2024年11月04日
詩素17号


詩素17号が完成した。
今回の参加者は、海埜今日子、大仗真昼、大橋英人、小島きみ子、坂多瑩子、酒見直子、沢聖子、大家正志、高田真、南原充士、新延拳、二条千河、野田新五、肌勢とみ子、八覚正大、平井達也、平野晴子、南川優子、八重洋一郎、山中真知子、山本萠、吉田義昭のみなさんと、小生。
特別企画「追悼・たなかあきみつ」、執筆は高橋団吉(たなか氏義弟)・有働薫・広瀬大志・生野毅・南原充士・小島きみ子・平井達也の各氏。
ゲスト〈まれびと〉は、水島美津江さん。
巻頭は、二条千河「案山子」、酒見直子「姿のない鈴虫」、平野晴子「窓物語り」。
表紙の詩句は、リルケの「秋(Herbst)」。
裏表紙の絵は野田新五さん作。
ぜひご覧下さい。
詩素バックナンバー:
(池田康)
posted by 洪水HQ at 08:10| 日記