
また三年前に音楽評論『耳をふさいで、歌を聴く』を著した加藤典洋氏へのインタビューも今回の特集の重要な一部分だ。この本で扱われている奥田民生、スガシカオ、じゃがたら、フィッシュマンズ、忌野清志郎、桑田佳佑といったミュージシャンについての話に加え、ビージーズの初期の曲「ニューヨーク炭鉱の悲劇」と村上春樹の同名の短編小説にまつわる話を入り口にしてビートルズに代表される60年代の若者文化の音楽とはなんだったかという問題にまで話は広がった。
他に、嶋岡晨さんの詩とエッセイがあり、論考では山田兼士さんが吉田拓郎論を、林浩平さんが流行歌としてのロック論を、森山至貴さんがMISIA論=バラード論を、萩原健次郎さんが歌謡曲の中で働く鎮魂歌の契機についての論を、鈴木治行さんがソングライティングの問題を考究する論を、そして渡辺みえこさんが藤圭子論を、それぞれご寄稿下さった。小生が書いた渡辺美里論(思いのほか長くなった)は最後に置かれている。小エッセイ、アンケートにも有難いことにたくさんの方々にご参加いただき、にぎやかで広がりのあるものになったと思う。シンガーソングライターの及川恒平さん(六文銭のメンバー)の御参加を得られたのは望外のことだった。
今回の特集でもっとも「瓢箪から駒」の予定外の記事は山崎美穂さんと小生による、宇多田ヒカルをめぐっての往復書簡で、これは山崎さんからエッセイ原稿をもらい、それに対してこちらからなんの気なくコメントを書いてメールで返信したことがきっかけになって動き出した。「洪水」誌の歴史を通してもこんなに予想だにしなかった記事の出現は今までなかったように思う。
一つ心残りなのは、来生たかおの真の魅力を知ったのがごく最近だったということで、ワンポイントだけ53ページに印を刻んでおいたが、半年前に知っていれば小論を試みただろうに。また詳しく論ずる機会もあるだろうが、とにかく、70年代以降の日本のポップスのなかでもっともシレーヌ的なものに近づいたのが、この作曲家=歌手だったのではないかと思う。
時代とのひりひりしたやりとり、交感があるのはこのジャンルの音楽の特徴で、特集記事の一つ一つがそれを証言しているが、その前の中川俊郎さんの連載のページでも熱く語ってもらっている。
新連載として松尾真由美さんの「占星研究所」が始まった。第一回の今回はまだまだ助走で、今後どんな運命の数奇の紋様が描かれるか楽しみだ。
指揮者で作曲家の松下耕さん率いる合唱グループ・耕友会が2月に行った特別演奏会「松下耕が描く谷川俊太郎の世界」のレポートも掲載されているので(「音楽はうごく」のコーナー)ご覧いただきたい。
巻頭詩は、中本道代、細田傳造、長田典子、野田新五、米山浩平、中島真悠子の皆さんにご寄稿いただいた。ピアニストの井上郷子さんの連載エッセイ、今号は作曲家の藤井喬梓さんを論じている。
(池田康)