2014年12月03日

野田新五詩集『月虹』完成

月虹画像S.jpg野田新五さんの第一詩集『月虹』が完成、洪水企画刊で出た。書名は「つきにじ」と読む。野田さんは非常な慎重居士で、キャリアはとても長いのに、還暦を越えてようやく腰を上げ詩集を作る決意を表立って語り始めてから三年は経っているように思う。この夏から制作が具体的に動き始めて、このほどめでたく完成した次第。
野田さんの詩は、人の眼を驚かせるような派手さや斬新な趣向やどぎつい表現はなく、さりげない風貌をしているので、なんとなく読み過ごしてしまうこともあるのだが、二回三回と読んでいるうちに作品の正体と魅力が見えてきて驚かされるという経験を、この詩集を作っていて何度もした。だから心して読んでいただきたいと思うのである。
もっとも感情の激しい昂りを示すのは母親の死を悼んだ「母の便器」だろう。問答無用だ。それに続く「りきぞう」「聖なるオバケ」も追悼の思いのこもった詩篇で、後者はこの本のカバーに使われている絵の版画家、清宮質文氏の思い出を綴ったもの。野田さんは画家でもあり、この高名な美術家に心酔し、親しく交わり、手書き原稿を打ち込むなどの手伝いもしていたそうだ。
ここで一篇紹介するとして、どれにするか。「春」も面白いし、「ものがたり」も名品だが、「桃おばさん」を紹介したい。野田さんの詩人としての言葉を操る技倆をあますところなく示すユニークな作品だ。

 ふとったゆびで器用に皮を剥きながら
 おばさんは横を向いてしばらく咳こむ
 さあ、お食べ、あんたの好物の桃だよ
 青磁の皿の上に匂い立つ淡黄のむき身
 種の部分をほおばっておばさんは言う
 あたしの喘息は生まれつきじゃないよ
 あんたのお父さんが接吻したからなの
 咳をしながら何度も唇を奪うんだもの
 怖かったけれど嬉しくて身を任せたわ
 万世橋のわきにビリヤード場があって
 クリーム色の手球をキューで突いてさ
 百発百中、こわもて衆も負かされ退散
 惚れるな、と言う方が野暮ってものさ
 白いスーツにパナマ帽、髭もたくわえ
 浅草、京橋、新宿、大塚、遊び過ぎよ
 喘息はゆっくりと進行していたんだね
 あたしの前から不意に居なくなってさ
 風のたよりで熱海に行って完治したと
 聞いたけれどもそのころは世の中騒然
 あたしも結婚して子供が出来て千葉に
 つてを頼って転がり込んで戦争おわり
 ようやく東京に戻って落ち着いたころ
 あんたのお父さんのお葬式があったの
 朝鮮戦争の始まる直前、沢山の参列者
 お坊さんが二人も来て、立派なお葬式
 あんたは三歳、まるで昨日の出来事よ
 おばさん、それは違うな、葬式のとき
 千葉の病院にいたはずさ、三年たって
 東京に帰ってきたんじゃありませんか
 そのときぼくはもう六歳になっていた
 腎臓も良くないおばさんは背中を叩き
 あちらを向いてまた桃をむきはじめる
 ぼくは穏やかでやさしい気持ちになる
 そうかねェ、いいお葬式だったけどね
 おばさんは、懐かしそうにくりかえす

(池田康)
posted by 洪水HQ at 16:03| Comment(0) | 日記
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