池辺晋一郎さんの音楽(洪水次号特集です)を聴くために借りていた「影武者」のDVDを返しにいったとき、店の中をぶらぶら歩いていたら「エイリアン」(リドリー・スコット監督)に目が留まった。そういえば、洪水14号で加藤典洋さんにインタビューしたとき、「ブラックレイン」の話の導入部のような形で「エイリアン」が少し語られていたなと思い出し(本文中には出ていません)、このSFホラーの有名作を借りて観た。以前観たことがあるような気もするし、あるいは初めてなのかもしれない、記憶おぼろ。その梗概は、異星人に襲われ、危機一髪となるという考えてみればシンプルなものだが、ある意味でエイリアンの怪獣よりも恐いと思うのは、実は内側に敵がいることで、親会社、宇宙船の“マザー”コンピュータ、そしてスパイ(これはアンドロイドでその壊れ方がなんともSFぽくて衝撃)の思惑と行動が罠のような形になって乗組員を苦境に陥れる。航海士のリプリーは特別な能力をもっているわけではないがカミソリのような鋭敏・鋭利な冷静さによって魅力を作っている、あまりないタイプのヒロインで、最後に地球に向けてメッセージを送信して眠るところ、それまでとは時間の様相ががらりと変わって、美しい静けさの幕切れ。タイタニック号の沈没に代表されるような「危機」をめぐるドラマは結局焦点はサバイバルできるかどうかに尽きると言え、その意味で話の大枠は決まってしまっているようなものだが、描写のタッチの個性は多様なわけで、「エイリアン」もこの監督の作品だなと思わせる、未聞の次元のフィクションへの憧憬に方向づけられた独特の濃密と緻密の度合いを具えている。
「影武者」も武田信玄一族のサバイバルの物語とも言えるが、「船長」の信玄が死ぬと、判断を間違い、「エイリアン」の織田信長に敗北してしまう。そういう意味で悲劇なのだが、影武者の男も武田軍団と運命をともにするという結末は、そうではなくて、愚昧で不撓不屈な庶民の生活史のなかへ「生還」しても良かったのではないかと、映画の筋にけちをつけてみても仕方がないが、少しそんな気がした。
(池田康)