
詩集は4つの章からなり、奈良散策の見聞をもとに万葉の時代の悲劇をうたった作品、コクトオ、小野十三郎、吉本隆明、三井葉子、島田陽子など先人を偲ぶ作品、自分史の一こまを陰翳深く刻印した作品などで構成し、回文や折句などの言葉遊びをまじえながらディアローグによる詩の可能性を探究する。「虚実照応」と言ってみたいような、イマジネーションと現実世界との間の自在な感応の往来を思わせるところがある。
タイトル作を部分的に引用紹介する。この作品は行の頭が「月光仮面の歌」になっているのでご注目いただきたい。
あの金堂の月光菩薩は
いつも凛々しい立ち姿
ときどき拝観しに行くが
せなかを見ることはなかった
いつも光背に覆われている
ぎんの月を思わせる
のうめんのようなお顔は
ためいきの出るほど美しいが
めったに間近で見られない
なら国立博物館「白鳳展」に
らいげつまで出開帳
ばしょは知っている
(…中略…)
まずしい人よ 呼ぶがよい♪……
ずっとむかし こどもの頃に
しっていたメロディが浮かんだ
いつも隣の家で見せてもらった
ひとりぼっちの覆面の主人公
とべもしないのにマントを翻す
よのため人のため
よるもひるもオートバイを走らせて
ぶきは拳銃二丁のみ
がっこうぼさつさながらに
よべば必ず現れたもの
いつも口ずさんでいた憂愁の
かなしい時代のメロディが
なつかしいと思う今のぼくが
しずかに思い浮かべるのは月光の背中
いっしんに闘うその背中
ひとの弱さ貧しさ悲しさを
とわに背負い続けるその孤独よ
もしも祈りが届くなら
よなかの真冬の月の丘から
ぶじを祈って歌うだけ
がっこうぼさつは月光仮面♪……
よい子のために千年の未来まで
いつまでもすこやかにと願うだけ
(池田康)