
昨日、洪水企画も共催に加わった、野村喜和夫・篠田昌伸両氏の対談イベント「〈詩と音楽のあいだ〉をめぐって」が、詩とダンスのミュージアム(世田谷)で行われ、20名を超える聴衆の方々に参加いただいた。篠田さんは最先端の現代詩をテキストにして合唱曲などを作曲することが多く、あえて意図的に他人があまりやらないことをやっているそうで、これまで朝吹亮二、平田俊子、廿楽順治、野木京子、渡辺玄英などといった数々の詩人の作品に取り組んできた。野村さんの詩は「街の衣のいちまい下の虹は蛇だ」「平安ステークス」の二作を取り上げていて、今年三作目として新作「この世の果ての代数学」を12月に発表することになっている(これも奇天烈なテキストだ)。今回の会では過去二作の冒頭部分をCDで聴き、野村さんの朗読もまじえて、創作の内実、詩との接し方、どういうポイントで詩を選ぶかなどについて語られた。「なんでこんな変な詩を取り上げるのでしょう」という作者自身の素直な疑問を、野村氏の朗読を通して会場に集った全員も共有したわけだが、篠田氏はそのときどきに作曲しやすいと感じた詩を取り上げるだけで、わかりやすい素朴な抒情詩が必ずしも音楽化しやすいわけではないと語る。詩を受信するアンテナがユニークに鋭敏なのだろう。「平安ステークス」では平安遷都のモチーフと競馬のモチーフが解きほぐしがたく織り合わされているのだが、音楽化されるとそれがきれいなポリフォニーの中にみごとに立体化されて驚いたと語る野村さんの言葉は、詩が音楽化されるときのもっとも幸福なケースを証明しているように思われた。「街の衣のいちまい下の虹は蛇だ」もそうだが、洗練されたきれいな音楽の織物となっているところと言葉のごつごつした顔が岩場のように顔を出すところとの対照が印象的に構成されているように思われ、しかも篠田氏の音楽構築のロジックは非常にしっかりしたものがあり、それぞれ曲のごく一部、5分ほどしか試聴できなかったが可能なら全部聴きたいという気がした。
そしてサプライズゲストとして四元康祐さんが登場(ドイツ在住だが静岡での連詩の催しのため来日されたとのこと)。四元さんの詩「言語ジャック」が篠田さんの手で今年音楽化されたばかり。それも踏まえて、現代詩テキストに対してより幅広い、クラシックの上品さを超えた生命感ある表現を演奏者に望みたいという趣旨のことを語った。
その「言語ジャック」は12月14日の東京混声合唱団の定期演奏会(東京文化会館小ホール)で再演される。また野村作品「この世の果ての代数学」は12月24日に女声合唱団暁の第10回演奏会(JTアートホールアフィニス)にて初演される予定。ぜひ足を運んでいただきたい。
(池田康)
追記
当日の録音データを聞き返してみると、上の記述がすこし不正確なのがわかった。大筋では間違っていないのだが、私の記憶のずぼらさから打ち合せや二次会で話されたことがまじり込んでいるらしいのだ。本番のトークだけを聴いた人はこことあそこは違うと指摘するかもしれない、恐縮です。