2017年11月08日

風土的アナキスト

このあいだNHKFMの土曜朝の番組(ピーター・バラカン/ウィークエンドサンシャイン)で、高知在住のブルースシンガーの藤島晃一が紹介されていて、その歌がかもす独特のアナーキーな気分に触れ、大家正志さんが「詩素」に発表している詩が帯びるアナーキーな感じとどこか通じているとふと思った。大家さんも高知だ。同じく高知出身の嶋岡晨さんの詩にも時折同じような虚とむつぶアナーキーさを味わうときがある。「高知アナーキズム」とでも言うべき風土的なアナーキー性が存在するのだろうか。もちろんアナーキーといっても特に政治的なそれではなく感受性レベルでのことだが。大家さんによれば故片岡文雄も藤島晃一を贔屓にしていたそうだ。
一ヶ月か二ヶ月前にNHKBSのフォークソング特集番組で沖縄の佐渡山豊の歌を聴くことができ、ロックバンド仕様の演奏だったが、今時の若者のバンドにはない剥き出しの気迫があり、荒々しい風を引き連れた、裸の精神の独立独歩を主張する力強いものだった。統一システムとしての国(とあえて無造作に言ってしまうが)の中心からはるか離れた地では人工的ではない天然のアナーキーな気風が生ずるのかもしれない。
魂の原郷は変なものによって占領されることなくアナーキー風が吹き荒んでいるのがあらまほしき様態なのだろうとも思う。
(この話の流れで言及していいのかどうかわからないが、木村充揮(憂歌団)もちょっと似たような雰囲気があり、何ヶ月か前にやはりNHKFMの番組(赤坂泰彦/ラジオマンジャック)の中でライブで歌を披露していたが腸に噛みつかれるような感じがした)
(池田康)
posted by 洪水HQ at 12:03| Comment(0) | 日記
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