2018年01月25日

前衛は詩を思考する

江田浩司著『岡井隆考』(北冬舎)を読んでいる。568頁もある大冊で、蝸牛のように遅々とした小生の読書ではいつ読み終わるとも知れないので、とりあえず簡単な報告をば。これだけ分厚い本として現れると、一見評伝のようにも見えるが、そうではなく、各歌集を丹念に批評するというのでもなく、帯に「[詩人岡井隆とは何か?]を尋ねて」とあるように、歌人・岡井隆の、歌人らしからぬ、自由詩へと越境してゆく志向、詩歌表現の原理の層を探求しようとする実験者の相に積極的に光が当てられ、足跡のユニークな特異性が明らかにされる。その論述の過程で、共産党への支持と反発とか、九州に身を隠した五年の空白期間のこととか、医師としての仕事との関りとかが指摘され、この詩歌探求者が現実としてどのような問題をはらんだ道を歩んで来たか大まかにわかるようになっている。
この本で紹介、批評される特異な性格のテキストを見ると、生半可な詩人よりもずっと尖鋭に詩の実験や試行をおこなっていて、岡井隆がいかに徹底した「逸脱者」であるかがよく理解できる。「国道一九四五八一五」「雨乙女ザムザム」「陰茎なき精神」「タンポポ詩人」などなど随所で登場するキー・フレーズも独特の輝きを帯びていて強く印象に残る。
「現代詩と現代短歌は、辺境において相対してゐる異質の文学領域ともいへる。お互ひに理解し合はうとしてゐない。お互ひの神をしりぞけ合つてゐる。わたしは、自分が、この二つの領域のどちらにも相わたる流浪の民であるやうに信じてをり、今は、現代短歌の民をよそほつてゐるにすぎないと思ふことがある」、「自分自身の内部で歌人と反・歌人が抗争する、この緊張した内面的葛藤は、激化の極になれば自己破壊を生じ、歌人であることをやめねばならない。反対に、この葛藤が弱まり緊張関係が解消でもすると、三十一文字をただ並べるだけの職人にはなれるかも知れないが、本当に短歌の運命に参与した歌人としては失格する。緊張を、或る一定の強度で持続するのが生産性を保つ条件だとは言えないだろうか」、「僕はここではいわゆる歌人として振舞わない。ひろくうたを書くように心がけるつもりだ。詩型に無頓着にスキャンダルをふりまきたいのだ」といった言葉はこの歌人の創造への心組みを正確に語っているように思われた。歌壇に埋没しない、歌壇を超越する歌人がいて、こんなふうに意義深く戦っているのだと、この書は言葉を尽くして証言している。
(池田康)
posted by 洪水HQ at 18:06| Comment(0) | 日記
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