2018年02月21日

解説者の目、光景の光

ピョンチャンの冬季オリンピックが酣。ノンコノユメのG1勝利(競馬)も見事に美しかったが、現時点で最強と目された選手が鬼ごっこの鬼から逃げるように失敗の可能性を払いのけて実力を出しメダルを勝ち取る姿ははるかに(八馬身差くらい?)心動かされる。
国単位で言うとメダルにからんでくる国は冬季の場合ある程度限られてくるとはいえ、さすがにこれだけの競技種目の最高レベルのチャンピオンシップが一堂に会すると、熱烈ファンでなくてもスポーツに普通に興味のある人間なら酩酊感を覚え、時空の特別なパワースポットを形作っているような観がある。雑誌もこのようなパワースポットたるべきだろうが、ここまでのメガスケールの祭典は一民間企業の商品では作り出せない。
オリンピックでしか見られないような珍しい種目も多く、そういった「なにこれ?」競技は解説者に説明してもらう必要があるわけだが、ゲームの特殊なルールや条件をわかりやすく説明し、さらに身体力学の細かいところを分析し、なるほどと納得させられることが多く、その道の玄人の語ることは違うと感じる。新聞の新作映画紹介でも眼力・見識ある映画評論家の方々が書いていると上手に観るなあとレビューだけで拍手することがあるし、書評も(映画以上に取捨選択が難しいが)評者の書き方ひとつで本の魅力が全然違って伝わる。同じことで、未知のものの「なにこれ?」に対する、光の当て方、言葉のきざみ方は一朝一夕でそのコツや価値観を伴った視野が習得できるものではなく、スポーツ中継で熟練アナウンサーが十分下準備して実況する以上のことをスペシャリストの解説者は易々と語るのであり、良き解説者を得ることの重要性は言うまでもないことだ。
しかしまた解説無用で飛び込んでくる鮮烈な光景もあり、たとえばアイスホッケーの上位チームの驚異的なパスの繋がり方は見ていてほれぼれするし、バイアスロン選手のライフルを背負って野山の雪道をスキーする姿は野性味があり凝視してしまう。そういう「光景の無言の光」のほうが案外記憶の深い層に残るのかもしれない。
(池田康)
posted by 洪水HQ at 22:32| Comment(0) | 日記
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