2018年03月24日

天の耳へ……

昨夜、吉村七重さんのお誘いで、大久保の淀橋教会・小原記念チャペルで開かれたコンサート「新しい古楽器アンサンブル/ダブルトリオ演奏会」を聴いた。出演は、鈴木俊哉(リコーダー)、宮田まゆみ(笙)、吉村七重(二十絃箏)、亀井庸州(ヴァイオリン)、大植圭太郎(オーボエ)、ディラン・ラルデリ(ギター、指揮、作曲)。
テレマンの曲がイ短調トリオとイ短調の協奏曲と2曲奏されたが、とても清々しく聴けた。バロック音楽を生演奏で聴くのはひょっとしたら初めてかも、という気がしたくらい新鮮な体験で、250年前の曲がこんなふうにまだ生きている驚きを痛感した。
佐藤聰明「櫻」は二十絃箏の独奏曲。「真面目」という語の文字通りの意味での真面目さに打たれる。派手な技法や珍しい演奏効果を用いず朴訥にシンプルに音を置いていく作り、その飾らない真摯さ。幻の歌声が聴こえるような気がしたが、それは私の耳の要求だったのか、それともそうしたものを要請するよう音の配置に仕組まれていたのだろうか。
原田敬子「唄(ばい)+」。冒頭の荒唐無稽とも言うべきぐしゃぐしゃした音の出方にいささか怯んだが、そのうちこの音のイベントの大胆奇抜な試行を楽しめるようになった。笙がとても心地よい重音を聴かせていた。
武満徹「ディスタンス」、これはハインツ・ホリガーのために1972年に作曲されたものとのこと。オーボエと笙が会場の前と後ろの離れたところに立って奏する。武満のイメージから外れるような音の響きのある種の「きたなさ」「濁」の様相が感じられ、生きることの恐怖のようなものを思わされた。しかしこれは私の無根拠な錯覚に過ぎないのかもしれない。
ディラン・ラルデリ「保持」。作曲者自身が前に立って指揮をするが、リズムが画然と立たない、音の雑然とした切れ端をつなげてゆく、ただ茫漠と流れるような音楽で、雅楽よりももっとざっくりとした緩い構成法が、気持ちを楽にしてくれて心地よい。プロフィールを見ると、ニュージーランド出身で、ヨーロッパ各地で研鑽を積んだ作曲家のようだ。

この日、コンサートの前の時間に、早稲田の「古書ソオダ水」に寄った。忘日舎のご主人に教えられた店。都電荒川線の南の終点の早稲田駅から歩いて数分のところにある。狭い店内に、それほどぎゅうぎゅう詰めに本が並んでいるわけではないが、詩書はたくさんある。荒川線は今回初めて乗った。沿線に桜が咲いており、ゆっくり走るので良い花見ができた。面影橋付近が一番楽しめるか。店で買いもとめた、財部鳥子詩集『アーメッドの雨期』(1994)を電車の中で読む。アフリカ旅行でできた諸篇とか。なかに、「神」と題する四行詩があった。え、このタイトルで、一体どういう四行が来るの? 引用しておこう。

 水をひょうたんに一本たっぷりと飲んで
 朗々とコーランを詠む男が隣人
 神はきっと大男だろう
 天の耳へ届けよとばかりうたう

(池田康)
posted by 洪水HQ at 12:10| Comment(0) | 日記
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