昨夜、「高橋アキ/ピアノリサイタル2018」(豊洲シビックセンター)を聴いた。プログラムは、マイケル・パーソンズ「オブリーク・ピース 18番、 21番」、佐藤聰明「藤田組曲」、湯浅譲二「内触覚的宇宙 II トランスフィギュレーション」、シューベルト「グラーツ幻想曲 D.605a」、カール・ストーン「フェリックス ─ ピアノとコンピュータのための」、そして最後は“ハイパー・ビートルズ”コレクションより、クリスチャン・ウォルフ編「エイト・デイズ・ア・ウィーク」、アルヴィン・カラン編「ホェン・アイム・シクスティ・フォー」、テリー・ライリー編「追憶のウォルラス」。
もっとも心に強く残ったのは、「藤田組曲」と「内触覚的宇宙 II」。前者は、画家・藤田嗣治を描いた映画「Foujita」(小栗康平監督、2015)に佐藤聰明さんがつけたオーケストラによる音楽を7曲からなるピアノ組曲にアレンジしまとめ直したもの。このうち「1. 前奏曲」は佐藤さん主催のある小さな会で奥様の佐藤慶子さんが弾いて披露されており、それも神経の通った印象深い演奏だった。今回は組曲全曲が聴けるという意味で「世界初演」となる。響きが実に繊細で、一音一音に耳の感覚が研ぎ澄まされる。すべてのピアニストがこの曲を弾くとよいと思う。というのは、こんなふうに“詠”と“気合い”だけで書かれた曲は他にあまりないだろうからだ(気合いじゃあない、純然たる音理であり、理の呼吸だ、と作曲者は言うかもしれない)。アレグロ楽章もない、骨格も単純な(明快ではない)この組曲を作品として上手に立たせるのは難しいだろうが、演奏家にとっては得がたい経験になるはずだ。
「内触覚的宇宙 II」は1986年の作品で、正体定かならぬ異形の音のオブジェ的怪物として力強く輝いた。怖いような棘のたくさんある曲で、このホールのピアノであるファツィオリ(Fazioli)の特徴的な艶のある高音がそれを一層燦然と演出しいていた。解説で作曲者はこう書いている。「不協和なコードを、美しく響かせるためには、コードの内部構成に見合う、特有の音域を選ぶ必要がある。オクターヴはおろか、4、5度のトランスポジション(移調)さえ許さない特定音域特有のソノリティを追及したつもりである」「この曲は、書かれた音符そのものというよりは、むしろペダルによってブレンドされたリヴァイブレーション(残響)の変幻、変遷を時間軸にしたがって聴き込んでいく曲と言えるだろう」。音が独自の理法で凝集しようとするその力学を感受する曲のような気がした。
高橋アキさんはアンコールのサティ、ドビュッシー、武満徹に至るまで泰然とした冷静さで性格の異なる各曲をみごとに演奏し、ますますの健在ぶりだった。(池田康)
追記
「ハイパー・ビートルズ」は約三十年前のアルバム企画で、ビートルズの楽曲をいろんな作曲家に依頼してピアノ曲にアレンジしてもらい弾くというもの。去年から新たに録り直して新盤を出すというプロジェクトが始まり、今年二枚目が出た。この頃それらを聴いているのだが、ジャズのような雰囲気もある。譜面があってそれを忠実に真剣に演奏するのだろうから全然ジャズではないはずなのだけれど、原曲を料理する過程で遊びに遊ぶあたり少しジャズ的な快感や酩酊感も出てきたりする。そこがまた面白い。