「みらいらん」に連載で書いてもらっている江田浩司さんが詩歌集『重吉』(現代短歌社)を出した。詩人・八木重吉を思慕した短歌作品がメインになっている。こんなふうな短歌の詠み方もあるのかと意表を突かれる。重吉の詩の姿勢を敬慕するところすこし信仰に似ている気味があり、宗教的短歌があるとしたらこのような感じのものになるのかもしれないとも思った。そんななかでもユニークな境地の希有さを示す作品もあり、たとえば、
ひるさがりはやしにひかるみづの翳しんじつをいふ歌よ地にあれ
「死にました」とたよりをもらふ秋でした もくせいの香がきこえるゆふべ
「すこし死ねば/すこしうつくしい」としるされし詩篇にぬらす聖書の雨は
ことの葉があきのひとみにうごくころ死ねないふしんをうたふ人がゐる
いろづいたこみちをゆけば名をよばれうすやみに見ゆ手のやうなもの
など、とても不可思議なかんじがする世界の開き方だ。
ついでに、もう一冊。松岡正剛『少年の憂鬱』(角川ソフィア文庫)はブックナビゲーションサイト“千夜千冊”からこのテーマにそったものを集めたコレクションで、前口上に、「少年はこの世で一番わかりにくい哲学だ。/ピュアな存在のようでいて、遊べば孤独になるし、/一人になれば、妄想に耽って悪だくみばかりを考える。/いつも友を求め、オトナの魂胆を見抜いて、/誰と「ぐる」になればいいのか、こっそり決めている。/そんな少年の憂鬱な浪漫がたまらない。」とある。こんな問題意識でアンソロジーを思考する人はほかにまずいないだろう。まだ半分ほどしか読んでないが、子供の心世界をあつかった諸作品の読み解き・分析にはめざましいものがある。
二冊とも非常につかまえ難い心性の相をつかまえようとしている。
(池田康)
2019年06月27日
江田浩司『重吉』など
posted by 洪水HQ at 17:00| Comment(0)
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