2020年07月12日

「一度も撃ってません」のことなど

雨が続いている。全国各地でひどい水害が発生しつつある。冬からのウイルスの大波と合わせ、一難去らずにまた一難で、2011年についで生きづらい年になっているようだ。
この一週間の水害報道で印象に残ったのが、濁流に破壊される橋の映像だ。一つだけでなくいくつも見たように思う。橋と言えば「troubled water」の上に雄々しく架かる頼もしいものというイメージがあっただけに、経年の傷みもひそんでいたのかもしれないが、もろく崩れ流される映像の悲痛さには言葉を失った。
やまない雨のたまさかの小休止の時間帯をとらえ、映画「一度も撃ってません」を見に出かけた。石橋蓮司主演作。監督・阪本順治、脚本・丸山昇一。昨年「あらかじめ失われた恋人たちよ」(1971)をDVDで見て一文をしたためた者としては、その主演二人が出ている今作は見逃せない。同窓会的な遊びの一本かとも予想したが、そうではなく、集中力をこらした本気が漲る。一つ一つのシーンが通常の映画とはちがう艶あるいはリズムを帯びているような微妙だが異様な感覚があり、映画は光でできているわけだが光が蜜やアルコール成分を孕むこともありうるのか、特別な被写体にカメラが感応することもままあるのかもと埒もないことを考える。変な言い方だが、「人間」が存在しているという否み難くしたたかな感じがあり、それは1960年代、70年代の真ん中をくぐり抜けてきた人間たちであり、その空気がスクリーン上に濃く現われている。地下バー「y」(原田芳雄にちなむ命名)での場面はことにその傾きが顕著だ。石橋蓮司、桃井かおり、岸部一徳、大楠道代のぶつかり合う演技の瞬間は、感心とか感銘とかを越えて、なにかガツンとくるものがある。このバーのカウンターに腰かけて桃井かおりが「サマータイム」をうたう場面はみごとで、ここだけ切り取って額縁に入れておきたいくらい。この前後の一連は今年の日本映画の一番の見モノとなるだろうと憶測するがどうだろうか。最初から最後までジャズが鳴っているのは60年代への懐旧か、そのスピリットを召喚しようとしているのか。「troubled people」ばかりが登場する映画で、その上に壮麗で立派な橋が架かるのかどうかわからないが(なさそうに見えるが)、それがないところでのジャズ祭的右往左往の放浪がこのpeopleの生きる本領なのだろう。
パンフレットはインタビューや座談会も収録されていてありがたく、金澤誠の文章「アウトローたちの50年/彼らの矜持が生み出した余裕のコメディ」は役者たちや映画制作者たちの歩んで来た道のりとその交差の歴史図を簡潔に描き出して、とても参考になる。

(池田康)
posted by 洪水HQ at 11:53| Comment(0) | 日記
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